流産し、妊娠・出産は奇跡の連続だと痛感させられた日
妊活を開始した月の生理予定日、生理が来なかった。私は生理周期が35~40と長めだが、来る気配もなかった。
いやいや…まさかね…と思いつつ、生理予定日から1週間後に検査薬を使用してみた。
1つ目の窓に線がつかず、2つ目の窓に液が浸透していくのが見えた。
ほらやっぱり…と思いつつ手に取って見ると、なんだかうっすら1つ目の窓に線がついていた。
え?え?ほんとに?えほんとに???と夫にも見てもらう。「薄いけどこれは確定でしょ」
その時の感情を正直に書くと「うわまじか」だった。
もちろん望んでした妊娠だ。嬉しい。だが私も夫も、嬉しさより驚きの方が圧倒的に大きかった。
私の親は7年授からなかったが、病院へ行きタイミングを合わせたらすぐ私を妊娠したと言っていたので、
私は体温を毎朝測り、排卵日と思われるタイミングを見計らっていた。
妊活を開始してまだ1回目だ。「まぁそんな簡単に授からないよねぇ、年末年始は酒飲もう」と言う気でいたので、タイミングさえ合えばこんなにすぐ授かるものなのか…ととにかく驚いた。
私の禁酒は続くことになった。
妊娠の周期は最終月経の開始日から数え始める。
7週と思われる頃に夫と産科に行ったが、子宮内に見えたのはとてもとても小さな丸で、もらったエコー写真には「4W6D」と書かれていた。
「とても小さいからまだ確定はできないけど、検査薬ははっきり陽性が出ている。子宮外妊娠もまだ否定はできないけど可能性は低い。また来週来てください、とりあえずおめでとうございます」と言われた。
今日で心拍を確認できて嬉しくて泣くつもりでいたので、お預けをくらってまた喜ぶことができなかった。
でも妊娠を待ち望んでいるであろう両親には早く報告したくて、その日の夜に実家へ行き報告した。
母は「えー!うそー!!ほんとにー!!嫌だおばあちゃんになっちゃう!!」と照れ隠しし、父はとても嬉しそうに「おめでとう」と言ってくれた。
私は嬉しさを抑えつつ、まだどうなるかわからんけどね!!と念を押しまくった。
妹にもテレビ電話で報告した。
「まだどうなるかわからない」
そんなことわかっているはずだった。わかっているつもりで言っていた。
けれど実際にその「何か」が起こった時のことを考えている人は、どのくらいいるのだろうか。
1週間後に来てと言われたが、次週は予約が埋まっていたのと、1週間で心拍が確認できるほど大きくなるかもわからなかったため、2週間後に予約をとった。
診察から1週間と少し経った頃から、朝一のトイレで少量の鮮血がついていたり、茶色の織物が出始めたが、量も多くないため様子見でいいだろうと思っていた。
調べると、着床出血や胎盤が作られる過程で出血することがあるようで、特に気にしていなかった。
しかし、それまであった胸の張り・ほんの少しの気持ち悪さ・頭痛が消えたのは少し気がかりだった。
茶色の織物が3日ほど続いたあと、だんだんと量が増え始め、血も茶色から赤黒、透明の粘液を含んだ鮮血へと変化していった。
さすがに心配になってきたが、鋭い痛みもないし大丈夫だろう…と思っていた。
その日の夕方から腰痛と、軽い生理日くらいの腹痛がし始め、
どんどん痛みが強くなると共に血の量も増えていき、ついに生理用の下着とナプキンを着けた。
さすがにおかしい。けれど次の診察は1週間後。それまでは待てないと判断し予約日の変更をしたが、年末が近く3日後しか空きがなかった。
寝る頃には顔がかなり歪むほど激しい腰痛と腹痛がしていた。重い生理でもここまで痛い思いをしたことがない。
赤ちゃんはもうだめかもしれない。
ナプキンを付けたあたりから覚悟はしていた。していたつもりだった。
翌朝ふと目が覚めたと同時に、股からドゥルッッととてつもなく大きい物が出てきた感覚がした。私は生理の時に大きめの塊が出るタイプだが、比べ物にならない位の大きさを感じた。
まずい。血が大量に出たかもしれない。
トイレにかけこみ確認する。
念のためにつけていた夜用ナプキンの上に、4センチほどの黒い血の塊と、血が混じった7センチほどの白いツブツブの集合体があった。
生理の時には見たことのない白いツブツブ。
ーーこれ赤ちゃんだ。
血が多くなってきた時から覚悟はしていたけど、まさか赤ちゃんだと自覚できる物を目にするなんて思ってもいなかった。
