憶録2010/4 SAN FRANCISCO②
注射を打って調子が上がってきたこともあり、
その足でジャパンタウンへ。
なぜなら母の妹、おばさんのお店があるからだ。
兄弟の中でも変わり者の方のようで結婚してずっとこっちに住んでるのは知っていた、その方がコーヒーショップをやってるということで母に連絡を入れてもらい突撃。
おそらく25年ぶりくらいの再会、
年の功か久しぶりを感じさせない通常運転、
もろもろ説明するとお粥やおかずなど作り出す、
それを持ってホテルまで送ってもらいながら同じ年の娘さんの話に。
ベルリンに住んでるらしい、仲良くしておけばよかった。
初日は記憶には残ったが記録は何も残せなていなく、
暗い街の印象通りの初めてのサンフランシスコでした、
翌日は快進撃だった、はず。
ようやくみんなと視察へ。
まずはフィッシャーマンズワーフ、
近くのマーケットも散策しわかりやすく
サンフランシスコを感じながら
HEATH CERAMICS、MOLLUSKへドライブからの
MISSIONエリアで買物してからのZuni Cafe。
あの橋を渡ってバークレーへ。
これぞアメリカ、という大型スーパーでようやくお土産を買って散財?できた。
夜のいかがわしいエリアを散策した後はは近場のレストランでディナー、道中ほとんど飲んでなかったのでがんばってたくさん飲んだ記憶、痛みもなく平和な1日。
最終日空港までの道中なぜかツインピークスへ、
念願の初の海外、アメリカ、これで旅は終わり。
自分にとって記憶に残る旅だったのは言うまでもない。
とにかく面倒くさがりであり自分の興味のあるものにしか興味のない自分が人のアテンドで連れ回され(悪い意味ではない)、未知のことに対して動かざるを得ない状況に放り込まれどうにかしないといけないという、なぜこの歳までそんなこともやってこなかったんだ、知ろうとしなかったんだと今の歳になってもこの時の記憶を鮮明に覚えているのは後悔したから。自由に我慢なく生きて後悔なく生きてるつもりがこれだけは後悔している、もっと早く行けばよかったと。
見る聞く調べるだけでは得れないことはたくさんある、当たり前だが実感できたのは自分にとってはとても大きく後の考え方や行動に大きく影響した、なので歯痛で悶絶したことはよしとする、と言いたいところだが正直そうは思っていない、あんなのもう無理。
必ずリベンジするという決意と共に、
帰国後1年かけて全ての虫歯を治療しました。