今日の映画制作に至るまで①
こんにちは。宇治茶です。
僕は大学の卒業制作でゲキメーションという映像制作を初めてから、ほとんどその手法だけでこの15年間を生きてきました。
僕は2009年に京都嵯峨芸術大学卒業後、先生の紹介である染色作家に弟子入りしていましたが、作家業と関係のない雑用や作家先生の接待の手伝いばかりしなければいけない環境にどうしても馴染めず、たったひと月で辞めてしまいました。
それから数ヶ月は大学生の頃から続けていた映像制作を自主的に行いながら、ビデオレンタル店でアルバイトをして過ごしました。
その期間中はとにかく朝から晩まで、家で映画のDVDを片っ端からみてみてみまくっていました。
一日4〜5本は当たり前。
その時は年に400〜500本の映画をみていたのではないでしょうか。
そのビデオ店で働いている最中に、某映画の試写会に来ないか?と、のちに私の映画のプロデューサーとなる大学の大先輩A氏から誘われました。
そこでみた映画は大して面白くはありませんでしたが、そこに来ていた映像業界のM氏やN氏を紹介していただき、そこからなんと映画を作るという話になりました。
A氏は私の大学生の頃の映像作品をみて、気にかけてくれていたのです。
(余談ですが、その時になぜか僕の作品も上映していただき、樋口真嗣監督にもその作品をみていただけました。)
そこから本格的にお仕事としての映像制作に入っていくことになるのですが、まず初めの打ち合わせの日、あの出来事が起こったのです。
それは日本人なら誰も忘れることができないあの日。2011年3月11日のことでした。
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