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【MBTI深掘り】ESFPの「目立ちたがり」が本当は優しさから来るのでは

ESFPの一般的なイメージ

ESFPと聞いて、どんなイメージを持つだろう?「明るい」「社交的」「ムードメーカー」といったポジティブな言葉が真っ先に浮かぶ人が多いだろう。一方で、「目立ちたがり屋」「自己中心的」といったネガティブな印象を抱く人も少なくない。どちらにしても、ESFPは「目立つタイプ」として知られている。

例えば、クラスや職場の中に一人、こんな人がいないだろうか。集まりやイベントの場では誰よりも早く行動して、みんなを盛り上げる役割を自然と担う人。少し退屈そうな空気になると、冗談を言って笑わせたり、積極的に話題を振ったりして場の雰囲気を変える人だ。自分から注目を集めるのが好きに見えるけれど、誰かを嫌な気持ちにさせることは少ない。むしろ、その場が明るく楽しくなることが多い。

こうした行動が「目立ちたがり」と見られるのも無理はない。派手な行動はどうしても目につきやすいからだ。でも、これをただの自己顕示欲と片付けるのは短絡的すぎる気がする。もしESFPの人が身近にいたら、目立つ行動の裏には「みんなが楽しめるようにしたい」「場を盛り上げたい」という気持ちが隠れているのではないかと感じるはずだ。

例えば、みんなでピクニックをするとして、誰も動かない場面を想像してほしい。お弁当を広げるのか、それともまずは写真を撮るのか、誰も特に何をするか決めていない。そんなとき、ESFPの人がいれば、たぶん「ここ座ろう!」「写真撮る?それとも食べちゃう?」なんて、ぱっと行動を起こしてみんなを巻き込むだろう。別にそれが「自分が注目されたいから」という理由だけではなく、「誰も困らないように」という思いやりが根底にあるように思える。

もちろん、こうした行動を「自己中心的」と見なす人もいるだろう。「わざわざ大きな声で仕切らなくてもいいのに」と思うかもしれない。けれど、実際にはそういう人がいるおかげで、なんとなく気まずくなりがちな空気が一変して、全員が楽に楽しめるようになる。ESFPの行動は、単なる「目立ちたい」という欲求よりも、むしろ周りの空気を良くするための優しさが含まれているように感じる。

INTJの私からすると、こうした行動は本当に不思議だ。自分が場を引っ張ることには消極的だし、そもそもそんなエネルギッシュに動ける自信がない。むしろ、一歩引いて場全体を観察し、「次に何が必要か」を静かに考えるのが得意だ。でも、ESFPのように自ら動いて場を和ませるスキルには素直に感心する。自分にはできない形の優しさがそこにあると感じる。

ESFPの「目立ちたがり」というイメージは、確かに目に見える行動から来ている。でも、その裏にある意図や考えを想像すると、表面的な解釈では見えない深い優しさが浮かび上がる気がする。この行動の背景を次の章でINTJの視点からさらに掘り下げてみたいと思う。

INTJ視点(真逆)から見るESFP

INTJとして、ESFPを見るとまず「全然違うタイプだな」と感じる。INTJは基本的に計画的で、感情を表に出すよりも内側で考えを整理していることが多い。一方で、ESFPはその場のノリや雰囲気に身を任せることが得意で、感情を惜しみなく表現するタイプだ。性格的には真逆とも言える二人だけど、だからこそ面白い発見がある。

例えば、ESFPは「とりあえずやってみる」というアプローチを好むように見える。大きなイベントでも細かい計画を立てるより、「その場で決めればいいじゃん」と動けるのが彼らだ。INTJとしては、この考え方に正直少しヒヤヒヤする。「ちゃんと準備しておかないと失敗するんじゃないか」とか、「それ、本当に上手くいくの?」と心配になる場面も多い。だけど、実際にはESFPはその柔軟性と即興力で大抵のことを乗り越えてしまう。結果を見て、「そんなやり方で上手くいくのか…」と感心することも多い。

逆にINTJは、ESFPにとって「なんでそこまで慎重になるの?」と思われることが多いだろう。INTJは物事を効率的に進めるためにあらかじめ計画を練り、最善策を選ぼうとする。でも、ESFPはそんなINTJを見て「もっとリラックスして楽しめばいいのに」と感じるかもしれない。この違いは、どちらが良い悪いという話ではなく、考え方の根本的な違いから来ているだけだ。

また、INTJにとって「目立つ」という行為は、どちらかと言えば避けたいものだ。目立つことで注目を集めると、ミスが目立ったり、責任が増えたりすることを嫌う。だから、ESFPが自分から進んで人の前に立つ姿を見ていると、「どうしてそんなことができるんだろう?」と驚き、時には「無謀だな」と感じることもある。でも、よくよく考えると、彼らは「注目を浴びるため」に目立っているわけではなく、「場を良い雰囲気にするため」に自然とそう振る舞っていることがわかる。

