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恋するまちづくり in大津 #01

#01 元田栄三さん(大津曳山連盟 顧問)

旧大津公会堂メディアチームが送る新企画「恋するまちづくり in大津」がスタートします!
この企画では大津のまちづくりに情熱を注ぐ人々にインタビューし、その魅力や思いを深掘りしていきます。
記念すべき第1回のゲストは、 大津曳山展示館で顧問を務める元田栄三さんです!。
街への熱い想いと、その背後にある物語を一緒に探っていきましょう!

プロフィール
法人名:特定非営利活動法人大津祭曳山連盟
特定非営利活動法人大津祭曳山連盟 | NPO法人ポータルサイト - 内閣府
役職:代表者
名前:元田栄三

-元田さんの人生史を教えてください。
元田:
僕らの昭和24年生まれというのは、団塊の世代で人口が多かった。特に23年が一番多く、その次に我々24年が多かった。
「大学受験は大変なことになるよ」という噂されていた時代だよ。
それで先に立命館に高校から入学していた。

大学の学生時代にボウリング場のアルバイト行ったわけよ。これは、琵琶湖汽船の後援者が運営したボウリング場でした。
そんな経緯で地元の大津祭も含めてやってきたわけよ。
大津祭は特に9歳からやっているの。 50年間上で、それ終わった後、下のお手伝いをしていて。 そしたら曳山の方に引っ張り込まれて。 まあ、最後に理事長までやらしてもらったということです。
大津祭は今、国の重要無形民族文化財に指定されています。
大津祭いうと、もうとにかく大津祭を通じて、大津の街のことを知って欲しくて、色んなことを小学生の子供たちにも教えに行ったりしています。

そのボウリング場から琵琶湖汽船に入って、 琵琶湖汽船の船の船舶の仕事をずっとやっていました。
当時、四国に瀬戸大橋ってできたでしょ。その時に京阪電車がその下で、フィッシャーマンズワーフという事業をやっていました。 その事業で、琵琶湖汽船の社長が四国でもその事業をやるのでって、僕も引っ張り込まれて四国に行った。
四国で何をしていたかと言うと、物産屋。お土産物屋です。 ここで約5年、船の仕事じゃない、物産の仕事をやっていた。
なんで物産の仕事をやっていたというとね、そのミシガンを作った社長がものすごい大物の社長で、発想がものすごい豊かなんやわ。

あれ(ミシガン)の発想の原点がね、キーワードは、 「異環境」
異なる環境。 人はなぜ旅をするのか。なぜ海外へ行くのか。
それは、異環境を求めているからやろということでした。
キーワードは「異環境」です。

じゃあ本物のアメリカを持ってこようということから(ミシガンは)スタートした。
だから船自身は日立造船で作ったけれども 、その中のソフトとかいうのは、アメリカの学生、学校と提携したわけ。 ミシガン州のランシングの中にある短期大学のプログラムの一環で、このミシガンの中のサービスをやっています。 会社はその見返りとして、住居の提供とか、 それから日本の勉強やらを色々応援していた。

そういう社長が今度四国で事業をやった。 僕にとっては全く違う、畑違いの仕事やったよね。 社長に、「なぜ僕がしますねん。」って聞いたわけ。 こう言うんだね。
「異環境と同じことや。わしがここで求めてるのは非日常や。土産というのは、非日常を求めている。だから知らんお前がせえ。」って言われた。
もう悩んで悩んだ。やっぱりね、悩んで答え出したら答えがね、あの来る人(旅行者)は僕らと同じ一般の学生やと。 だから、自分たちが良い思うのを完璧に提供すればええわ、ということでやりだしたわけね。
だから全部口に入れて。 1人は無理やから4、5人を呼んで投票させて、それで商品決めていった。
"みやげ"っていうのは"土産"って書くでしょ。"土から産まれる"。
やっぱりその地で生まれ育ったものが出ないと、土産とは言えないっていうことが僕は分かったわけ。
全国でパッケージだけ書いて流してる商品があるんけよ。それは全部廃止した。 僕が何も知らないからできたわけです。 その社長が僕にやれっていう意味はそこでわかったのです。
この事業でね、売店、僕の担当でね、年商60億。すごい数が売れたのです。

それで四国から帰ってきて、大津というところは非常に土産が貧弱というか。
大津の土産って何?って言われて答えられる人はいない。それでいろいろまちづくりをしていこうと。
琵琶湖汽船を引退してからまちづくり大津っていう会社に入っていた。
その時にいろんなことやっていた。まちづくりとか、協力して案内したりな。ガイドをしたり。
今言った土産はこれ(大津百町百福物語)を作り上げた。ブランド化を図ろうとね。
百町百福という商業登録をまちづくり大津でとったわけ。で認定していこうとスタートしたところ、商工会議所がその事業を一緒にやらせてくれと言うことで、商工会議所に運営全部やってもらおうと。 1年間は(広い)認知に宛てた。
最初スタートはこの豆を売っていた。 こういうものができていって、大津の土産は何がいいと言われた時は、「百町百福物語の認定品から選ばれたとは間違いないんですよ。」というものが出来上がっていった。 デザインもみんなまち歩きの時にやってもらったりね。

