わかめと豆腐の味噌汁
まず破壊です。
私のチーズ(形のとろけた)は、最適な緑の丘に、絶え間ない(浴びせられる)アルプス一万尺を浴びせられる、戦いの緑さ、僕と君(一人だけ)の。
そうやって、あんたは甘えて、私は破壊するのね!?
言語・化は、私の喉の隙間を通って出てくる、植木鉢と私のセックス。
さあ定義し直しても無駄で、とんでもないバリアを張っているようだが、愛のシャーベットはかくも滑らかで、ハイコンテクストの象徴なんだ(これは象?)。
くだらない人生論をバカスカと、ポ〜ストしまくってる愚かな情報商材の売り子ちゃんは、意識が高い!意識が高い!意識が高くて、なんも見えな〜い。
そう、このようにライフが廻っていくんです。生き物が生き、生き物が死ぬ。中途半端で、そして完全で。愚かで、そうじゃなくて。ぬお〜、悟り世代!悟り悟り、僕すごいこと知ってるよ〜!僕偉いんだ!あはは!
達観達観、冷笑冷笑。反省反省。内省、うお〜自己実現!すご〜い!自己実現の音〜!
僕は生きる!あ〜、ヨイショ!ちんぽ!
でもですね、はい、一方で美し〜い世界もあるわけですよ、はい。素敵素敵!
破壊。
アゴラ、パラボラ。アイスっティー!!
知ることへの誠実さ。僕は知りませ〜ん!
怒り?愛?そろばんだよね。おーん。
くっ……私の自我の法則が乱れる……!?
にゃおーん、僕は裁判長。
え、公式ですか?生命の更新ですか?
あんたね、ハイプリエステスかい?
高貴なものも、低俗なものも、悟りも、愛も、公共性も、花を愛することも、息を楽しむことも、破壊も、雨も、錯乱も、僕の愛も、廃棄された人参の皮も、お味噌汁。
接合された、タンブラーと僕は昔からの友人でね、飽くなき咆哮を彩度の低い見出し文字を持って、タンブラーとアイス・ステップをもちろん僕は死んだ。
谷川俊太郎の何だっけ、あの絵本。ぼくは死んだ、みたいな。死生観のやつ。くだらねー。素敵だと思う、でもくだらない。
私はそういうポエムの素敵なところは感じるけど、そういうの読んでる奴って、なんかね、社会不適合者よ。私は人のことは言えんし、そういう曖昧な世界が大事なことも知っている。とりあえず、そういう視点も提起しておく。
どうしてこんな、ひどいことを言うんだろう。私の中にある、批判と、視線と、社会(?)と、空気を吸った気分と、破壊と、愛と、お雑煮なの。
冷笑するなら、ちゃんと冷笑しなきゃ。精神を込めて冷笑するんだ。じゃないと、ふわふわとして、元気のない元気玉よ。あ〜、パチンって消える。もちもちもちもち。
他者ってのは、きめえんだ。異質なものだからな。憎悪?はらわたがグツグツとね、そういう気持ち悪いのが他者。究極的には、破壊したくなる。じゃあ、愛って何?うーん。
あのね、なんか、駅とかバス停でさ、お見送りしたくなるの。そのあたりが愛ではないかと、思う。いや、それの継続か?
コンテンツ、飽食のこの時代ですよ。カオス、カオス。咲き乱れてるよ。
ああ、結局わかめと豆腐の味噌汁でいいや。
これが、インテリです。
これが私の文学です。
これが暇人の落書きです。
これが自己実現です。
これが一つの内省です。
これがアートです。
これが創作の実験です。
これはフィクションです。
これは机上の空論です。
これは、これは、何ですか?
コンセプチュアルもねえ!
ぼくのスピリット魂が、ぬおお、叫ぶんだ!
これが詩性!感受!w
ぬおおおお!ミンチミンチ。
お〜、哲学しちゃってるね〜ww
早く寝な?
ぼくはつづ、けます、かい?って、
え、野沢菜昆布食べるか←
カオスすぎる。
私のカオス。とろとろの吐露。