例えば、仲間内で集まっているときに、誰も何をするか決められずにいるとする。INTJとしては、「何をするか」を静かに考え、提案しようとするだろう。でも、ESFPの人がいたら、たぶんすぐに「これやろうよ!」とか「それより先にこれを片付けよう」と声を上げる。そして、その提案に全員がなんとなく従って場が進んでいく。INTJからすれば、このスピード感と即決力には驚かされるばかりだ。

INTJは物事を「効率的」に進めることを重視するけれど、ESFPは「楽しむこと」を重視する。この違いは根本的だけれど、どちらもその場にとって重要な価値だ。INTJとしては、ESFPが場を盛り上げてくれることで「自分があれこれ心配する必要がなくなる」と感じることもある。ある意味で、真逆のタイプだからこそ補い合える部分が多いのだろう。

結局のところ、ESFPの行動はINTJにとって「理解できない部分」が多い。しかし、その違いが新しい発見や感心につながることもある。特に「目立つ行動」の背景にある優しさや気遣いに気づいたとき、それはINTJには持ち得ない素晴らしい特徴だと認識できる。次の章では、この「目立つ行動」の裏にある優しさについて掘り下げていきたい。

「目立ちたい」の裏側にある優しさ

ESFPの「目立ちたい」という行動を、ただ自己顕示欲の発露として見るのは簡単だ。でも、それだけで片付けてしまうのは、彼らの本質を見逃している気がする。目立つ行動の裏側には、実は深い優しさが隠れているのではないか。少なくとも、INTJの私から見るとそう感じる。

まず、ESFPは「その場にいる人たちが楽しめること」を本能的に優先しているように見える。例えば、みんなが遠慮して沈黙している場面。INTJとしては「この空気をどう打開するべきか」と考え込むけれど、ESFPはそんなことを考える前に動き出している。「じゃあさ、こんな話しよう!」とか「これ食べてみて!」といった行動で場を和ませる。彼らにとっては、場の空気を明るくすることが自然で、考えなくても体が動いているように見える。

これを「目立ちたいだけ」と表面的に捉えるのはもったいない。むしろ、彼らが目立つのは「自分が率先して行動することで周囲が安心するから」ではないかと思うのだ。自分が注目を集めることで、他の人が気まずさや緊張から解放される。それは、ESFPにとっての「優しさの形」なのではないか。

例えば、休日に仲間同士で出かけるシチュエーションを想像してほしい。何をするか誰も決められず、なんとなく全員がスマホをいじり始めてしまう。そんなとき、ESFPがいれば「ねえ、これやってみない?」と軽く提案し、その場を動かしてくれるだろう。彼らの提案に全員が乗るかどうかは関係なく、その一言で「何かを決める」というプロセスがスタートする。これは、場の停滞を嫌い、「みんなが楽しめるようにしたい」という気遣いが自然に出た行動だと考えられる。

INTJの私からすると、こうした行動は「エネルギーが要りそうだな」と思ってしまう。自分から積極的に動くのは簡単ではないし、それが人のためだとしても消耗するだろうな、と。それでもESFPは、そういった行動をあえて「疲れる」とは感じさせない。むしろそれを楽しんでやっているように見えるから不思議だ。おそらく彼らにとって、周囲を楽しませること自体が大きな喜びであり、それが行動の原動力になっているのだろう。

さらに、ESFPの「目立つ行動」は、場の雰囲気を明るくするだけでなく、他の人が自由に動ける空間を作る役割も果たしている。例えば、全員がどう振る舞えばいいかわからない状況で、ESFPが最初に大きな声で冗談を言う。すると、その場に「リラックスしていいんだよ」という空気が流れ始める。彼らの目立つ行動が場のルールを緩和し、他の人たちの緊張をほぐしているのだ。

結局のところ、ESFPの「目立ちたい」という行動の裏には、単なる自己顕示欲では説明できない優しさが隠れている。それは「自分が楽しみたい」というよりも、「みんなが楽しく過ごせるように」という思いが原動力になっているように見える。INTJとしては、「自分にはとても真似できないな」と感心しつつ、その行動がどれだけ周りを助けているのかを改めて実感する。

ESFPの行動を「目立ちたがり」と表面的に片付けるのは、彼らの本質を見誤る原因になるだろう。彼らの行動を深く見つめれば、そこには「優しさ」や「思いやり」という、彼らなりの愛情表現が隠れていることに気づく。それがINTJの私にとっては、新しい価値観を学ぶきっかけになっている。


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