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『言葉売りの少女』からみる、言葉と貨幣の交換理論とその周辺

今年2024年のVRChat上の #メタシアター演劇祭 A-Literary Works.さん出展作品の #言葉売りの少女 を拝劇させていただきました。この記事では、言葉について、貨幣について、そしてそれらの交換について理論をふりかえってみたうえで、言葉と貨幣が交換される本作品の魅力を語っていきたいと思います。未見の方は、A-Literary Works.さんがYouTubeにアーカイブを残してくださっているので、ぜひご覧の上、本記事をお読みください。




1.言葉と貨幣の不思議な共通点
さて、まずは、言葉と貨幣の不思議な共通点を確認することから始めてみましょう。

まずは言葉からです。

言葉とは、ある音節(イ・ヌ)と、ある概念(「イヌ」というあの小動物の生き物)が恣意的に結びついたものの総体ということができますね。ここで恣意的といったのは、犬という概念に必ずしもイ・ヌという音節を対応させる必要はない、ということです。日本語ならイヌですが英語ならDogですよね。そうしてできた音節と概念の対応関係を、あるコミュニティ(社会)が共通認識として持っていると、人々は言葉でお互いの意思や感情や考えを交換できることになります。ここで不思議なのは、ある音節と概念の対応関係を、コミュニティに属する人々全員が、まるで天から言葉を与えられたように、「共通に」認識しているということです。聖書には、「はじめに言葉ありき」なんていう、まさに言葉が天から降ってきたとありますが、これはどうしてなのでしょうか。

ここで思考実験をしてみましょう。ある人AさんとBさんの間で、イ・ヌという音節がイヌというあの小動物を指すことにしよう、と共通理解が生まれたとします。この場合は、AさんとBさんの間でのみ、イヌを共通に認識することができます。おそらく人類が言葉を使い始めた当初は、このような例が数多くコミュニティ(社会)に生まれたのでしょうね。しかし、AさんBさんの間での共通認識と、CさんDさんの間での共通認識が一致している保証はありません。むしろ違っていたと考えたほうが現実的でしょう。ここでAさんBさんCさんDさんが4人でイヌという音節と概念の共通認識を持つためには、AさんBさんのイヌという認識か、はたまたCさんDさんの(例えば)ホニャという認識かに統一する必要があります。

ここで言葉の不思議な性質が生まれます。イヌにそろえてもホニャにそろえてもどっちでもいいのですが、いったんそろえると、今度はEさんがイヌというあの小動物を指し示すときに、実はこの4人の認識を覚えて使っていくほうが、既存の4人のコミュニティには利益が高いです。まるで4人が携帯電話のドコモユーザーだったら、5人目の人もドコモユーザーになったほうが料金コストが安いようなあの現象です。こんな認識同士のすり合わせが幾たびも行われた結果、人々がイヌという概念をイ・ヌという音節で対応させるとの認識がコミュニティ全体に広まったのでしょうね。こうして言葉の体系が出来上がり、コミュニティ全員が共通の言葉を持つことができました。

次に貨幣について考えてみましょう。

貨幣の成立はモースという人の贈与論という著作に、こんなんだったんじゃないか、という例が書かれています。貨幣が成立していない、ちょっとした原始社会を思考実験してみましょう。あるとき、Aさんがケガをしました。それをBさんがケガに効く薬草をもってきてくれてAさんはケガからはやく回復することができました。そんなとき、Aさんは、Bさんに薬草のお礼として、ある貝殻を渡しました。この貝殻はいわば薬草の貸しの証です。この点では貨幣が成立していないことに留意してください。さて、今度はCさんがBさんに贈り物をしました。そのお礼として、Bさんは何か現物のモノを送ってもよかったのですが、Bさんはひらめきました!そうだ、Aさんからいただいたこの貝殻を渡そう。もしCさんがお礼の品を返してほしいときには、Aさんにこの貝殻を返して、何か現物のお礼のモノをAさんからもらえればいい。ここで贈与の交換が、貨幣を誕生させました。

さて、この貝殻でできた貨幣が、コミュニティの共通認識となる過程は、言葉のそれに似ているものだったのでしょう。はじめて貨幣の認識を持つコミュニティに加わるひとが、その貝殻を交換の媒介として認識すれば、既存ユーザーにも交換の利益が生まれます。ここに言葉と貨幣は、その誕生において不思議な共通点を持つことが確認できました。

2.貨幣を、なぜあなたは受け取るのか?

さて、ここで言葉についてこのような見方ができると思います。ソシュールという人が提唱したのですが、言葉は、二分できます。言語の社会的側面(語彙や文法など、社会に共有される言語上の約束事。コード)と言語の個人的側面(「今日は暑い」とか「私は完璧に血抜きされた魚の刺身を食べたい」や「どこでもドアが欲しい」などといった個人的な言語の運用。メッセージ)に二分して、言語の社会的側面をラング、言語の個人的側面をパロールなんて呼んだりしました。人々は、日々の生活においてメッセージを発するのですが、それは、同じコードをもつコミュニティのひとに意思や感情や考えを伝えるためです。

さて、貨幣が成立したコミュニティに生きるあなたにここで質問です。貨幣を、なぜあなたは受け取るのでしょうか?

