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妄想昭和歌謡 に 「人形の家』弘田三枝子

昭和44年 歌 弘田三枝子 作詞 なかにし礼 作曲 川口真

10年程前のこと。
たまに行くスーパーで買物をすると、決まって7歳頃の気持ちになった。ちょっと辛い身の置きどころのないような、早く時が過ぎてほしいような、でも今ならもう大丈夫だというホッとする気持ち。
毎回だがなぜなのか不思議だった。

なぜかWちゃんは今どうしているのだろう、と思う。
中学で再び同じクラスになった頃には色気を前面に出すタイプの不良になっていた。その後のことなど全く知らないのに、である。
それを何度も繰り返すうち唐突にスーパーでかかっていたCGCソングのせいだと気づく。

新設校に3割くらいの子どもたちが抜けた為、小1の3学期という変な時にクラス替えがあった。
入学した時の1年4組ではすぐに仲のいい子もできて順調だったが、3学期の1年2組で出遅れてしまった。近くに座った子とも話は噛み合わず、休み時間がひどく苦痛だった。
ものすごく「きかない」(北海道弁でわんぱくで乱暴な感じ)女の子がいて、それにつられてかクラスの雰囲気もとげとげしく、人見知りな私は多分しんねりしていたのだろう。
本人が一番苦痛なのだが、懇談会に出た母にそんな様子を悟られてしまったのは更に痛かった。今思っても母からすると不甲斐なかったのだろう。心配もしただろう。
で、その時横にいたWちゃんの母と知り合い、帰りも同じ方向なので仲良くさせたいと思ったようだ。
家に帰ってから
「どうして新しい友達となかなか仲良くできないのか?」
「Wちゃんなどどうか?」
「Wちゃんは活発そうだし、話しかけてみたらどうか」
ということを言われた記憶がある。

あーあ

Wちゃんとは徹底的に合わない。
だけど活発と言われるのはわかる。そして母は活発な子が好きなのだ。母だけでなく、しんねりして子どもらしくない子が好きな大人はいないし、子どもにとって活発は愛される性質だ。
ちょうどテレビに弘田三枝子が映っていたのを覚えている。
唐突に私はこの人にとって代わりたいと思った。
この人になれば友達作れとかWちゃんがいいとか決して言われないだろう。
結構切迫詰まっていたのだろう。まだ若いとはいえ、7歳の子が憧れる対象ではない感じではあった。たまたまテレビに映っただけで、それが「いしだあゆみ」でも「ちあきなおみ」でも構わなかったはずだが(なぜ二人ともひらがな6文字み終わり?)。

幼稚園の頃の歌だが、しっかり覚えているし歌える。
歌えるどころか
「♫わたすは〜 はなたに〜 ひのちを〜 はずけた〜」という風に歌うものだとされていたことも知っている。
そして嘘か本当か知らないけれど歌詞が「は」になるのは「セイケイシリツ」をしたから鼻とか口が閉じたり開いたりしにくいのだと向かいに住む2個上のお姉さんが教えてくれた。
その前を知らないし、どちらかというとつけまつ毛で激しく彩られた当時流行のメイクにも思えるが、昭和の地方の幼児でさえその噂を知っていた。
ただ歌がうまいことはわかった。非常にうまい。

その後すぐにWちゃんからよく遊びに誘われるようになった。
大きな声で挨拶ではきはきと挨拶するので母も最初はうれしそうだったが、Wちゃんが来るとどうも小さな物がなくなるとか、私のノートの裏表紙の絵がかわいいからと、ビリッと破って持って帰るさまとかを見て、何か感じたらしい。
私が「いい気になってるから」という理由でWちゃんに帽子を取られ地面に叩きつけられていたのを見た先生から報告があり、なんかつきあわなくていいことになって半年後には気持ちがクリアになった。
転校してきた子と友達になり、暗黒期はいつの間にか抜けていた。

さてなぜ何十年もたって、こんな子どもの頃の事を何度も思い出したのだろう。
それがスーパーのCGCソングを歌う弘田三枝子の声に喚起されたのだと思っていた。
この人にとって代わりたいなんて、7歳にして相当追い詰められていたのだな、と思いつつ、相変わらずいい声だと思ったのだ。

ところが
どっひゃーん だった。
あれ?亡くなってもずっと歌は引き継がれているのね、と思いつつ何かの拍子に調べたら、全然別の人が歌っているではないか❗️

何だか業とは無関係そうなとても親しみ易い女の人が登場していて、その人が歌っていたのだ。
どうだろう 声似てない?

私が7歳の暗黒期に引き戻される必要など全くなったのだった。

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