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テルミンのレーニン蘇生計画と死者の再生

 本稿では第一次ロシア革命の頃からはじまった、ボリシェヴィキの神秘主義に傾倒した一派「前進派」とボグダーノの思想であるロシア宇宙主義、そして、レーニン廟の意図とテルミンのレーニン蘇生計画を系譜でつなげることを目的とする。第一章は「前進派」とロシア宇宙主義、第二章はレーニンの死と死者の再生、第三章ではテルミンのレーニン蘇生計画を取り上げる。

第一章「前進派」とロシア宇宙主義

 19世紀末のロシアにおいて、革命は進行していた。そのなかで結成された社会民主労働党はプレハーノフの物質主義、マルクス主義的唯物論に基づいていた。*1しかし、世界ではドイツのニーチェやフランスのベルクソン、ソレルの影響を受けた観念論的社会主義者が増加していた。ロシアにおいても、エルンスト・マッハやリヒャルト・アヴェナリウスなどの経験批判論に影響を受けた一派が形成されつつあった。

 アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・ボグダーノフは1883年にロシアで生まれた。学生寄宿舎での管理人の横暴から権威を憎み、権威を否定することを彼に教え込んだという。92年にはモスクワ大学に入学したが、学生運動によって94年にトゥーラに流刑となる。96年にハリコフ大学で精神医学を専攻し、「人民の意志派」からマルクス主義派に転向した。社会民主労働党がボリシェヴィキとメンシェヴィキに分裂した際にはボリシェヴィキに加わり、レーニンとともにボリシェヴィキの指導者となる。しかし、1907年のストルイピンによる6月3日のクーデターの後から二人は第三国会への参加をめぐって対立しボグダーノフは「前進派」を結成するに至る。第二次ロシア革命後はプロレトクリトを指導し、モスクワ大学で教鞭をとった。ボリシェヴィキの攻撃によってプロレトクリトが挫折すると26年輸血研究所を設立し、28年に自らの体を血液交換実験の人体実験に捧げ死亡した。*2

 このボグダーノフという人物はなぜ血液実験を行っていたのか。それは、近代的個人主義によって分裂した人間を「集団的身体」――精神的にも肉体的にも共有させる/することによって集団主義社会を建設しようとしたからである。血液の交換によって全人類は血縁関係となり、精神ではなく肉体までも、遺伝子までをも交換し共有した真の同志的関係に基づいた社会を理想としていた。*3

まず、資本主義社会から集団主義社会への移行はどのようなプロセスを経て実現されるのだろうか。もっとも決定的な役割をはたすものとしてボグダーノフが注目しているのは生産の大規模な機械化、すなわちオートメーション化である。彼はこの点について二つの側面、動力の源泉と伝達メ カニズムに分けて説明している。第一の側面から見てみよう。ボグダーノフは、オストワルドのエネルギー一元論にもとづいて、あらゆる物質は同一のエネルギーからなりたっていると考えており、 現在のわれわれは石炭や石油などといった、あるきまった物質からしかエネルギーをとりだすことができないが、将来はあらゆるものからエネルギーがつくられるようになり、それを正確に分割でき、遠方にまで伝達できるようになると予言する。そしてそのときには、人間が利用できるエネルギーの総量は無限に大きなものとなり、自然の力は人間の奴隷となるはずだと言う。
(中略)
他方、第二の側面としては、伝達メカニズムのオートメーション化が指摘される。 コミュニケーション技術の急速な発展は、ひとびとの結合を妨げる空間上の障害を取りのぞくはず であり、ひとびとがたがいの経験を伝達しあい、組織化することを促進する。

佐藤正則 「ボリシェヴィズムと新しい人間: 20世紀ロシアの宇宙進化論」*4

 またそれは、精神と肉体が共有された社会においては、命は他者と共有されているために永遠であり、人間は不死であると考えた。

不死の思想と宇宙

 ボグダーノフの小説に「赤い星」というものがある。その小説は主人公レオニードが火星に行き、そこで遺伝子までも共有された集団主義を観るという話である。ボグダーノフは宇宙を進化の過程において人間によって支配されるべきものであると考えた。そして、不死を目指したもので宇宙を見たのはボグダーノフだけではなかった。

 ニコライ・フョードロフは1829年にロシアで生まれた。彼の生まれる前のロシアではナポレオンのロシア遠征、デカブリストの乱などが起こっており、フョードロフは子供の頃に周囲から聞く、「戦争」や「飢餓」と隣合わせであった話から死に強迫観念を抱く。*5 このような話は、テクノロジーによって不死を実現させようとするイーロン・マスクやピーター・ティール*6 と(環境は違えど)子供の頃に死に恐怖を感じたことは共通している。フョードロフは人類は進化によってやがて、自然を支配すると考え、死という自然現象を乗り越えることを考えた。そして、それはフロンティアが消滅した時代において人類が向かうべき宇宙に向けられた。*7 *8

第二章 レーニンの死

 レーニンは1924年1月21日に死んだ。

共産主義はソビエト権力プラス全国の電化である

 レーニンはロシア全土の電化を推し進めていた。そんななかで、モスクワ科学技術博物館においてレフ・テルミンの発明した電子楽器テルミンの発表が行われる。レーニンは芸術が電化されたことに大きな関心を示し、22年3月にテルミンをクレムリンに招待した。その日、警報装置とテルミンのデモンストレーションが行われた。この日を境にレーニンとテルミンは親密となり互いに芸術分野における革命――科学分野における革命を推進していくことを約束する。*9

