推すということ好きということ
突然ですがみなさん推しはいますか?
私はいます。
推しがいることで人生に彩りがあるものになっていると言っても過言ではないです。
さて、皆さんにとって「推し」、「推す」って何でしょう?
この問いに対しての回答は人それぞれで千差万別なものになると思います。
元々明確な定義のある言葉ではないので当たり前と言えば当たり前ですが。
とは言うものの私の中では私なりの定義があります。
今回はその辺りを書いていこうかと思います。
まず第一の定義としては胸を張って人にお勧めできる存在であることです。
推すの意味として『人や物を、価値がある、適当だとして、用いるようにすすめる。』があるようにその言葉が持つ意味の通りの定義です。
なのでガチ恋していたら推しではなくなります。
人に勧めてその人が好きになってくれたら嬉しいと思えることが重要なので、同担を拒否するような行動が伴う場合はもう推しとは言えないというのが私のスタンスです。
もう一つの定義は少し抽象的になります。
その子の今ではなく将来に想いを馳せることができるになります。
その子が今見せてくれているものが楽しい、好きだけでなくもっとすごいものを見せてくれるのではないか?という期待感を抱けるかそこが推しとそれ以外を分ける分岐点になっています。
そしてそれを見るために応援したい、支えたいという気持ちが推すということだと考えています。
多くの仲間とその子の未来を語り合い、共にそれを見届けたいってのが私の推すということなんだろうなと思います。
今一番そう思わせてくれてるのが『望月うかる』であることは自他認めるところではあるんだろうなと。
この想いがいつまで続くものなのかは正直わからないけれど、今この時を楽しんで行きたいなと思います。