貨幣の本質とは、「実は貨幣には本質がない」ということであり、貝殻は、貴金属の銀や金、はたまた紙の束でもいいわけです。今の社会ではデジタル媒体に記録された数字、でもいいわけですよね。これが貨幣には本質がないという意味です。では、デジタル媒体に記録された数字をなぜあなたは受け取るんですか?ただの数字じゃないですか。

その質問に対して、あなたはこう答えるのではないでしょうか。だって、この数字は、また別のだれかに受け取ってもらえるというコミュニティ的(社会的)信用があるじゃないですか、と。

そうですね。貨幣の交換の連鎖とは、ある人が受け取った貨幣は、また別の人が貨幣として受け取ってもらえるということにあります。そのまた別の人が受け取るのは、「ある人が受け取った貨幣は、また別のひとが貨幣として受け取ってもらえるから、はたまた別の人が受け取るから」、ということになり、貨幣は理論上無限に膨張させることができます。

交換できるという点が共通しているがゆえに、ここであなたはひらめくのではないでしょうか。言葉と貨幣を交換してもよいのではないか、と。

「言葉売りの少女」では、雷によって言葉を失ったコミュニティの人々に、ただひとり言葉を失わなかったアンナが言葉を人々に無償で与える代わりに、貨幣と交換で言葉を「売って」いきます。

3.近代社会の成立
貨幣による分業の発達、法学の整備、そして政治が生まれ市民革命へ発展していく

さて、ここで近代社会の成立を振り返ってみましょう。高校時代の教科書によれば、近代とは、人々は自由な権利を持つとされたことです。自由な権利を持つ人々は、互いが争わないためにいったんその自由な権利を「社会」に預け、自己の自由な権利が侵害されないように「政府」を作りました。

また、ミクロ経済学の消費者理論、生産者理論を紐解けば、人々に自由な交換を保証すれば、政府の介入なしに社会厚生を最大にするように、まるで神の手が働いたかのように資源リソースが配分されることを確かめることができます。人々は自由なのですから、自己の満足や利益を最大化するために、自分の得意な生産物を売るようになり、より分業が発達します。貨幣による社会的信用は経済を大きくしていきますが、それは人々に経済活動の自由が保障されることを要請します。法律の商学を学んでいた方はピンときたでしょう。ここで商法や会社法などが整備される流れが出てきます。

また売り手と買い手による資源配分の市場メカニズムを機能させるためには、「市場」が成立することが必要不可欠です。そのためには、私的財産を保全する法律、刑法に関する法律の整備が必要不可欠です。「言葉売りの少女」アンナは、現代の敏腕トレーダーや凄腕マーケティング担当者のごとく、商品となる言葉を手を変え品を変え人々に売り込んできます。悪意なんていうものまで売り込んでしまい、その結果裁判による法律の遵守の必要なんてこともアンナは手がけていきます。この点が私には笑いのツボでした。

経済学が生まれ、法律学が生まれれば、近代が生み出した3つの社会システムの最後である、政治学が生まれるのは必然です。凄腕マ―ティング担当者だったアンナの誤算は、この人々の政治的要請に応えられなかったことにあります。自らの欲望を最大化するよう行動しはじめた人々は、言葉を売るアンナよりも、本屋から知識や概念を学んでいきます。アンナの言葉売りの商売は、言葉と貨幣の交換行為ですが、言葉による概念の普及、貨幣の普及、近代社会の成立の歴史を再び踏襲するがごとく経過をたどり、最後には市民革命がおこります。人々は、言葉売りの少女から自立し、近代社会の完成をみるのです。

4.そして現代 近代の果てにあるアンナ

お金を貯め込むことより、人々に誠実な信用を積み重ねることこそアンナの安心安定な生活には必要不可欠だったのかもしれません。まるでループもののような終わり方ですが、最後にアンナが人々からの信頼を確かめて終わるこの結末は、危機とその克服、不透明な現代を、周りにいる人々からの誠実な信頼で乗り越えていこうとする実存主義的な期待を私に抱かせました。アンナはとても人間的な、素敵なキャラクターでした。そして言葉売りの演劇を、アンナの「モノローグ」で貨幣の交換と対比させる手法は、秀逸の一品です。また経済学的に、ともすればシニカルな味付けとなる本作を、VR演劇ならではの視界演出の手法でコメディ寄りの結末にした演出家さんの手腕は、人間賛歌を感じました。

5.感動する観劇

…といろいろ考察することも多い本作品ですが、人類の歴史と現代の経済社会に生きる我々に、最高のエンタメを提供してくださっています。関係者のみなさんの才能と努力に敬意を表してこの文章を終わりにします。「言葉売りの少女」には小説版もあるようなので、そちらも読んでみますね。

以上

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