欠席の航路
さて、私が妄言を吐いている間に、皆の者は寝静まったばかりであるな?今なら、言えないことでも、扉の向こう側のオアシスだよ。
体調が優れないのでお休みしております。そういう湯加減で、今日を迎え、そして今日を葬るのだが。
過度に隠喩的で直接的な表現にならざるをえない草履だったことを謝罪したい。
今の私ならね、小説を一篇でも書けそうな気の踊り具合で、私はベッドに横になっている風なのだが。
心の体調が欠席で、だからこそ、私はこうやってお家で……、私はまず踊った。疲れたので、ベッドに横になった。そういう伝説だった。
さて、読者諸君もよく眠ってくれたであろうお歳暮の候、だからとて私は、いや「私の不在」はそう波風のない航路ではない。
ごめんね、私は自分でも何を書いているか分かってはいないが、嘘を並べ立てるわけでもないんだ。
今日はシャケくんとお休みなの。
あ、ちなみにシャケくんはIKEA出身のサメです。
食べるものを食べ、慈しむものを慈しみ、そうやって私は建立記念日を迎えたのです。今日という、皆が寝静まり、新しいものは時を止め、戦いの火蓋はそのままで、散歩されるべきものが散歩される、魂の建立記念日なのです。
冷静じゃない地平の、悲しみの一滴にすら及ばない、飴。
――――!?!?!?!?!?
私はその扉の向こう側へ、私はその扉の向こう側へ、その向こう、いや、その向こう、いや、違う、それじゃない、ここじゃない、扉を開ける、扉を、これじゃない、あの扉、それじゃない、私は扉を開け……、私が、いや私、私は……、私自身が扉で、私自身が開けるという行為で、私はそれを見ていて、扉である私が扉を開ける私が、扉-開けるである私が、もはや私は扉-開けるであり、それの観測者であり、それそのものだった。
…………。
私にはたどり着けなかった山岳に、彼らは歩いていた。どんな泣き顔も、瞬間の光でしかなく、光でしか、光でしかなく、迷っていた私の喉に、私自身が飴として飲み込まれた経路を、モンストラスな他者でさえ、私はそのコンテクストを永い年月で紐解くような、バケツ一杯の水だった。
そういう、そういう物語だった。誰が責められよう。
私はまず、吠える犬で、それからね……。
私とお話しましょうなんて、そんな気力は私にはあまり少ないが、私は生きていてもいいんだよ。鳥が鳥であるのと同じように。
例えば、いや私はちょっとね、お仕事のことは脆い防波堤で、心の盾が発動するのであまり話したくないな。あまりにも永い永い無限ループを、私は繰り返してきた、そんなまるでループものの主人公みたいな、そういう息なので、どうやって私は、そうね、語ることができない、いや、諦めているのか、そういう葉が光合成するのを私は黙って見ていられるだろうか、そんなレクリエーションなのです。
また言葉を書きます。土が芽吹くのを待っていてください。ではでは。
(どういうタイトルがつけられるんだ、この文章には?)