砂鉄採取の痕跡発見
それは、一枚の絵図の発見から始まりました。
江戸時代に和鉄を作っていた近藤家に眠る10万点にものぼる古文書の内の一枚です。
鳥取県指定文化財になっている「都合山たたら遺跡」に関する絵図です。
そこには、砂鉄を採取する場所が描かれています。
砂鉄は鉄の重要な原料でした。
当時としては文字通り、宝の絵図だったのでしょう。
そこで私が所属する伯耆国たたら顕彰会は、この場所を確認できないか、調査することにしました。
角田博士のご指導の下に、集まった5人の物好き。
山のふもとで地図を照らし合わせて場所の想定をします。
博士は「このあたりから入って、尾根を縦断します。そしてここから降りてゆきます」
と、ちゃっちゃと指示を出されます。
流石、日本を代表するたたら研究家のセンセです。
転んだらふもとまで落ちてゆきそうな急斜面を、這い上ってゆきます。
腰につけたクマ避けの鈴が、チャリンチャリンとなります。
いや、カランカランだったかな?
まあ、そんなことはどうでもよろしい。
山の稜線に出たら、尾根伝いに小道がついていて、かなり歩くなっています🎵
私がスキップしながら歩いていると、センセは「それが水路の跡です」とおっしゃいます。
そう言われると、確かに水路のようなへこみがあって、驚くほど水平に道が走っていました。
そしてその先には山が大きくえぐられた跡があります。
水路から水を落として山を削り、砂と砂鉄と水を一緒に谷下に落とします。
下に下にと歩いてゆくと、だんだん道が急になって、人間も落ちてしまいそう。
ここを砂鉄や砂が流されていったのです。
下は平地になっていて、選鉱場があったらしい。
水路で水と砂を流して、底にたまった砂鉄を採るという選別法です。
ほかにも炭を作った炭窯跡もありました。
水路は小川に流れ込んでいて、対岸に渡ると街道に出ます。
昔の人は、この街道で砂鉄を運んでいたのでしょう。
行きつく先は、都合山たたらになっています。
くたくたになったわれらは、その場に座り込んでしまいました。
しかし先生は、平気な顔。
「よくこれだけの場所が予想できましたね」
と感心していたら、
「午前中も一度登って下調べをしてきましたから」
いったいこの先生にはどれだけの体力があるのでしょう。