夫を呼びスマホを持ってきてもらい、撮影する。
声を出して泣いた。パニックになりどうすればいいのかわからなかった。
これ流していいの?でもそれ以外なら燃えるゴミに入れるしかないよね?赤ちゃんがゴミと一緒に燃やされるの?そんなの絶対に嫌だ、じゃあ流すしかないじゃん…と、ひとしきり泣いた後トイレットペーパーに包み、手で抱きしめてお礼を言い、泣きながら流した。
(この時は病院に持って行くことなど全く頭に浮かばず、ただ赤ちゃんが出てきてしまった、ダメだったという気持ちでいっぱいだった。
私たちのもとに来てくれた愛しい我が子をトイレに流してしまった。本当に本当に申し訳なく思っている)
前日、両親にダメかもしれないと連絡をしていたので、出てきてしまったことを報告するとすぐ電話がかかってきた。
「出産可能な病院だから、日曜の今日でも人がいるはずだ、身体が心配だから早めに見てもらったほうがいい」と言われて初めて、自然にすべてが出ていくわけではないことに気が付いた。
産科に電話をかけるとすぐに来てくれとのことで、夫と向かった。
診察時間外なんて、出産間近の妊婦しか見てもらえないと思いこんでいたが、流産だって同じくらい緊急性の高いことなんだと初めて気づいた。
産科は1階の受付・診察部屋は静まりかえっており、2階のナースステーションへ向かった。
そこには生まれたてのあかちゃんや、出産間近のママの立ち合いに来たであろう、エプロンをつけたパパが動き回る上の子を捕まえていた。
この空気、ちょっと辛いなと思いつつ、忙しそうな看護師さんに声をかけると、電話をした本人だとすぐ気づいてくれ案内された。
子宮の中は何も残っていないようだった。私の身体を気遣って、全部綺麗に出てくれたようだ。
赤ちゃんは流してしまったので(これを思い出すと胸がえぐられるような罪悪感と激しい後悔に苛まれる)、写真では絨毛かどうか判別ができないため、血液検査を今日と明日してホルモンが低下しているか見る、とのことだった。
検査の時看護師さんに、異変を感じた時に連絡していれば助かっただろうかと聞くと「初期は赤ちゃん側の原因がほとんどだし、点滴があるわけでもないし、こればっかりは…」と言われた。
次の妊活再開も、また後日医者と相談してからとのことだった。
炎症を抑える薬をもらい、飲酒していいのかちゃっかり聞くと「わーまだだめ」と言われた。
私たちのもとに来てくれた赤ちゃんは、いろんなことを気遣ってくれたとても優しい子だった。
土曜の午前、私の用事が終わるまで待ってくれ、痛みが激しくなったのは夜家でゆっくりしている時だった。
的確なアドバイスをくれた両親が起きている時間に出てきて、夫と一緒に産科に行くことができた。
私の身体を気遣い全部綺麗に出たので、処置の必要がなかった。
妊娠発覚した時「年末年始は酒飲めなくなっちゃったねー!!」と言っていたが、どうせ出るなら早いうちにと気遣ってくれたのだろう。
昔から、もし将来流産をしても、名前をつけてあげたいと思っていた。
夫と相談し、気遣いができる優しい子に因んだ名前をつけた。
私の父方の祖母は、伯母を授かる前に流産を経験している。
父の姉・伯母も流産をした。
もしかしたら私も経験するかもな、とぼんやり思っていた。
1日中、流れた子のことを思っては涙が出た。
泣いている自分に驚いた。涙が出ている自分に涙が出た。
そうか、私はちゃんとショックを受けているんだ。なかなか妊娠の実感がわかなかったし、結局心拍も確認できなかったけど、
子どもが欲しいか微妙にわからないまま妊活を始めたけど、我が子を失って悲しいということは、私は子どもが欲しかったのか。
両親は、悲しんでいる私を想って悲しんでいた。そのことが余計に辛かった。
けれど、家族なら喜びも悲しみも一緒に受け止めてくれるだろうとわかっていたので、寄り添ってくれて・私の身体を第一に考えてくれて、本当に感謝している。
今回のことで、妊娠は奇跡の連続だと痛感させられた。
まず授かることが奇跡・妊娠状態を継続させられることが奇跡・母子ともに無事に誕生することが奇跡。
奇跡の連続で今私はここにいるんだな。
無事に生んでくれた両親には改めて礼を言いたい。
今はまだ悲しみは癒えないけれど、
我が子が気遣ってくれた私の身体を、持病に負けないよう整えておくから。
いつかまた、私たちのもとに戻ってきてくれることを信じて。