憶録2013/9 NEW YORK③
3日目、
もちろん身体の状態はよくならず、
またもアメリカで1人病院へ行くことに。
調べてもらった病院の住所が書かれた
紙切れを渡されいってらっしゃい!と。
NYのど真ん中で1人放り出された、まただ。
くたびれたパーカーを着た具合が悪そうなアジア人、
もちろんタクシーは止まらない、
隣で手を挙げたニューヨーカーを乗せて走り去っていく、まったく捕まらない。
NYは歩ける、幸い、SFと違って歩ける、
永遠に捕まえられる気がしないので歩くことにした、
なぜか地下鉄に乗るということを一切考えていなかった、後から知ったが7thから2ndまで歩いたようだ。
日本人がやっているお医者さんを見つけてくれたので安心安全の日本語コミュニケーション、採血からなにから一通りの検査をして例の如く大量のお薬をもらい終了。
祈さんとの待ち合わせだ、
じゃ、パラゴンの前で待ち合わせな、
なにを言ってるかわからない、
パラゴンはなんだ?
ユニオンスクエア近くのスポーツショップだった。
颯爽と現れた祈さん、
かっこいい、この街の風景、雑多な街が似合う。
いろいろ歩き回り買い物してBBQ食べて
去り際はまたな、の一言。
夜はニューヨークということでエンターテイメントヘ。
その当時ものすごく流行っていたやつだったようでぜんぜんチケット取れないんだぞと。
暗闇、爆音の中みんなが踊りまくりながら発泡スチロールのような板でブン殴られる、めでたく一緒に行った仲間も選ばれブン殴られていた、全く意味がわかないがみんな大盛り上がりだ、そんな中大変申し訳ないのだがこちらは足が痛い、とにかく痛いので隅っこに退避、
あれがなんだったのか誰か知ってる人がいたら教えてほしい。
苦痛な大エンターテイメントを終えチャイナタウンへ、
こちらも大変申し訳ないがあまり記憶がない、、
飲み行く組と帰る組に分かれ終了。
気の持ちようだなと思いながらも歩き方が変になってしまってるせいで余計に疲れかなりハードな一日となった、ベッドは相変わらずダブルのままだ。
得体の知れない病人とともに寝るのは後から聞いたらやはりきつかったと、そりゃそうだ。