お空の赤ちゃんのためにできること
「お空の赤ちゃんのために」と言いつつ、自分の悲しみを癒すために、流産後にやってきたことを書いておこうと思う。
①泣く
何の説明もいらないと思う。とにかく涙が出るままに我慢せずに泣く。こんなにも誰かのことを想って泣くことはこの先の人生ないかもしれない。貴重な経験をとにかく味わった。なんなら、泣ける映画・本まで読んで泣きに行った。夫は心配してくれたけれど、「私は泣きたくて泣いているの。今は辛そうに見えるだろうけど、心配してくれる夫と大切に思える我が子に出会えて幸せなの。だから止めないで」なんて言ったこともあったな。
②神社にお参りに行く
誰にも会う気になれず、家に閉じこもっていた。かと言って、ずっと一人でいると気が滅入る。私はよく散歩がてら近所の神社にお参りに行った。誰にも何も話す気にはなれなかったけれど、神社の神様には何でも話せた。「どうかうちの子たちをよろしくお願いします。」と言ってお参りすると、少し気持ちが落ち着いた。
③夫婦で気持ちを話し合う
夫は常に元気な人で、落ち込んだり悩んだりしないタイプなので、私のネガティブな話は苦手だった。けれども今回ばかりはしっかり話を聞いてくれた。同じ子供を喪失していても、男女で経験すること、感じることはまるで違う。悲しみの乗り越え方も全く違うことを実感した。寄り添ってくれた夫に本当に感謝している。
④自助会に参加
病院でもらったパンフレットに自助会のことが載っていた。流産・死産・新生児死を経験した方が月に1度集まり、お話会をやっていた。自分の経験を話したり、聞いたりする場である。初期の流産をした私は、妊娠したこともほとんど周囲に話していなかった。誰にも知られずに亡くなってしまったことに寂しさをを感じていた。自助会に行ったことで、1人ではないということ、赤ちゃんの存在を認めてくれる人がいるということ、経験者に頼っても良いということ、とても救われた。また、経験から何十年も経っている方も来ていて、悲しみとの向き合い方はどんどん上手になっていくんだなと、勇気をもらった。
⑤仏壇作り
自助会で仏壇を手作りした方の話を聞いて、夫に話してみるととてもノリ気だった。最初はネットで買おうかと話していたが、もともと手作りが好きだった私たちは、もう作ってしまえと、ホームセンターへ出かけた。引き出しもつけて、エコーや母子手帳を収納できるようにした。作っている時間は夫婦共々とても楽しかった。仏壇の前で手を合わせると、赤ちゃんたちは亡くなってしまったけれど、繋がりは切れていないと実感できた。むしろ、いつでも愛情は示せるし、思いやることができるのだ。
⑥仏壇の飾りつけ
仏壇を作ると、もっと派手に飾り付けたくなるのが不思議。我が家はもともと季節の飾りつけなど全く興味がなかったのだが、今や雑貨屋さんで仏壇に置けそうなものを見るだけでとてもワクワクする。グッズはどんどん増えていく。旅行先のお土産屋さん、スーパーのお盆飾り、スリーコインズのおもちゃなどなど。また、近所のイオンモールには「お仏壇のはせがわ」が入っているのだが、なんとオシャレで入りやすいことか。きれいなお線香立て、たまゆら(ぜひ検索してほしい)、ラムネやいちごみるくの香りのお線香まであるではないか。我が子との思い出は、お腹の中のエコー写真で終わってしまうと思っていたのに、季節が変わるごとに仏壇を飾り付けては写真を撮っている。世の中に仏壇をもたらして下さった方に本当に感謝である。
⑦旅行
1度目の流産後には思い切ってフィンランドへ行った。ずっとずっと行ってみたかったけれど、そこまで思いきれなかった。けれども、こんな時でないと思い切れないこともある。サンタさんと会えたことは一生の思い出である。
⑧天使の刺繍
自助会でワークショップを開いてくれた。ハンカチに天使2人の刺繍をした。私は2度流産しているのだが、2人が揃っているところはもちろん見たことがない。自分で刺繡をしながら、2人が揃っていることにとても感動した。仏壇を作った際は、かわいくできても見せる相手がいなかったが、自助会のワークショップでは、みんなの作品も見ながら和気あいあいとした空気で刺繍できて、とても癒された。他にも流産した子をイメージしてイラストを描いてくれたり、人形を作ってくれるサービスもあるようだ。私もぜひ試したい。
⑨ブログを書く
これも自助会の方に助言されたことである。私は文章を書くのが得意だった。自助会でうまく話せない私にブログを提案してくれたのだ。「自分の気持ちを文字におこすことで、自分の現在位置がわかるよ」と言ってくれた。気持ちが整理されてすっきりしたり、自分の投稿に「スキ!」がつけば1人ではないと実感できる。
⑩ゆっくり休む
これが今の状態である。子供をどうするとか、将来はどうするとか、一旦考えるのをやめて、やりたいことをやることにした。不妊治療を休んでいるとか、無理しないで安静にしているとか、そういう表面的な「お休み」ではなくて、子供に関すること全てを「お休み」してみる。今や、そうするしかなくなってしまった。とはいえ、完全には無理だし、不安や焦りもある。そんな気持ちを受け止めながら、「お休み」に専念しようとしているところ。
気づけば2000字を超えていた。長い文章にお付き合いいただいた方、ありがとうございます。