自分史②〜中学生時代、コミュ障の片鱗〜

②中学生時代

前の記事で、小学校時代の初恋で拗らせて普通の人間関係では満足できなくなったと書いたが、中学校時代にはそこまで大きな影響は出ていなかった。小学校を卒業してから3年だけの期間であるため、小学生の精神レベルに毛が生えた程度だからだ。

というわけで入学してからも友達作りに困ることはなかったし、人付き合いを苦痛に感じるということも無かった。
ただ、この頃から今につながるコミュ障の片鱗は見えていたのかもしれない。

まず、自分は友達と2人きりでいるということが苦手だった。
この頃は今みたいに友達と話が繋がらない、話題が続かないというようなことはあまり無かったのだが、それでも時々はそのようなことが生じる。3人以上でいる時は場が無言になるということはなかったが、2人でいると度々そのような状態になる。
普通の人だったら気にならないのだろうが、自分は前述した「人間関係における理想」に囚われていたので、「少しでも話が繋がらなくて気まずい状態になる→その友人とは完全な人間関係ではない」という風に考えてしまうのである。
その友達とは仲良くしたいのに、今の関係は自分の理想とは違う、ということを認識するのが苦痛だった。

これに加えて、厨二病的な思想も持ち合わせていたので、「特別な存在になりたい→他の人のことを考えず、自分のやりたいようにやるのがかっこいい」と考えるようになった。
この思想のおかげで、友達からは協調性がないやつと思われていたに違いない。

自分はカラオケが苦手だった。歌うのが得意じゃないし、他の人が歌っているのを聴いてても特に楽しいとは思えなかった。
普通の人ならばそれでも誘われたら友達付き合いとして行くのだろうが、自分は「人間関係における理想」(嫌々友達と出かけるなんて、完全な友人関係ではない。完全な友人関係ならば、その友達と何かをするのが楽しくないということはあってはならない)と「厨二病思想」(友達付き合いとして何かするなんてカッコ悪い、自分が嫌なものはやらない)のおかげで、一回行ったきりで、その後友達とカラオケに行く、という経験はしたことがない。

また、友達とLINEもほとんどしたことがないし(完全な人間関係ならリアルで話せば良いし、テキストで話すのが億劫だったからやりたくない)、みんなやっている流行りのゲームも、面白くなければいつも少し触ってすぐ辞めてしまった(完全な人間関係ならゲームという共通の趣味がなくても付き合っていけるはずだし、友達付き合いでやるのも嫌)。

こんなことを続けていたら、次第に遊びに誘われなくなるし、友達グループでも自分とそれ以外とで親密度の差が生まれてくる。
それでも、教室で会ったら仲良く喋れるし、同じ部活のグループなのでなんだかんだで仲良くしていた。

また、勉強面では特にこれと言ったエピソードもなく、友達と同じ塾に通って、落ちこぼれることもなく平均的な成績をキープしていた。(強いて言えば、英語が得意だった)

しかし、そんな生活に終止符を打ち、その後の人生に決定的な影響をもたらしたのが、中学3年生の終わり頃に発生した、コロナ禍である。

(高校生編に続く)


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