死は救済ではない。
希死念慮と共に苦しみ生きることが人である。
生まれた頃からそれほど明るい子ではなかった
真面目だったし、陰キャラと呼ばれる人種だったし、小学校の頃ではそれなりにイジられたりもした。別に思い出しもしないけど、時たまに痛む。
誰かに救われることを望んでいた。両親が救ってはくれなかったから。
父親は俺に優しかった。理解不能だったであろう俺の空想話を真面目に聞いてくれるたった1人の人物だった。ずっと尊敬している。そのおかげで今の俺がいる。
母親は俺に対して無関心だった。目に見える結果だけを見て、俺を見てはくれなかった。母親と目を見て話したことは片手で数えられるくらいしかないと思う。
母親は兄が好きだった。俺じゃなかった。
兄とは仲が良かった。歳が離れているのもあり、そんなに喧嘩もしなかった。テニスで全国に行った兄に、目に見える結果を残す兄にずっと憧れていた。場所が離れど、大切な人の1人。
姉とは仲は良いわけではなかった。
ひたすらに、愚直なまでに真面目な姉には、俺は不真面目で適当な人間に見えていたのだろう。そんな姉も結婚した。人の子だった。
中学3年生の時に父親が脳内出血で倒れた。
手術室に入っていく父親を見て、ずっと泣いた。俺の知っている父親がいなくなる気がした。
父親は死ななかった。
右半身麻痺と言語障害を残して生きた。
でも俺にはどうしても、今の父親が元気だった頃の父親と同じ風には思えなかった。
それが俺を一番苦しめた。
もう俺の言葉を一から十まで理解してくれる訳ではないことが、ずっとしんどかった。
だから音楽をはじめた。
言葉以外で届ける方法が音楽だった。
歌詞なんてなんでも良かった。ただ父親に俺がもがいて生きていることを届けられればそれで良かった。
死は救済ではない。生きることに意味がある。
明日のことを考えなくても良い。目の前のことを無視しても良い。洗濯物が溜まっても良い。ただ、今日もあなたがゆっくりと眠れますように