 レーニンの指示によってテルミンはロシア各都市で、電化のすばらしさを宣伝するために、世界初の電子楽器テルミンの演奏を行うことになる。*10

レーニン廟と宇宙 

 レーニンは死んだ。最初のレーニンの墓はシチューセフによって1月25日に完成された。それはマレーヴィチの無対象建築を感じさせるものとなる。*11

シチューセフのレーニン廟*12

 シチューセフは次のように述べている。 

ウラジーミル・イリイチ(=レーニン―本田)は不滅であります。彼の名は永遠にロシアの、そして人類の歴史 の一部となりました。(・・・)われわれはどのように彼の記憶に敬意を表するべきでしょうか? どのように墓銘を刻むべきでしょうか? 建築において不滅のものとは、立方体です。立方体からあらゆるものが、あらゆる多様な建築作品が現れるのです。われわれが現在ウラジーミル・イリイチの記念のために建てようとしている霊廟も、この立方体から生み出されたものとして制作されることを願いました。*13

 そして、レーニンの死は、永遠――宇宙と結びついた。レーニンは防腐処理をされ、「レーニンは生きている!」というスローガンのもとでソビエトの不滅性に結びつけられた。

 当のマレーヴィチも、この仮設の霊廟に非常な関心を寄せていた。彼にとって立方体とは、イメージの運動の終着点であり(それはイコンの置かれる「聖なる一隅」でもある)、完全性のシンボルだった。したがって、「立方体とは幾何学的な観念にすぎ」ず、「物質界には立方体は存在しない」。そのような意味で「立方体とは、論理的につくり上げられたねずみ取りの罠であり、絵画は無対象に向かうことで、はじめてそこから解放される」。生きたレーニンとは常に完成されることなき過程、すなわち無対象のダイナミズムであり、このような停止したシンボル=立方体の完全性に対立するものであった。しかし死と同時にレーニンの運動は停止し、彼を象徴化したレーニン主義が始まる。そこにおいて「立方体というシンボルがレーニンに対して永遠のシンボルとして用いられたのは、決して偶然ではなかった。(立方体によって表像される―本田)レーニンとは、完成である。(・・・)レーニンはシンボルとして存在し、現実ではない」。こうしてマレーヴィチは、「レーニンの死は死ではなく、彼は生きていて、永遠であるとする観点」、すなわちレーニン主義と、立方体という停止した完全性のシンボルを結びつけた。マレーヴィチにとっての立方体の霊廟と は、シンボルとして不減化され たレーニン(大文字の「レーニン」)、新たなイエス、新たな宗教の開祖となったレーニンの姿と一致したのである。

『天体建築論』本田晃子*14

レーニンの建築による不滅化

 レーニンの葬儀委員会の一員でもあり、彼の遺体の保存を指揮していたレオニード・クラシンはフョードロフ思想に影響を受けた一派を支持していた。彼らは革命後ロシアにおいて、新しいプロレタリアの宗教――神格化された集合的身体を掲げた。第一期レーニン廟を支持し、それをもとにした、簡潔でモダンなものとして、赤の広場と調和されたものを求め、その結果としてシチューセフのレーニン廟は建設されることとなる。*15

レーニン像とソビエト宮殿*16

第三章 テルミンのレーニン蘇生計画

 国家政治保安本部の命令によってアメリカに向かったテルミンだったが、ソ連によって連れ戻され、逮捕、そして強制労働収容所に送られる。このときの体験をもとに、テルミンは晩年レーニンを蘇生させようと計画する。

 レーニンの死に際して、レーニンの遺体は薬剤処理されミイラ化された。しかし、冷凍保存するべきだという声も強く、テルミンも冷凍保存し医療技術の進歩した数年後に蘇生させようとしていた。しかし、レーニンの遺体はすでに脳と心臓が摘出され防腐液漬けにされたあとであった。レーニン廟の設計や防腐処理は観念的な意味でのレーニンの永遠であったが、テルミンは科学的な意味合いでレーニンの永遠を、そして、祖国ソ連の永遠を追求した。*17

まとめ

 神が科学技術によって殺された時代において、人々は死への恐怖にたいして頼る神がいなくなった。それは前衛的な芸術家にとっては必然的に神を否定しなければならず、ボグダーノフやテルミンは科学技術によって死を超越することで死からの恐怖から逃れようとした。また、建神主義の指導者のようにあらたな、”プロレタリア”の宗教をつくることによって死から逃避しようとしたものもいた。現代においても、イーロン・マスクのように死から逃れようとするものがおりガルシンの『アレッタ・プリンケプス』のアレッタのように温室の天井を突き破ることができるだろう。

*1 佐藤正則 『ボリシェヴィズムと新しい人間: 20世紀ロシアの宇宙進化論』 22頁 水声社
*2 ボリシェヴィズムと新しい人間 47頁
*3 同上 84頁
*4 同上 78頁
*5 木澤佐登志『闇の精神史』 51頁 ハヤカワ新書
*6 橘玲『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』 96頁 文春新書
*7 著 フレッド・シャーメン 訳 ないとうふみこ『宇宙開発の思想史: ロシア宇宙主義からイーロン・マスクまで』 22-25頁 作品社
*8 闇の精神史 148頁
*9竹内正実『テルミン: エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男』 40-42頁 岳陽舎
*10 同上 45頁
*11 本田晃子『天体建築論: レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』 187頁 東京大学出版会
*12https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E5%BB%9F(2024年8月5日)
*13 天体建築論 187頁
*14 同上 187-188頁
*15 同上 189頁
*16https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E5%AE%AE%E6%AE%BF(2024年8月5日)
*17 テルミン 48頁


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