BFC6一回戦本戦の感想

全作品ではないのですが、感想(と、少し評っぽいもの)を書きました。

中川マルカ あいはむ
ゴマジとミヒカリの二人の感情と言葉のやりとりのなかに愛はあるのだな、と思いました。どこか一つを取ったり、途中で止まったりしては、もしかしたら愛ではなくなってしまうものかもしれないけれど、作品が導いているのは、安定、二人によって生み出される愛なのだと感じました。ゴマジとミヒカリの日々は、こんな風にずっと続いていくと、想像していました。

深澤うろこ あそこで鳩が燃えています
複数の事柄がひとりの人のなかに流れ込んできて、心をとどめて立ち止まりたいと思うのに、そうはなれない葛藤が描かれています。鳩が燃えている、という受け止め難い光景があると同時に、自分が生きるために食す秋茄子の温そばを食べるという行為を行なっている。終盤の心境の描写では、どの心境にも手放しで至ることのできないもどかしさが伝わってきました。

YEAHHHHH!!!!! 両目洞窟人間
異なる存在もの同士が繋がり合う時、その間に介在するのは何であろうか。白ねこのまち子さんと同じ団地に住む人間の柴田さんは、ある曲を流し、それを耳にし、そうして繋がり合った。ある曲を歌うボーカルの川島さんは亡くなっているが、それでもかつて「イエーーー!!!」と叫んだのである。誰かが存在したことを、個々に存在している誰かはそれぞれのなかで記憶していて、それは個々という境界はもちろん、生と死すらも越えて繋がり合うことができる。柴田さんはウクレレサークルに所属し、発表会で自分たちが奏でるウクレレで曲を演奏する。ウクレレの音と暴力的な音の組み合わせに疑問を抱いたまち子さんだったが、柴田さんは自分たちの音で、曲を再現することを諦めない言葉がその後に続く。自分たちの音は離さない。その上で曲に近づけていく工夫や技術、そしてそれを実現できる仲間とともに演奏するのだ。ここでも自分たちの音と奏でようとする曲の音との隔たりに対して繋げようとする努力が見られる。しかし、常に繋がり合うことを著者は肯定しない。それはウクレレサークルに入ることを勧められたまち子さんがきっぱりと断る一文でその姿勢を表現している。それで断絶されたかといえばそうではない。発表会の聴衆と演奏者という関係性で、立場は異なるけれども同じ場にいて共有する者たちとして描かれる。デデッ!!!という音は、まち子さんとボーカルの川島さんを繋ぐ存在にとどまるのだが、ラストではデェーデッ!!!という音をウクレレサークルの人たちは奏で、まち子さんはその音を発見した。ある曲とは別の曲ではあるが、同じグループが叫んだ、まち子さんの好きな曲だった。デデッ!!!の音と異なるのは、そこから先があるからだ。舞台上の柴田さんとまち子さんは笑い合い、叫び合う。その記憶があってはじめて、まち子さんと柴田さんは繋がり合うことができたのだ。

春泥 誰も愛さなかったから
愛されなかった、と思うわたしの、自分の身が朽ちていく過程とともに、犬に食らわれていくことが描かれています。わたしは朽ち果てるのだけれど、犬という誰かを愛している、と始まりの前から思うことができれば、違う結末になったのかもしれないと思いました。ただ、愛されなかったわたしが朽ちていく過程のなかでも、犬はどこか安心さがあってあたたかかったです。

岩月すみか まゆ子なんか嫌い
この作品で描かれているのは友愛で、あたたかな愛である、と私は読みたいです。手放しで、うおーって感じには読めないけれど、川のそばで夕陽に包まれながら、思いのたけを込めて殴り合って、そんで疲れて、わははーって感じで笑い合えるような作品だと思いました。友だちっていいな。

若山香帆 深く暗い森のなかにあらわれては消える湖があった それはわたしの湖だった
湖はあるもので、他者からも同様にあるものとしてあるのだけど、わたしと湖という他の何ものからも隔絶された関係性を描いている。身体性の伴った湖と関わりから出会い、そして一般的に開かれた湖との対比としてわたしの内面、わたしによる湖への関心、それはわたしが湖をどのように思い感じているかとともに密やかなわたししか知らない湖との思い出(秘密の出来事)がひっそりとしていて、より隔絶されたものであるという印象を伝える。
わたしと湖は現実的な距離によって引き離されるのだか距離というものではその結びつきを分かつことはできない、という著者の主張に行きつく。湖という現実のものとして存在し、そしてわたしの湖という現実からは見えないものとして存在させることもでき、その両義の存在として湖をモチーフとして描く。後者のわたしの湖であるとした時の存在の自由さは小説冒頭では不可思議なものの印象を与えたが、物語を経て終盤においては、何ものからも自由なわたしの湖が存在することに成功している。読者である私はこの湖がとてもすきだと思った。そしてその湖とともにいるわたしを肯定するわたしの夫という他者の存在に救われる。

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