反転 #古賀コン7

 フウコは夕方の廊下を歩いていた。未来学校1年A組の最終テストに落ちてしまってその補修としてドリルを解いていた。それはフウコ専用にタブレット端末がつくってくれた問題集だった。基礎をはじめ応用もたくさん詰まっている。フウコは基礎でかなりつまづいてしまって結局応用も解けずに、カバンにしまって家路につこうとしている。肩を落としながら廊下を歩きながらも夕方の日差しがオレンジ色でなんだか慰められているような気分だった。
 ふと歩いている時に別のクラスの教室に目を向けてみた。黒板から教室のうしろまでは全体になだらかなスロープになっていて最後列が少し上がった傾斜になっている。この未来学校での教室はどこもそうなっている。フウコが目に止めた教室では、その時にジーッと音が鳴って黒板の前にゆっくりと白いスクリーンが降りてくるところだった。それは授業のなかで「課外授業」として映像資料を見る時に使うスクリーンだった。そのスクリーンが夕方の時分に降りてくるのをフウコは驚きながら見つめていた。
 スクリーンが降りきるとロッカーの上に置かれたプロジェクターがビッと点いて映像が映し出される。教室のなかに入っていたフウコの目の前には、フウコと同い年くらいの女の子が映っていた。
 「どうも」とむすっとした顔で彼女はフウコに話しかけてきたので、フウコは「あ、はい」と戸惑った様子で返答する。「なんだか歯切れがわるいわね」と彼女はぶつくさ言った。「そっち、夕方」と彼女は言いながらフウコから視線をそらして聞く。「こっちは昼なのよ。ずっと昼」と彼女は窓の外を見てため息をつき、目を細めて眺めてからフウコに視線を戻す。「まぁ、それはよくて」と言ってから少し微笑みながら「ダンスを見てほしいんだけど」と彼女は言った。それから彼女はダンスの表を空中のウインドウに出してスクロールをしていた。フウコはそのままスクリーンに背を向けてロッカーの方へ歩いて行った。「あ、ちょっと」と彼女の声が聞こえたけれど、フウコはプロジェクターの電源をブツッと押して消した。

 「しょうがないわねぇ」

 足踏みをする。その不均等な間隔で鳴らされる音は自分にしか出せない。それはリズムだった。観客が集まってきているのだろうか、拍手と歓声が聞こえる。舞台袖で鳴らす音は好きに鳴らしていい。それは舞台袖なだけだということを知っている。その自分のリズムを鳴らしている時間が好きだった。
 ダンッ。
 照明が灯る。私はその照明がまぶしいと思った。そのまぶしさは私がはじめて舞台に上がった頃、その時に見た照明の光だと思った。その時は一緒に舞台に上がる仲間たちがいた。彼らはその光を覚えているだろうか、と私は思った。そう思い出したのは束の間のことで、私はこの舞台に集中をする。
 静寂は暗い海だなと思う。その時にひとりかもしれないと思うけれど、観客は拍手と歓声をやめ見守っているだけだ、と私は思って心を落ち着かせる。照明は私がダンスをはじめるのを見守りながら待っている。
 右足を伸ばし斜め前方へ、ゆっくりと床におろす。かかとからおろした足を膝を曲げて勢いをつけて爪先へ、そして地面を蹴る。そうやって飛んだ私は背中に羽が生えているような気分になる。なだらかな弧を描いて私はジャンプを続ける。斜めに駆けながら飛ぶのは池に波紋を描きながら飛ぶ鳥のことを思い浮かべる。
 ちょうど端まで行ってからしゃがむ。そこで風が止まる。私は左足を伸ばして円を描くようにしてターンをする。光を浴びていることもあって舞台からは観客のすがたをずっと見続けることは難しいのだけれど、ターンの際に背を向けた時、本当のひとりを感じる。その瞬間を何事もないようにダンスをするのが、私のダンスなのだ。
 私は階段を上がるように床を踏む。膝を曲げ、少しずつ伸ばして、そうやってからだを元の状態にまで戻していく。ひとつ踏むごとに音を鳴らしていくのだが、徐々に音を大きくする。私は初めに踏み出す一歩というのは音ではないと思う。鳴っているのか鳴っていないのか分からないくらいの音で、大きさも輪郭も曖昧だ。それでも一歩を踏み出し続けることで、地面の土が混じった雪の上を踏みしめるように確かに、そうやって一歩ずつ歩いていくことで、私は確かさを実感していく。端まで来る時の一歩は、歩いてきたかのように静かに足をおろした。
 少しの間、暗闇を見つめる。ひとつ息を吐く。私は舞台の中央に振り返って右手を伸ばす。ゆっくりと前に半円を描くようにして右手を上げて、からだの前で左の手のひらと合わせようと思うのだが、すれ違う。左手をそのまま真上に伸ばして、後にあった暗闇のなかに半円を描いて戻ってくる。その左手を右手は押し、外側へと押し出された左腕の反動で私はターンをした。
 周回してきた左手なのだが、右手は同じように前に半円、そして後にも半円を描いて、左手はなす術もなく私の胸のあたりを中心にぐるぐるとまわることを決めたようだった。私はその左手の回転に身をまかせるようにターンを繰り返す。両足はからだの真下で、つま先を忙しなく多様な方向に向けて、私のからだの回転を支えている。
 私はいったいどこへ行きたいと言うのだろうか。上半身だけが、というより手が自身の勝手な回転をはじめてしまって、それが繰り返されている。何のためにターンが必要なのか。そのことを見失いそうになった時に舞台の中央が目に入った。それから足元を見る。意味もなく同じような場所で足踏みをしているようだった。私は足に聞く。「まだ、踊り続けられるか」足は言う。「その気とならば」私は、どこへ行くのか。最後のターンをしながらも私は見ている。

 ダンッ!

 フウコは家に帰って自分の部屋でタブレット端末を閉じた。
 「これでドリルは終了。今日できなかったことはできるようになったし」
 フウコはドリルを青いフォルダにスワイプして保存した。
 「明日から行くところもあるんだし」
 フウコはそう言って白紙のテキストファイルを全画面表示にする。
 “新規”というファイル名がまぶしく見えた。

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