若者から敬語を使われなくなる現象

私たちは誰かと話すとき、その人との親密さ、年齢、立場などから、敬語を使ったり使わなかったり、意識的に選択することもあるし、無意識的に選択していることもある思います
例えば、(全員がそうとは申しませんが)年齢が自分よりも下の方だと予想がついていても、赤の他人であれば、敬語を使用することが多いでしょうし、年齢が上の方でも、とても親密な関係であれば、敬語を使用しないこともあるでしょう。

ところで、年配かつ赤の他人に対して敬語を使用しないパターンもよくあると思うのですが、これは少々不思議なことですよね
まずこれが倫理的?一般常識に照らして善いか悪いかは不明ですが、ちなみに自分も年配かつ赤の他人に対して、敬語ではなくタメ語で、自然と話してしまうことはよくあります。

一方、年配かつ赤の他人に対して、自然と敬語を使用する場合もあります。この差は一体何なのか。(見た目的に)何歳からを”年配でも敬語タメ語で話してよい枠”にいれているのか。何か他の因子が、無意識下で敬語使用の是非判断をしているのか
これら、すべての人と共感できることかは分かり兼ねますが、自分がどういうアルゴリズムでその無意識判断を下しているか少々気になっています

この問題についてはゆるゆる考えていこうと思っており、今日はその仮説を発表することが目的ではないのですが、、、
仮説がまったくないと少々間抜けに見られそうなので、ひとつだけ。
仮説:体力的にも、社会的にも、自分に対してもはや脅威ではない、と感じた・予想したとき、かつ 向こうも敬語を使用せずに話しかけてきたとき、自然とタメ語になるのでは
自分の場合は、70歳以上くらいの見た目の方と街でお話をするとき、自然と敬語が外れているような気がするのですが、とはいえ、その方が某大手企業の重役だと認識していたら、おそらく自然と敬語が出るような気がします。仮説はこのくらいにしまして。

自分がお話したかったのは、自分も(現在は30代でありますが)歳を重ねていずれ、若い方とタメ語でお話するようになるのだと予想されますが、遅くともその瞬間から「あ、自分はもう完全なる”老人”になったのだな」と思うのだろうな、と想像しています。
それが悲しいわけではありませんが、どれだけ強がって自分はまだ若いと言い張っても、65歳は国が勝手に決めたラインだと言い張っても、「誰もが見ても自分は老人なんだな」と認識させられる日が来るんだなと、しみじみ思います。

その瞬間に備えましょう、どう備えるか分かりませんが・・・

以上

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