百というのはよく中国で出てくるじゃん。"百福"というのは。
これな、これ("百福"という字を)ひっくり返してごらん。百が何に見える?グラスに見えるでしょ。福がグラスに入っていく。 中華料理屋さんに行ったら福という字をひっくり返してるの。 あれ中国で縁起が良いとされている。百を揃えることも縁起が良いとされている。
そこからヒントを得て"百町百福"と。 実際、大津百町という、昔から出来上がっていった町かあるからね。百町と百福とを引き付けた。 このデザインはそういうことでできた。
だから四国で勉強してきたことを、こうやってやっと(発揮)出来たということだね。
まあ四国にいる時は、もう売る立場でしたからね。あんまり商品作ることは出来ない立場でした。

-おすすめのお土産紹介をお願いします。
元田:
僕はもうまちづくり大津を辞めたので、今は商品を作っている。
「ビワサクレ」
新しい土産を作りました。 九重味噌を使った、サブレでもない、クッキーでもない"サクレ"という造語を作ったの。
今こういうのもやってる。 紫式部のパッケージ。 認定されたらシールもつく。

僕はまちづくり大津を辞めたから、もう商品を考えたろう思って、今、社会福祉の事業でやってもらって。
「近江商人の三方よし」。
"売り手によし、買い手によし、世間によし。"
これは、まさに"世間によし"。福祉に繋がるでしょ。
普通作って売ってはるところは"売り手によし"、"買い手によし"。 自分が儲けるためにやっているから、"世間によし"になるわけないの。基本的に。
ここは違うぞ、うちは。 福祉に役立ちますよ、って。
たった2年目にね、小学校の学校の給食に使ってもらった。 そのことを言うたよ。(小学校への)プレゼンで。 うちは「近江商人の三方よし」を子供たちに教えてほしいって。

-大津の街に恋する理由はなんですか。
元田:
要はね、人間関係ができてくると、そこは自分の居場所になるわけ。
僕は大津生まれ育ちだけど、四国に行っている。 四国はやっぱり、第2の故郷って言えるくらい、人間関係はできたから、自分の居場所ができたから。もう帰りたくなくなったもん。
人の繋がりで、自分の立ち位置というのが出来た。
人との繋がりって、ものすごく大事だよ。 それが一番大事なところだと思う。
この町は特に大津というのは、生まれ育っているけど、路地、路地って知っている? (路地)文化が非常に発達していたよ。
僕ら生まれ育ったこの頃には、路地の中で人間関係とかもあった。 地蔵盆とかあったら、劇をしたりとか、通りの人たちと一緒に工事したりとか、その通りに共用の井戸があったりとか。 そういう文化が、特に大津はあった。 人のつながりが非常に強い。
それと祭。人間関係が構築されている。
だから大津、中学・小学校の運動会なんかに、太鼓持ち出して、どんどんやるじゃん。 そんなにぎやかな運動会、普通あらへん。 応援団の表彰まであった。
それだけ人間関係が繋がっていた。

-未来の大津への想いを聞かせてください。
元田:
今の子どもたちが、何を求めているかというと、やっぱりアナログな世界よ。
人と人、触れ合うものっていうのは、ものすごく人集まるのだよ。
例えば、ヨーヨー釣りしたり、射的だったりとか、アナログな世界でしょ。 そんなものにね、凄く人が集まる。
この商店街の、出たとこにある野菜売っとるでしょ。あそこの、大津の料理を知っているやつが、ここでイベントをしたいって言っていて。 何かその、展示館の前の空きスペースで何かしたいんだけど、意見無いって言っていて。
でも僕がそれをやれって言ったの。 なんとね、子ども250人も来たんね。 やっぱりこの商店街に、マンションに住んでいる人たちが集まって来てもらうことは、1つの目的にするべきやつやね。 すごい人来たんや。 なんでやと思う? そのヨーヨーとか射的とか。そんなことやっているわけよ。
昔の僕らしたら、なんでこんなものに興味があるのかなと思うぐらいなんやけど、 今の子どもたちは、人と触れることはやっぱり、人と会話することを求めているというのを強く感じるね。
家で1人でね、パソコンとか、ゲームでやっていると、人に話して、人と会わせたりとか、人に反発したりとか、そんなことはせんでしょ。 だから、そういうものに興味持っているのちゃうかな、ってのを今、感じているとこ。
やっぱり人は1人では生きていけない。

現代は、家でいる時間とか増えている気がします。ゲームとか流行ったりして。 外に出て、他の人と触れ合うほうが良い。絶対に、それに興味持っているということやもんね。(その時、展示会の)下でも、サッカーとかしていました。 初対面の子ども同士とかでも、話し合って、 試そうって。
ああいうものがやっぱり、求められているっていうのは、感じるね。
これからそういうことを、重視していかなあかんちゃうかな、(そういうことを)やる場合はね。

これまた日常になってしまう。 今の日常になってしまうと、また飽きられてしまう。この辺が難しくなるけど。 やっぱり、非日常っていうのに、人は集まる。 「異環境」とか、あの言葉は、何にでも適用できる。

ミシガン作った社長が最後に残した言葉が、
「歴史に勝る観光なし」。
どういうことかというと、 ミシガン作った時、人ものすごく来た。
でもやっぱり、年々経つと色褪せてくるわけや。
歴史は絶対に褪せん。だから、「歴史に勝る観光なし」。
そういうことを、残しはって。ああ、なるほどって、思った。 面白い。歴史は面白い。確かに面白い。
だから、外国の人が来てくれるようになったら、いいけどな。そういう、歴史の案内の仕方ができるといいけどな。

いかがでしたか?大津で生まれ育ち、四国で培ったノウハウを活用し、現在も尚、大津でのまちづくりに貢献されている姿はとても魅力的です。
まちづくりに情熱を注ぐ方を紹介する「恋するまちづくり in大津」の次回更新もお楽しみに!

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