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初期流産後、赤ちゃんはどこへ?

私は妊娠9週目で2度の流産を経験した。1度目は自然排出で、2度目は手術で、赤ちゃんはお腹から出てきた。いずれもお腹から出てきた赤ちゃんを、病院で検査に出した。産まれたばかりの我が子を「検査に出す」なんて、とても事務的で、冷たく感じた。だが、それでもそうする以外の選択肢が思い浮かばなかった。初期の流産で火葬に出せるのかどうかもわからなかったし、自宅のお庭に埋めるのも気が引けた。病院に行けば、それなりの対応をしてくれるだろうと祈るばかりだった。

病院で、「検査の後は赤ちゃんはどうなるのですか?」と、聞けばすっきりしたのかもしれないが、とてもとても怖くて聞けなかった。「医療廃棄物として処理する」と言われたら?事務的に淡々と語られたら?とても耐えられない。

1度目の流産では、夫婦揃っているときに自然排出で出てきた。ナプキンの上にひょっこり姿を現し、私の手の上でゆっくりお別れをした。2度目の流産では、手術前の内診で、心臓の止まった我が子のエコーを夫婦で見たのが最後だった。とてもつらい気持ちが襲ってきて、それでも最後に見なければと思い、お別れを言った。いずれにせよ、お葬式のように丁重に葬ってあげられないことにとても罪悪感を覚えた。

そんな私の気持ちが救われたのは、漫画「透明なゆりかご 産婦人科医院看護師見習い日記」(沖田×華、講談社、2013~)を読んだ時だった。この漫画は、作者が看護師見習として産婦人科でバイトしていたときに起こったできごとを綴ったものである。

主人公はバイト先の産婦人科で、流産や人工中絶で亡くなった赤ちゃんたちを、フィルムケースのような容器に丁寧に入れ、それらをさらに1つの箱にまとめて入れ、業者へ手渡すという仕事をしていた(時代が違うので現在とはやり方が違うかもしれない)。心優しい主人公は、箱に赤ちゃんを入れる前に、童謡を歌ったり、窓から外を見せてあげたり、次は新生児として生まれ変われるようにお祈りをしたりしていた。赤ちゃんたち一人一人の命を丁重に弔っていたのである。

実話をもとに描かれたとはいえ、時代も場所も全く異なる場所で起こったことで、我が子たちもこんな風に弔ってもらっていたかを知る術はないのだが、わたしはとても心が温まった。こんなにも心優しい人がこの世にいるということに、とても感激した。今もきっと、たくさんの医療現場で、こうした赤ちゃんたちのことを想ってくれている人たちがいるのだと思うと、とても救われたような気持になった。漫画の作者、沖田×華さん、赤ちゃんたちを想って働いている医療従事者の方たちに、心から感謝する。

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