自分史④〜東大受験編〜

④高校編(後半)

前回の記事ではコロナ禍の鬱々とした自分の体験を書いてきたが、時間が経つとともにコロナも収束し、次第にいつも通りの学校生活を送れるようになってきた。
唯一変わった点としては、友達とほとんどコミュニケーションを取らなくなったことが挙げられる。コロナ禍を経て人との直接的なコミュニケーションが無くても苦痛でなくなり、むしろそれが億劫になってしまった自分は、以降今に至るまで家族以外の人間と会話をした機会が数えられる程度になってしまった。人付き合いでお困りの方は、一度人間関係を断捨離してみてはいかがだろうか。(なお、一定の確率で死ぬ模様)

それはさておき、月日は流れ、いよいよ自分も高校三年生になった。自分の通っていた高校はいわゆる進学校だったので、高三になると周りは一気に受験モードになる。かくいう私もそろそろ志望校を考え始めるのだが、この時期の志望校は東大、ではなく一橋であった。
うちの高校は一学年あたり300人くらいの生徒がいて、そのうち上位60位程度に入れれば東大には現役で行ける、と噂されていた。しかし、私は当時100位付近をうろついており、現役で東大に行けるかどうかは怪しいラインだったのだ。加えて、コロナ禍中に「これから受験勉強するのが嫌だから」という理由で死ぬ一歩手前に行ったくらい勉強したくなかったので、浪人だけは避けたかった。

というわけで、夏休みから駿台の一橋対策の夏期講習をとりまくり、勉強を開始するのであった。

中学受験が終わって以来、学校や塾の授業こそある程度聞いていたものの、自主的に机に向かって勉強するのは定期テストの一週間前だけ、という有様だったので、塾で勉強していた英語と数学はそこそこの成績だったが、そのほかの教科、特に社会(世界史・地理選択)が壊滅的であった。
テスト前に詰め込んで終わったら全て忘れる、を繰り返してきたので当然ゼロからのスタートであり、勉強をし始めた時は古代ローマと古代ギリシャが同じ国だと思っていたし、アマゾン川はアフリカ大陸にあるものだと勘違いしていたレベルだった。

今でも覚えているが、夏休みが始まる7月11日、さあ受験勉強を開始するぞ、と意気込んで塾の自習室に向かい、やる気満々で世界史の教科書の1ページ目から順に読んで行ったが、10ページ目くらいまで来るとすでにやる気をなくし、これから自分は受験勉強をやっていけるのだろうかと途方に暮れる、ということがあった。

そんなこんなで色々と模索しながら勉強して行くうちに、それまであった勉強に対する拒絶反応も薄れてきて(食わず嫌いだったようだ)、自分なりの勉強方法を編み出すことができた。

そして、親に勧められて行った一橋のオープンキャンパスで「なんか自分には合わないな」と感じた(家から遠かったのもある)ことがきっかけで、志望校を東大に変更する。
お試しで受けた駿台の夏の東大模試がC判定だったことで、自信がついてきたことも志望校の変更を後押しした。
ちなみに、このC判定は文科三類の区分のもので、文二を選ぶとD判定になるくらいギリギリだった。駿台のチューターに「なんか耐えたねw」と笑われたことを今でも覚えている。また、この時の世界史の点数が3点だった。

その後も勉強を続け、秋の駿台の東大模試はA判定を取ることができた。
これがかなり大きな自信となり、「自分はこのまま勉強していれば合格できる」という精神的安定を獲得する。

そしてそのままの勢いで突っ走り、無事東大に合格したというわけである。

イキリ開示

受験を通して、自分は退屈が嫌いなんだなということを学んだ。
思えばコロナ禍にあれだけ精神が不安定だったのも、なにか「やること」がなかったからかもしれない。端的に言って、「生きる意味」がわからなかったのだ。
それが受験期間になると、もちろん勉強が苦しい時もあったが、コロナ禍の時のような、「生きる意味」がわからないような実存的な不安を抱えることは無くなった。合格という目の前の目標に向かってひたむきに勉強することが、私にとっての「生きる意味」となったのだ。

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