妄想昭和歌謡 つ 「翼をください」 赤い鳥
昭和46年 歌 赤い鳥 作詞 山上路夫 作曲 村井邦彦
昭和46年にいきなり流行したというより、じわじわと聞いたことがあるようになり、歌えるようになり、音楽の副教材の歌集に載り、その後教科書に載り、合唱曲の定番となり、色んな人がカバーした。
そうこうしているうちに義務教育中において下の世代にも浸透し、今ではほとんどの人が知っている歌になったというところだろう。
W杯サッカー日本代表の応援歌で、長野東京両オリンピックで流れて、もうその認知度は国をあげてのレベルだ。
その後カバーした人のどれもが素晴らしいのだと思うが、やはり最初の「赤い鳥」の山本潤子の声で歌われるのは最強に思える。
実は何もわかっていなくて「赤い鳥」の解散後は最終メンバーがそれぞれ「紙ふうせんん」「ハイ・ファイ・セット」と分かれていたことなど今知った。
どちらも美しいソプラノの女性ボーカルが突然発生したように感じていた。何なら同じ人かとさえ思っていた。で、全然別なのに「ダ・カーポ」との区別もついていなかった。すみません。
ていうか、この女声ツインボーカルって凄すぎないか?
だから私の思う最強は説得力ないけど、やはり山本潤子の歌うのを今聞いて「これだ❗️」と思ってしまう。
調べてみると、昭和46年に「竹田の子守唄」のB面で発表されたのがはじめらしい。
そう言われれば「竹田の子守唄」の方を先に聞いたことがあるような気がするのは、ヒットもしたし「NHKみんなのうた」でも歌われてもいるからだろう。でも被差別部落伝承の歌らしいと過度な自粛によってそちらの方は放送されなくなってしまったらしい。
こんな経緯は全く知らなかった。
とにかく「翼をください」は、ステルス式に日本人のあらゆる世代に馴染んだ愛唱歌になった。
だから平成11年と16年生まれの子ども達も当然知っている。
知っているというか、どうもその年代のほとんどの子が替え歌も歌えるようで、とりわけ平成11年生まれの娘が10年ほど前その歌にハマって何回も何十回も相手をさせられた。
替え歌と言っているが、正しくは合いの手が入るのは、これがコントのネタから来ているからだ。
はじめのうちはサビの部分だけだった。
この大空に
(キャプテン)
翼を広げ
((おならで))
飛んで行きたいよ
(カナカナカナカナカーナカナ)
悲しみのない
(おかわり)
自由な空へ
(益若)
翼はためかせ
(誰かのおごりで焼肉)
ゆきたい
このカッコ部分を言いたいがために、何度も歌わせられた。
下の子も知っていて最初は相手になっていたが、あまり何度も要求されると嫌がり、離脱した。
最初「誰かのおごりで焼肉」でつい笑ってしまった母の私が交代で合いの手を務めるようになった。
結構な回数歌ったような気がする。
そう、もうこれを聞くと反射的に合いの手を入れてしまうようになるほどに。
娘もさすがに一度は飽きたようだが、その後この元ネタでである ‘がっつきたいか‘ のコントのYoutubeを見て再び「翼をください」の替え歌をフルで歌いはじめた。それもまた母を相手にして。またもや私は
(セットにドリンクバーを)
つけてください
(食べ物消化するところ〜)
い〜
の部分で笑ってしまい、付き合う羽目になった。
後年では「益若」の部分が「本田」になっている。
子ども達に流行る替え歌と言えば、下ネタが人気の秘訣だ。
自分が子どもの頃は「ABCの海岸で〜」という歌があったし、子ども達に聞きほじったところ、平成では‘アンパンマンの歌‘とか、‘森の熊さん‘とか。
どれもまさしく子どもっぽく、これを大喜びで歌ってゲラゲラ笑っていたのは決まって小学校低学年までのおバカが愛らしい男子だ。
実は翼をくださいの合いの手の (おならで)という部分は記憶にないから、娘が母親に歌わせるにあたって、一応下ネタ部分を排除してくれていたものと思われる。
しかし他の替え歌に比べ下ネタが全体に薄いのは助かったが。
‘がっつきたいか‘ はどうも売れている芸人とは言い難いけれど、平成10年代生まれにおけるネタの認知度は実は飛び抜けているのだと自信を持ってもいいと思う。
ごめんなさい、美しい曲なのに。
でも替え歌になるということは、それだけ誰もが知っているということだと思うのだ。