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私が猫生を送るなら【専業旅婦はジョージア🇬🇪を目指す3】
ジョージア国民食 ヒンカリ(ニンニクではない) をくわえた 黒猫
そしてタッチはどことなく 国民的画家 ピロスマニ を想起させなくもない
トビリシの改修中の壁に描かれたこの絵は、近いうちに上塗りされるのであろうが、いかにもジョージア🇬🇪らしい ヒンカリ と ピロスマニ風(ということにして) と共に猫がいる。
1日目にして「らしいな」と思う。
あまりにも猫が似合うのだ。
猫はそもそもどこにも大抵似合う。
日本でも漁港のスナックの看板脇や、コタツの上や、ひなたのブロック塀の上なんか鉄板だが、ウインドウ越し台湾のオシャレヘアサロンの中でも、香の焚かれたネパールの仏塔前でも、ベトナムの市場に置かれたバケツ横でも、フワフワした毛を持つ生き物は適度に放っておかれつつ周りの人に可愛がられて、背景に似合っている。
外猫の写真や動画が人気なのは、そのものの愛らしさだけでなく、うら寂しい背景や気後れしそうな最先端な場所でさえ「こなれ感」と「抜け感」を醸しつつ愛おしくなるからかもしれない。
人と身近で共生しつつ野生を失わないその様子にも街の一員感がある。
ところが、今自分の住む首都圏の住宅地あたりこの10年、外で猫を見る事はめっきり減って、見かけたとしたら「似合う」どころか問題になったり、首輪がないと即保護対象だ。
猫を飼う場合は、室内で、避妊手術必須で、キャットフード食べさせ、ワクチンをして、というのがデフォだろう。
うちの猫ももちろんそうしているのは、今さら外に出たら戻れないし怖くて既に出たがらなくなったメス11歳だし。
そして何よりどんなに野生を残す生物であっても、猫は飼主の所有物であって他の人に迷惑をかけることがあってはいけない圧が強いからだ。
メルカリに商品を出す多くの人が「注意を払って梱包しますが ペットを飼っているので神経質な人、アレルギー等の方の購入はお控えください」と書いていたりするのは、一本見落とした猫の毛がクレーム、トラブルに発展するからだろうし。
家族全員思い切りネコアレルギーながら家で一緒に暮らしているうちが物好きなのだが、外に馴染みの可愛がれる猫がいない場合、それはもう飼うしか方法はない。
トビリシに着いて外に出たら、たくさんの猫に出会った。
最初に「やけにたくさんいるな」と思ったのは犬であるが(犬についてもこの後)、積極的に接触してくる犬に目が慣れたら猫も目につき始める。
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控えめに近づいてきたり、佇んでいる姿は、異国の街並みを背景にしっくりと馴染みまくる。
壁にこれだけ愛猫を描いているゲストハウスもある。
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トビリシ旧市街の猫たち
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実は人もいた
トビリシ新市街(というかソ連時代色濃いあたり)の猫たち
本来のグルジア的街並みに改修が進む旧市街のような観光地感は薄く、代わりに旧ソ連感の残る鉄道駅やバザールや集合住宅があるが、やっぱり猫が似合う。
こちらの猫達の方が多少タフに生きなきゃならないようで、人に寄ってくる率や外での子育て率が高いような気はするが、仕事帰りにビルの隙間の猫に慣れた感じでパンを与える女性や、公園に即席で造られたであろう猫小屋に仔猫と母猫が入っていくのを見ると、猫の自由度そのままで存在は保証されていることがわかる。
トビリシも、冬は氷点下で雪も降るたいそう寒い地域だが、人に寄り添って冬を越せるのかな?
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パンくず持ってなくてごめん
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シャワルマ(ケバブラップ)の中は辛いのでは?
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ジョージアでは犬ではなく猫がゴミを漁るところをよく見た
「平和なところには猫がいる」
と言われて、それもそうだなと思ったことがある。ずっと昔のネパールで会った日本人の女の子の言葉。
同じゲストハウスにいた彼女は、インドをぐるりと回ってもうすぐ帰国するところ。カトマンドゥでは普通にいる「ラジャ(王様)」と名付けられた猫を撫でながら、彼女は旅の間南インドで一度見たきりなのを思い出したようだ。
私は87年、その年最も西遊記に近い妖怪と戦うような旅行をしている日本女性ではないか?という勢いで、日本を出て5ヶ月目、次にインド旅行を控えた身。
上海から入って新疆ウイグル自治区、チベットと陸路で5ヶ月旅行してきて、猫を見たのはチベットのおうちでニ度だけ。
そもそも当時少数民族区を抜かしたいわゆる中国で、ペットの類を見たことはなかった。(金魚以外は)返還前の香港では鳥を飼う人多数だったが、本土では鳥さえ見た記憶がない)
道端でも市場でも食用の動物は、牛豚は当然、蛇でも犬でもハクビシンでも動物園並みに揃っていたが。
90年代に入って富裕層が犬を飼うことはステイタスとなりつつあっても、猫を飼う、または手なづける気はないようで、当時見かけたことはなかったのだ。
チベットでは遊牧系定住系共に、犬が安全のためにも牧畜のためにも生活に欠かせない存在で、野犬は暴走族みたいに夜中群れで走り回る。
その中で猫は愛玩、自由に家を出入りするゆるいペットだったせいか、サムイエというちょっと田舎のおうちでは、犬が警備し、鶏が卵を産み、ヤクが繋がれ、猫だけは名付けられエサをもらっていた。そしてそれは金銭的に豊かでなくとも平和で豊かな気持ちにさせられる暮らしだった。そうだ。ゆるい存在が生きていける環境は平和と言っていいのだ。
当時の中国漢民族区や北インドの大都市は実用的な役割を果たさないものがのんびりと生きていける平和さ、余裕はなかった。
インドは宗教的に動物を殺す事へのタブー感は強いが、牛やらサルやらに商品や食料を盗られる状況で猫を愛でてもいられないだろう。日本ではネズミ駆除目的で猫がまず飼われ始めたが、ヒンドゥー教のガネーシャ神の乗り物がネズミというところからもネズミ駆除に積極的でもないし。
当時の私は犬しか飼った事はなかったが、昭和の飼い猫はサザエさんちのタマのように、塀の上とか道端にいるのが普通で、飼い猫と野良猫の境界線は首輪だけな分身近で、そう言われると「猫がいるのは平和の証」のような気がしてきた。
思い込みかもしれないが、猫の存在に適度に優しいところは、子どもにだって どこかが不自由な人にだって優しい。
迷惑(実害ではなく 流れが滞るとか 誰かの手が止まるとか 泣き声とか程度)かけるかもしれないなら、相応の対策を取るか外に出るべきではない、とされたら、そりゃしんどい。
だとすると、日本の都市部は平和な場所ではない?
街中にフンが落ちてることもなく、野生を失わない獣に我が物顔されることもないきれいで便利な社会は、実はちょっと手助けが必要な存在には結構厳しい。
戦争 の対義語としては 平和 なのかもしれないが、やはり心の平和は…上辺のものかも。
私が猫として暮らすなら、たとえ寿命は短くともチュールの味を知らずパンしか食べたことなくても、トビリシがいい。
おまけ ステパンツミンダ(カズベギ) と アハルツィヘの猫たち
コーカサスの麓の町は10月初めで既に相当冷える。きりりとした空の下、彼らはどう寒い冬を乗り切るのだろう。
アカルツィヘ という南の街でも、トビリシの猫の毛並みの良さに比べ野良感が強いが孤高である
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