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子供のいない人生を選ぶ瞬間

あるとき、不妊治療を一緒にがんばってきた友人に、「次の移植がダメだったら諦めようと思う」と言われた。私はとてもショックだった。頭ではわかっているのだ。友人はこれまで辛い不妊治療をとても前向きにがんばってきて、メンタルが辛くなれば趣味を増やし、お金がなくなれば副業を始め、私にもたくさんのアドバイスをくれた。もう十分がんばってきたし、あの素敵な旦那さんと幸せな結婚生活が続くだけだ。この決断に至るまでたくさんの葛藤や話し合いがあったことだろう。よくぞ決断した。頭ではわかっているんだ。

「5年間よくがんばったよ。本当に尊敬する。」と私は友人伝えたが、本心では全く納得できなかった。あんなにがんばっていたのに、今までの苦労もきっと子育てに生かされて、きっと素敵なママになって、同じ時期に子供ができればママ友になっていたかもしれないのに…。結局その友人は最後の移植でも妊娠することができずに不妊治療を卒業した。その後しばらく、私は落ち込んだ日々を過ごすことになった。

私が妊活を始めたのは、夫が子供ほしいと言い出したからだった。私は夫ほど子供を望んではいなかったが、子供がいない人生は寂しいとも思っていて、なんとなく妊活を始めた。だが、やればやるほど子供は欲しくなっていった。それまで自分の中に女性らしさを見出したことはなかったのだが(若いころからオシャレや恋愛にはめっぽう疎かった)、自分もメスだということを嫌というほど思い知らされた。体がメスとして機能していないことへの劣等感、母親として役目を果たしている人への妬み…こんな感情が自分にあったなんて信じられなった。

不妊治療でメンタルが辛くなると、私は「子供がいない人生でやりたいこと」を考えていた。毎年海外旅行に行きたい、縫製の専門学校に行きたい(当時は手芸にはまっていた)、起業したい、などなど。私は子供のいる人生も、子供のいない人生も、選べる立場にいると思うと、少し気が楽になった。

・・・なんて、あんなに子供のいない人生のことを考えてはワクワクしていたのに、友人の不妊治療卒業宣言を聞いただけでこんなにもショックをうけるのかと、とても驚いた。不妊治療はいつでも思ってもみない方向に感情が触れるから面白い。子供を諦めたその後の人生のことは考えていたのに、「子供のいない人生を選ぶ瞬間」については考えていなかったのだ。「子供のいない人生を選ぶ瞬間」を経験した友人の卒業宣言は、私の心にずっしりと、問題提起をしてくれた。こんなに苦労しても諦める日がくるなんて、不妊治療を続けるほうがマシだったなんて、あんまりだ。

私はまだまだ全然、子供を迎えることを諦めていない。今はただ妊活を休んでいるだけで、(いつになるかわからないが)必ず不妊治療を再開する予定だし、養子縁組や里親も視野に入れて、必ず親になる、とまで思っている。がしかし、今、カウンセラーになるという目標ができた。子供を産んでからも同じだと思うが、子供だけが人生ではない。自分の人生を自分で謳歌させられるような目標ができたことは、メンタルの安定につながっている。どうか、この目標が良き方向へ向かいますように。

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