たたらの歴史を書き換える発見
鉄山秘書という書物があります。
江戸時代に、秘密とされてきたたたらの手法を余すところなく記した文書です。
この書物には前文に「けして他人には見せてはならない秘伝書」と書かれています。
たたらの技術は自分たちの生命線で決して外部に漏らしてはならない秘伝だったのです。
しかし、大阪の鉄商人であった中川氏が、無理を言って見せてもらい、書き写してしまいました。
それが、極秘のうちに次々と書き写されてしまい、現在では東京大学、筑波大学、九州大学に保存されています。
秘密ってそんなものですよね。
絶対秘密とか言われてしまうと、言いたくってしょうがないのです。
しかし、この本の著者下原重仲は、鳥取県の山奥の人であり、秘密の多い人なので詳しいことがわかってきませんでした。
今年、下原重仲の没後200年になるのを契機にして、下原重仲の調査報告会をすることになりました。
午前中は、その痕跡を追って現地視察。
今でも下原という家がありますし、その周りには鉄を作った痕跡が多く残ります。
近くの神社には下原一族の寄贈した石碑もありました。
(下原吉兵衛は重仲の本名です)
そして驚くべきことに下原重仲は、破産したと今までの研究者は考えていましたが、下原重仲の子供 森恵助が寄贈した石碑もあります。
今までの通説は全く違っていたことになります。
息子がたたらをしたことを示す文書も見つかり、その遺跡「日名山鑪跡」も見つかりました。
ほかにも下原重仲が書いたという「鉄山要口訳」も見つかっていて、今回の講演会で研究者の分析が行われました。
それによると、重仲の孫の為吉もたたらに参加していたことがわかります。
たたら史の研究上、重要な発見が地元で相次いでいます。
通説となった歴史を覆す発見にワクワクしています。