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妄想昭和歌謡 な 「涙の河」 マギー・ミネンコ

昭和49年 歌 マギー・ミネンコ 作詞 橋本淳 作曲 中村泰士

この一番上の見出し画像。
大分県豊後高田市にある「昭和の町」での懐かしいモノ展示室で、ずらっと貼られたシングルレコードジャケットを撮ったもの。
レコード時代の昭和の歌謡曲が揃っていた中で、真ん中にこの マギー・ミネンコを入れて撮ったのには訳がある。目にした途端、小学生の頃下級生から指さされ声をかけられたのを思い出したからだ。

 「あっ、マギーミネコだ!マギーミネコ マギーミネコ

ミネンコではなく 峰子 とかいう名前だと思っていたのかもしれない。そしてクラスの子がよく
「ねえ 『🎵燃える ブンブン… 』って歌ってみてよ」
と絡んできていたので、どこかでそれを見聞きしていたのかもしれない。

他の子が言うには、私が似てるというのだ。
マギー・ミネンコに。
どんな小学生だ?

調べると 彼女がデビューして活躍していたのは「金曜10時!うわさのチャンネル‼︎」に出演していた昭和48年から50年のわずか2年程のようだ。
その頃私は小学4年生くらいか。題名通り夜10時、寝る時間から始まる番組など見ていなかったので、歌ってみてとかギャグをやってくれと言われても、困惑するばかりだった。
というか夜遅くまでテレビ見ていていいんだ、とクラスの他の子が羨ましかったが、話題にもついていけない親の言いつけを聞くいい子と思われたくなかったので、知っているふりをしつつ話を濁した。そしてクラスの皆の会話に耳をすまして、どうやら「うわさのチャンネル」という和田アキコやせんだみつおの出ている番組に出ている『チチ揉め〜』というギャグをするハーフタレントらしい」ということはわかった。

当時のマギー・ミネンコはまだ18、9歳だったことになる。
台東区生まれでニューヨークのハイスクール卒、日本人の母とロシア系アメリカ人の父を持つというプロフィールから一足飛びに、和田アキコ扮するゴッドねえちゃんとも絡む過激なコントバラエティーでデビュー、という内容が記されているが、そこにはどういう経緯があったのだろう。

全くわからないが、今聴いても「燃えるブンブン」も、この「涙の河」も上手いと思う。
何となくバラエティーで笑いをとってるからレコードも出したら結構売れた、という以上に明らかに上手いと思う。
番組の企画として阿久悠となっているし、レギュラーの和田アキコも湯原昌幸も歌手であるし、元々歌手デビューを目指していたがその前にそのキャラが使われて人気が出た上での歌、なのか?

マギー・ミネンコを検索しても情報は多くない。
半世紀も前だし、わずか2年ほどで引退、結婚して渡米とあるから少ないのは当然かもしれない。
中で2019年1月の日テレ『1周回って知らない話2時間スペシャル』で滝沢カレンがハーフタレント第一号を探す調査に登場していたという記事を見つけた。


いや〜 後の祭りだが見てみたかった。ネットの写真で見る横顔は今の私と似ていない気がする。自分で自分の外見って実はよくわからないが、こんなにきれいではないのは確かだ。しかし50代で亡くなった母に少し似ている気もしないではなかった。

それとネットでの画像でこれを見つけてしまい、今懐かしさに震えている。

少年ジャンプの付録らしい

これ、一方的に「似てるからあげる」と言われて友達に渡されてしばらく家にあった記憶が。風船とサインに覚えがある。
いや〜 こんな記憶が掘り起こされるとは思わなかった。

小学生の私がとうとう本人をテレビで見ることができたのは、歌番組か何かだったと思う。

初めてテレビで見たマギー・ミネンコはこの「涙の河」を歌っていた。
子どもながらにもすごくいい歌に思えた。歌う彼女も一途な愛をしっとり歌う大人の女性に見えた。
今聴いてもこのバラードと愛の覚悟を決めた歌詞がマッチして胸に沁みるめちゃくちゃいい曲だと思う。
その頃他の曲でも書いた「親がいい顔しないが、クラスでの会話についていく必要性から、一度耳にした歌謡曲はとりあえず片っ端から覚える」という能力発動で、食い入るように見てかなりの部分は記憶した。
これで友達からの「歌って」に応えることができる。

ところが「涙の河」を歌ってみてというリクエストはさっぱりこなかった。
「チチ揉め〜」のギャグをやってるマギー・ミネンコ
または歌でも「燃えるブンブン」を歌うやさぐれコミカル路線のマギー・ミネンコ
そっちの方がイメージとして合っているらしいのだ。
自分でもそんな気はしたが、「チチ揉め〜」のマギー・ミネンコに限定して似てると言われても…  

小学生は正直だ。そして残酷だ。

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