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妄想昭和歌謡 と 「東京娘」桜たまこ

東京娘 

昭和51年 歌 桜田たまこ 作詞 石坂まさを 作曲 杉本真人


一度聞いたら忘れられないこの曲のタイトルが「おじさん」ではなく「東京娘」であることに今さら驚いている。

実際にテレビなどで耳にしたことはせいぜい一回か二回。
ただあまりに印象的なのは子ども達にとっても同じだったようで、学校で翌日話題になった。と言うより唐突に「🎵お じ さ ん」とマネをする歌声がどこからか聞こえてきた。
もうドドンパというリズムもクセになる上、しょっぱなから「🎵お じ さ ん」は強烈すぎて、一度聞いたら忘れられない事確実だ。
それはもはやリズムネタに近い。ネタ部分はさておき⒏6秒バズーカのラッスンゴレライのネタとか「ラララライ」「なんでだろう〜なんでだろ〜ななななんでだろう〜」の歌部分に近いインパクトでもう耳について離れない。

子どもにとってもそうだが、歌詞の内容がわかる世代には更に強烈だったろう。

「おじさん」と歌うのはまだ当時中学生の女の子だ。
家出でもしたのだろうか?
昭和のことだからおじさんと言っても30代であった可能性もあるが、どのみち相手は中学生だ。性的な関係を匂わせるこの歌を中学生に歌わせているのだ。

昭和はこいうことを気にしないほどおじさん中心の価値観でできていた。
高校生だろうと中学生だろうとおじさんは隙あれば性的な対象として見ることを容認し、その上そのただの未成年相手の淫らな行為を「恋」呼ばわりしているのだ。
恋なわけないだろう。
当時だって、そんな気がしたとすれば幼さゆえの勘違い、または背伸びしたいがための思い込みだと、本当はわかっていたはずだ。
そう思いたい幻想を抱くのはおじさんだけだ。「この子は俺に恋してる。これは恋だ」と。そういうおじさん側だけの視点が価値観としてまかり通っていた。

立憲民主党の本田平直元衆議院議員が性的同意年齢の13歳(マジか⁉️)から16歳への引き上げ案について

「56歳の自分と14歳の子が性交したら同意があってもつかまることになるのはおかしい」

と発言した。その状況を同意と捉えるのも、自分に重ねてイケるとする思考回路も、何もかもが気持ち悪い。本当勘弁してほしいのに発言を撤回したところでもう染みついたものをこの人は拭えないのだろう。そういうもんだとする価値観の中で性に目覚め、その価値観を疑いも持たずにその年まで生きていたのだから。
聖人君子でなきゃいけないと言ってるわけではない。若い頃勢いであんなことしたけれど、子どもを持つ年になって踏みにじった事を悔やんでいる、とかならわかる気もする。
当時だって別に多くの人がこんな感覚だった訳ではなく、普通の大人は子どもの前では顔をしかめていたし。
社会はさすがに変わり、世界の中心はおじさんでいいわけがないのだ。大人までの道のりに人を大切にする、大事に育てることを身につけていたら変わってしかるべきなのに、全く昭和のままの人が大人で政治家で意見を述べているなんて❗️

これに比べると金銭授受と割り切る平成の援交の方が幾分マシに思える。行為を金銭目的と割り切っている。恋などとごまかさずにあからさまに金銭と交換するのは、おじさん側から見ると味気ないかもしれないが、知ったこっちゃない。良いとは言わないがまだマシだ。
おじさんは金でも出さなきゃ相手にしてもらえないのだ。

ではこの「🎵 お じ さ ん」の部分を歌い手が中学生であることに配慮して変えてみたらどうだろう?青い性路線は先に出ている中学時代の山口百恵もそうだったから、性的な隠喩は見逃すとして。
おじさんでなく「に い さ ん」とか「せ ん ぱい」とか「あ な たン」とか「ま さ お」「し ん ちゃん」と色々変えてみたがどうしてもダメだ。メロディとリズムと「おじさん」は完成系なようでどうやっても取り替えはできなかった。
山口百恵の初期は青い性は連想させても、そこには一途な愛情があったし、相手として浮かぶのは青年であって決しておじさんではなかった。

ドドンパはジェットコースターでも花火でもなくリズムだが、何と和製ラテンリズムらしい。
東京娘はそれより15年前の昭和36年ヒットの「東京ドドンパ娘」のトリビュートという位置づけのようだ。
「東京ドドンパ娘」は自分の生まれる前の曲であっても夏に放送されてた「思い出のメロディー」で、聞いたことがあった。やはりドドンパの破壊力で相当記憶に残っていた。

ドドンパを調べたら「お座敷小唄」もそうだとあって、そういわれると確かにリズムはそうである。

このドドンパのリズムに乗せた曲と、「おじさん」という強烈な歌詞と、歌のうまい中学生女子のこぶしが合わさって、それは確かに印象的だったが、リズムネタによくある一発屋になりやすいという宿命を背負ってしまった。

次の曲はもう二匹目のドジョウでおじさんを前に押し出して、曲名からして「おじさんルンバ」だ。
流行はしなかったようだが、覚えているというのは当時の私の「親がいい顔しないが、クラスでの会話についていく必要性から、一度耳にした歌謡曲はとりあえず片っ端から覚える」という能力を発動させたのだろう。
「だからおじさん🎵」から始まる歌詞は相変わらずのおじさん相手のとんでもソングだが、先のドドンパの強烈なリズムにはどうも負ける。
でも今聞くとイケボのおじさんによる 
「ルンバ」
というのが、どういう気分でレコーディングしたのか知りたくなる。

「東京娘」を聞いた一回目か二回目は、なんかの新人賞の選考の番組だった。司会者の紹介で
「桜たまこさんは、歌に専念したいと高校には進学しないで頑張る事を決めました〜」
みたいな事を言っていて、年下の自分が何だけど
「え?せめて高校行っとかなくていいの?」
と思った。売れてるアイドルも大抵高校には通うものだったのだ。堀越学園とか。
歌はうまいんだと思う。でも歌手を続ける、という未来に「おじさん」一本で賭けてしまって大丈夫なのか?
今元気にしているのなら大丈夫だったのだろうが。

歌唱力のある中学生の女の子をこんな風に演出して、その頃これを「恋」と歌わせて正当化する昭和のおじさんは今おじいさんで、これを今のおじさんである当時の子ども心に染み込ませた責任は大きいと思う。

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