六本木の思い出
昔のお話。
外苑東通り沿いの、今はもう無いビルのてっぺんに実家が有りました。1970年あたりの建物で、当時はそこから富士山が見えたらしい。
近所に鶏飼ってるビルがあったり、ご高齢の御夫婦が毎朝焼いてるパン屋があったりと、牧歌的な要素も多かったんでそう特殊な環境とは思ってませんでした。正月あたりは車道に大の字で寝れるぐらい閑散としてたし。まだコンビニとか無い時代ね。
防衛庁の裏の檜町公園でよく遊んでた。今のあの公園とはぜんぜん違う雰囲気。そこそこ広い空き地があったからか、テレビの撮影はよく見たな。
小さいゲームセンターが確か3軒あった。六本木通りと外苑東通りと裏のスクエアビル。ホテルアイビスの中にもゲームコーナーがあって、家族で食事に行った時にやらせてもらってた。だいぶ後になってgigoができたんだっけ。
確か衆楽堂という名前だったと思うけど、六本木通りにレコード屋があってよく覗きに行ってた。CD普及前。
青山ブックセンター(80年)とWAVE(83年)の開店は自分的にはかなり大きい出来事で、とにかくその2箇所をふらふらしていた記憶がある。WAVEの4階あたりにちょっと毛色の変わった一角があり、今思えばアール・ヴィヴァンだったんじゃないかと思うんですが、あるもの全てが正体不明で刺激的でした。
テレビで「警視庁潜入24時」的な番組を見てたら、終了間際に「六本木で事故が」みたいなリアルタイム中継になって、何だなんだと見下ろしたらサイレン鳴らした救急車やパトカーが集まってて、それがトゥーリアの事故でしたね。これはなんだかよく覚えてる。
25歳ぐらいまで実家暮らしだったのでそこまでは六本木の人だったけど、遊びに行く街ではなく帰ってくる街という認識だったので、いわゆる盛り場としての側面はほとんど知らない。そんなに夜遊びしてなかったし。とはいえ一歩引いた目で客観的に考えると、よくあの環境で人生踏み外さなかったなと思います。
今でもたまに用事で行くことはあるけど、どんどん変わっていくのでもう他人という感じですね。寺とか墓はまだ残ってるし知人も少しいるから、完全に縁が切れるわけではないけどね。
画像はgoogle上に残ってる実家のデータ。手元に写真とか全然ないや。