宝もののような瞬間を記したノート
古い手紙やノート類を整理していたら、末っ子6歳の時の保育園ノートを見つけた。
11年前、園の先生と毎日やりとりしていたノートである。
懐かしくページをめくる。
母親の私から、園の先生へのある1ページ。
ともき(息子の名)は昨夕、ひとりでうんちして、流しながら、
「じゃあね」とうんちに別れを告げてました。
いつもやっているらしいです。
こんなことがあったなんて、すっかり忘れていた。
息子が自分の分身にサヨナラしている光景を目にして、わたしは、
「なんてほほえましい、すてきな瞬間なんだろう」と感じ、園の先生に伝えたくなったのだろう。
その子は現在、高校2年生。
おはようと声をかけても無視されるし、学校や部活のことを聞いても全然教えてくれず、たいへん無愛想だ。
日々過ごしている子どもの姿が毎日上書きされていき、
かつての無邪気な姿は、記憶倉庫のすみっこに追いやられていた。
乳幼児の子育てをしていた頃は、自分の時間が少なく、
心身ともにきつかったが、子どもの面白さ、かわいさに
胸キュンしていた日々だった。
みんな、ママ! ママ! と言って寄ってきたし。
今や子供たち、主に出資して欲しい時だけ寄ってくる。
振り返れば黄金期だったなあ。
そんなことを思い起こさせてくれたノートだった。
(タイトルの写真は保育園ノートの頃の、稲刈り参加時のもの。
この田んぼは、道路になってしまって今はもうない)