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1日心が逡巡し続けて、落ち着かない日でした。
今日は心がぐるぐると渦巻いて、中身がこぼれそうでした。
一杯一杯で、心の中身が溢れそうだったと言う例えです。
あらぬ考えが湧いてきて、やるべきことをやれずにいたと言う感じです。
今少し落ち着いてきて、開き直ったと言うか、生きてりゃいいか、と言う感じになったのですが、本当に生きてて良いのか?くらいの精神状態でした。
病んでるな。
でも仕方がないと言えばそれまでで、生きてるだけで丸儲けという感じが今の心理状態です。
生きるために努力をしていない段階で、まだ先のことを考えることはないのです。
まだやれることをやっていないのに、今の状態だけで判断を早まることはないのだと思っています。
独学じゃ難しいとわかったところで、じゃあ本当に無理なのか?ということはあるにしても、やれることをやって判断しているのかというと、そんなことはない訳です。
できることはまだまだある。
独学じゃむずい?と思いつつ、それでもやれていないことばかりだ。
やってやり尽くしてから悩めばいいのだろうと思うのです。
それより、今日は寅の日だということなのに、ましてや大安でもあるというのに、何処にも行かなかったことの方が良くない。
何の行動もしていないという意味で思うのです。
本当に今日は何処にも行かず、何もせず、で終わってしまいそうだ。
今からでもやれることをやるしかない。
noteに書く内容を考えよう。
ただの自分の思いつきだけ書いていたら、日記と同じだ。
いや、それでいいのかも知れなかったり、とも思う。
別に収益化を第一にnoteを書いている気がないのだから、好きにすればいいだけです。
ちょっとは収益化に向けて考えてもいいのかも知れないにしても、こだわりすぎることもない、気がする。
そう、何事にしても、こだわり過ぎてもロクなことはない訳です。
一つの生き方に行き詰まったとして、だからって全部ダメになるわけではない。
心理的に一杯一杯な状況というのは、一つのことにこだわりすぎて、それがダメになったら?と考えるから起きたことなような気がします。
やれることをやって行く、という前提で、一つのことに囚われ過ぎても仕方がないと、いい意味で開き直って生きたらいい。
前を向いて生きていきたいのは、後戻りしたくないからだから。
戻るとして警備員しか仕事がないとしたら困るから、それだけは嫌だから頑張るしかないのです。
まあ今からできるのは経験上清掃員くらいだろうけれど、それすらも嫌だったりするのだから。
今生き永らえていられる幸せはある訳です。
幸にして大した病気(身体的なもの)にもかからず、ただ精神的に脆すぎる今を生きているということはあるけれども、日常生活を普通にこなせてはいる訳です。
だから何も悲観的になる必要はない。
努めて平常心を保って、無駄に神経をすり減らすことなく生きていけばいい。