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人生が切り替わる瞬間を「ゆっくりモード」で過ごしている感想

今、おそらく、人生が切り替わる瞬間の中にいると思う。

去年の夏、仕事を辞めました。
結婚する予定があってどちらにせよ転職が必要だったこと、違う仕事をしたいと思ったことが理由です。

退職するとき制度をたくさん調べて、自己分析もたくさんしました。
 「せっかくならなにか成果を得たい」
 「今までの貯金をできるだけ崩したくない」
これからどうなるのか未来のことは全く読めなかったけど、
その時のモチベーションはとても高かったと思います。

というか、高く持っていないとだらけてしまいそうで。
どこにも戻れなくなりそうで怖かったんだと思います。

あまりやったことがなかった、生活に必要な申請も自分で調べてやってみました。失業保険をもらえるようにハローワークにも行きました。
一度やってみたいと思っていたWebデザインについて勉強しようと思い、約半年の職業訓練に通い始めました。
結婚の話もゆっくりではありますが、自分たちの速度で、自分たちの意思で進めています。


約半年経ちました。
考えや進みたい方向の変化、友達との距離の変化、価値観の変化、全然考えていなかった角度からのトラブル(身体的な不調)。
仕事を辞めてから今までの間でたくさん初めての経験をしました。
仕事や勉強以外にも、今しかできないこととして一人旅行に行きました。久しく会っていなかった友達に会ったり、ゆっくり家族と過ごしたりも。


最初のころ持っていたモチベーションが今も続いているかといわれると正直少し落ちた感はあります。日がたっていますし。
でも「やりたいこと」「やるべきこと」へのアプローチの命中率が上がっている感じがします。

まだ未来のイメージは見えません。ぼや~っともやがかかっていて、想像してみても何も見えない事実にイライラします。
見えないのはあたりまえだし、作っていくのは自分だし、今の自分が少しずつ積み重なることで未来になる、というのはわかっていますが、答えを早く見たい気持ちが先走っています。

 何かを表現したい気持ちはあるけど怖いし恥ずかしい。
 意味のないことにお金をかけたくない。
 興味のない分野の勉強は面倒。
 うまくいかなかったら?
 どうせやりもしないくせに何を考えている?

自分の時間が増えて、考える幅が増えて、いろいろなことができると気づいたと同時に、何かが自分を邪魔している気がする。「これで正解なのかな」も、「どうしたらいいんだろう」も、「どう思われるだろう」も、ずっと消えません。
文章で表現することが一番自分の考えと乖離しない気がするのでたまにnoteに投稿しますが、それすらも漠然と不安。

考えは尽きませんが、私はこの人生が切り替わる瞬間を「ゆっくりモード」にしてよかったなと思っています。
きっと新しい分野の仕事をするにしても、即転職することだってやろうと思えばできたはず。ギリギリまで働いてその間に独学で勉強したり、引っ越しの準備をしたりだってできたはずだけど、私は自分の意思で、「ゆっくり進めていく」と決めました。
切り替わる瞬間に、少し休んで、自分と向き合う時期を組み込みました。
すぐ切り替えればいろいろ考えることもなかっただろうけど、たくさん考えることは悪いことではないです。絶対に。

現実的なことを言えばもちろんお金は減りますが、失業保険のお金がもらえるし、職業訓練のおかげで給付期間が延びたのでそこまで大ダメージではないです。
「社会的な地位」と「お金」を少し手放して、「自分自身」と「経験」、「思い出」を得ました。何にも代えられない、すごく大きな価値だと思います。

高くモチベーションをもって始めた当初に比べ、同じスピード感で過ごし続けることはしていませんが、もう「だらけてしまいそう」「戻れなくなりそうで怖い」という感覚はありません。色々経験してきたからだと思います。


小さいころから自己肯定感が低いのと、「正解(1つの答えが決まっていないもの。正解なんてないけど一般的な最適解はある)」に異様に執着して自分がやりたかったことを無意識に見失いがちなのが悩みであり弱みです。
今もまだ解決策が見つかっていません。
これ、直ったらとても素敵な人間になると思うんだけどな。

切り替えが終わるまでに答えをみつけて、より「自分の人生」を歩むこと。
これが目標であり、やりたいこと。夢です。

人生の第二章も素晴らしいものになりますように!