日本の製鉄の跡ってこんな所~ちょっとよりみち
皆さんは、日本でいつ頃から鉄が作られ始められたか、ご存知でしょうか。
弥生時代の遺跡からも、鉄器は見つかっていますが、それは形や成分から大陸からの輸入品だと考えられています。
国内での鉄づくりの遺跡が見つかっているのは、古墳時代以降です。
それは岡山県や島根県で見つかっています。
考古学は、証拠を積み上げる学問なので、安易な推測はできません。
したがって、鉄は古墳時代に作られ始めたというのが定説です。
リンピオユキトのある、鳥取県西部。いわゆる伯耆の国でも鉄づくりはさかんでした。
私は伯耆国たたら顕彰会の役員をしていますが(みんな知らんだろうが)、その会で確認した日野郡の遺跡は500か所(ここで一同驚く)。
おそらく伯耆全体では、1000を超えると思われます。
しかし、大半の遺跡は土の中で眠っているので確認できないのです。
遺跡の発掘調査には莫大な費用が掛かります。だからおいそれと発掘はできません。
個人が勝手に発掘することも禁じられています。
素人が手を出すと、遺跡破壊になってしまいますものね。
そんな中、地元の教育委員会から遺跡発掘の知らせが飛び込んできました。
道路の拡張工事をするので、才の原たたらと呼ばれる遺跡を調査しているのだそうです。
早速、見学に行くことにしました。
現地では、すでにトレンチと呼ばれる試掘調査用の溝が掘られています。
全部掘るのは大変だし、後の世の人にも楽しみを取っておかないといけませんものね。
今回の遺跡は、3回 たたらが行われた複合遺跡のようです。
鉄鉱石や石炭の手に入らなかった昔の日本では、砂鉄を集めて木炭で焼きしめます。
1300度くらいになると砂鉄は溶け始めます。
そこで鉄分と不純物を分離させて鉄を取り出しました。
これが日本独自の製鉄法 たたら です。
遺跡では、熱を地下に逃がさないように、炉の下に保温構造が作られていました。
大舟、小舟といわれる中空構造です。
右から来たトンネルが、左のトンネルの下に潜り込んでいます。
つまり、右の遺跡が古く、左の遺跡が上に新しく作られたものです。
トンネルの中は、本来は中空なのですが、今は土で埋められています。
写真にはありませんが、左の遺跡は粘土を焼いて作られたトンネルで構成されています。
トレンチ(試掘溝)の長さは30メートルほどでしょうか。
今後の工事が進むと、断面も見れるようです。
もし許可が出れば、そちらも見てみたいものです。
そういえば今日、所さんの学校では教えてくれないそこのトコロという、長い名前の番組が取材に来て、私は少しだけたたらの説明をさせていただきました。
このところ、ただの出たがりと化しています。
こうして私たちは、郷土の歴史調査をして情報発信をしています。
書籍を出したり、インターネットで情報発信したり、果てはテレビの出演まで。
郷土愛といえば聞こえはいいですが、そんなたいそうなものではありません。
自分の生まれ故郷で、胸を張って自慢できるものがあればうれしいと思いませんか。
ただそんな思いです。