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妄想昭和歌謡 あ 「愛の国から幸福へ」芹洋子

昭和49年 歌 芹洋子 作詞 岡田冨美子 作曲 高橋五郎

北海道生まれ育ち。子どもの時からチキンラーメンよりホンコンやきそばが大好きで、とりわけ調理前にこぼれた麺をもらってポリポリするのが一番おいしい食べ方だと思っていた。ベビースターラーメンの小袋が道内でも売り出されたら、すっかりいつものおやつになった。

大人になって子どものおやつにも時々買ってしまう。今ではこのドデカイは自分用の間食だったりツマミだ。


そしてこれを食べている時なぜか
芹洋子さんの澄んだソプラノが頭の中をこだまする。



何だろう

無意識にリフレインするのは

スベリましょうよ
スベらせましょう
敷居を優しく
いたわりましょう
敷居に優しい川口技研
川口技研の
敷居ーいーいー スベリ


という、確かこんな感じの歌詞まで思い出す。
芸人にはトラウマになりそうな歌詞。

そうだ
小学生の時引っ越した新築のうちの和室の引き戸の下には、確かこれが貼られていた。
これというのはドデカイラーメンではなくこっちの方だ。

平成以降の家には和室が少なく、従って敷居スベリの出番も少なそうだが、50年前と同じにちゃんと現役で売られている。


波打っていることを抜かせば色といい形といい、ベビースタードデカイラーメンは川口技研の敷居スベリに酷似しているのだ。
そう思うのは私だけ?

だからドデカイラーメンを食べていて芹洋子の歌を挙げたくなった。

芹洋子の歌の中で最も有名な四季の歌は、どちらかというと80年代90年代に中国にいた時聞かされた記憶の方が強い。

それはそうと20世紀終わり頃の中国で日本の歌と言えばまず千昌夫の「北国の春」とこの「四季の歌」だった。みんな知っていた。
実際のところ明らかに日本の曲はガンガンかかっていたが、なぜか大抵それは中国、または香港台湾の人が作った曲であることにされて似ても似つかない歌詞で似ても似つかない歌手やアレンジで歌われていた。著作権とか印税とかそういう概念などないようだった。上海万博のテーマソングが明らかに岡本真夜の曲と著しく似ていても「盗作ではない」と主張したように、盗んだなんて意識ないほど無意識レベルまで色々な歌が浸透してていたのだ。
その中で日本発と認められていた「四季の歌」はすごい。

だけどここは「愛の国から幸福へ」しかないな。
2年前娘の初任地が十勝になったため、これ幸い訪れているし。

幸福駅はとかち帯広空港に近いところにある。

「愛国」から「幸福」の切符が小学生の頃大ブームになった。
懐かしい厚みのある小さな切符(硬券というらしい)に印字されたそれは、瞬く間に土産物というかお守りになって、プレゼントされたり学校で見せ合いっこされたりしていた。


あんまり流行ったので、他のご利益ありそうな名前の駅名の切符も売られ出した。
徳島県の「学」駅(合格祈願)とか、石川県の「恋路」駅とか。
いずれもなかなかだけど、駅名が書かれた入場券だ。
愛国の次の次の駅が幸福(間に大正駅を挟んでいるけど二駅なので200円程度の安価というのも絶妙)というダブルは火付け役になるににふさわしかった。
私の父の故郷の駅の切符も、確か話題になって笑点の中で歌丸さんにプレゼントされていた。
「増毛」駅だ。

そして多分あやかりソングまで出た唯一の駅だ。

今では廃線廃駅になって久しい「幸福駅」「愛国駅」は観光スポットとなって残っている。古い車輌も駅名看板もあり、駅舎には幸せのおみくじがあり、壁一面に寄せ書きのように思い出のメモが貼られている。



そしてここで幸福な門出を誓って結婚式を挙げた多くのカップルの写真も貼られている。
平成令和のカップルであっても、この場所を選ぶだけあって皆いい意味での昭和的ほっこりさのある笑顔のカップルに見える。
第三者から見て幸せアピールだのリア充だのという気は全く喚起されなそうな、第三者の私でも素直に幸福を願ってしまいそうな純朴さが好ましい。

駅(跡)のすぐ横は広大なジャガイモ畑(収穫後)
カルビーのポテチまたはじゃがりこになるらしい


捧げる歌は平成の バタフライ とかよりやはり 愛の国から幸福へ がふさわしい。

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