小説・現代の公事宿覚書-腹の虫13.

樋口は椅子に座り、だらりと足を延ばしている。すると突然、憤懣やるかたないという様子で言った。
「あの石原節子のことですか? 怪しからん奴だ、石原というやつは」
「……」
「私のところに電話をかけてきて、俺の女房を寝取ったな、泥棒猫め、と言われたんだ」
樋口はその時のことを思い出すのか、じろりと伊達のほうを見た。
「すみません、本人がそんな電話をかけるなんて……」と伊達は謝った。
自分のほうから樋口に接触するから、石原からは連絡することはしないでくれ、ということを言っておいたのに、なんという男だ、頼んだ弁護士のいうことを聞かないで、と腹が立ってきた。
「ところで、何ですか、用件というのは?」
まだ石原の言い方に腹を立てているようである。
言い方が尖がっているが、伊達は樋口が核心に迫ったので言った。
「あなたが不倫をして、石原一郎さんに迷惑をかけたので慰謝料を払っていただきたい」
「迷惑をかけただと、迷惑をかけられたのは私の方だ。あの女に誘われたんだよ。不倫だなんてとんでもないことをいう奴だ」
と伊達に殴りかかりそうな勢いである。
「……」
「慰謝料はいくらだ、いくら支払えば良いんだ?」
慰謝料を支払わないと言うと思ったが、具体額を聞いてくるとはどういうことだ、と伊達の頭はこんがらかった。
「五百万円、支払ってもらいたい」
とても五百万円という金額を出しそうにないと考えたが、依頼者の要求を伝えないわけにはゆかないので、相手の思惑を考えないで口に出した。
「五百万円でよいのか、それだけか?」(つづく)

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伊藤博峰
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