尾崎が重視した一般投票とは何か~ふたつの「政治読本」から学ぶ~
【はじめに】
一般投票とは何か。尾崎行雄はこう表現している。
「ある限定された問題の可否を全国有権者の投票によって直接に表決させる方法」。
つまりここで言う一般投票とは、憲法改正以外の国民投票のことである。
衆議院憲法審査会では「憲法改正国民投票以外の個別の具体的な国家政策に対して行う国民投票を一般的国民投票と表現」しているが、正式呼称はないため尾崎の表現に合わせ文中でも一般投票とした。
本稿は、尾崎が重視していた「国民の意思表示=一般投票」について、尾崎の書籍から抜粋している。これは一般投票について読者が考えるきっかけとなり、ひいては国民的議論になることを期待してのことだ。
選挙だけではなく、国の重大問題こそ一般投票を行い国民の意思を示すことが、世界の常識であることを知ってほしいと思っている。
【一般投票を行うべき政策とは】
東日本大震災による原発事故の後、急速に再生可能エネルギーへの転換が始まり、環境影響調査無く全国にメガソーラーが作られた。森林破壊のみならず、豪雨による土砂災害の引き金になっている例もあるなど、全国各地の建設地域で大問題になった。
2020年4月1日に施行され環境影響評価法施行令の一部を改正する政令で、ようやく太陽電池発電所の設置又は変更の工事の事業が、法律の対象事業に追加されたことや、2022年4月から施行される改正地球温暖化対策推進法で、当該地域における事業に行政が係れるようになったことなど多少の前進はある。
しかし、それぞれの地域で起こる様々なトラブルは、必ずと言っていいほど法の目をかいくぐるというもので、先に書いたように既に全国各地で大問題になってからの対処的なものだ。
こういうことが起こったとき、国民発議による一般投票ができればもっと早い段階で法改正ができたかもしれない。
何よりも大切なことは、一般投票の制度があれば、投票までの間に国民側が大いに議論ができることにある。自分たちが暮らす日本のエネルギー問題を、しっかりと考えるチャンスがあるということなのだ。
水道事業の問題も取り上げたい。
2018年に水道法が改正され、いわゆる「水道事業の民営化」が始まった。
水道事業というのは地方公共団体の公営企業として特別会計になっており、ルール上は独立採算が求められている。
しかし、人口減少による水道使用量の減少と、法定耐用年数を超えた水道管の更新、耐震化費用など、水道事業を取り巻く環境は今後益々厳しくなっていく。
そんな切羽詰まった中で、運営権を民間に売却する「水道事業の一部民営化」ができるようになった。
普通に考えれば民間企業は、採算性や利益を度外視した水道料金の設定は行わないだろうし、水質低下に対する懸念も生じる。例えばフランスは民営化したことで水道料金が跳ね上がり、公営企業に戻した経緯もある。
この水道法改正について、国民に対し世界各国の多くの事例をあげ、水道事業の現状も伝え、「自分たちの国の水」について大いに議論をしてもらい、「諮問型の一般投票」として政策に反映させていくという発想はなかったのだろうか。
私たちは法律ができて運用されて、問題が起きてから事の重大さを知ることが多いが、国会と霞が関だけでなく、広く国民的議論をし国民自らが意思表示をすべきなのだ。
海外における直近の一般投票として、スイスの例をあげておく。
2022年2月13日に、諮問型2件(メディア助成金を増やすメディア支援関連法案・増資で企業に課される印紙税1種の存廃について)と、発議型2件(供と青少年をたばこ広告から守るために・動物実験の禁止)の一般投票が行われた。ここでは割愛するが、興味のある方はぜひ調べて頂きたい。
(たばこ広告規制案は56.6%の賛成で可決、他はいずれも否決)
【尾崎行雄が望んでいた一般投票】
尾崎(当時67歳)は1925年(大正14年)の秋、『政治読本』を記した。一般投票について書かれた章を一部抜粋する。
「一般投票とは、全国選挙人をして、投票に由って直接に或る限定された問題の可否を決裁せしめる方法であって、其の精神は云うまでもなく、徹底的に民意暢達の政治を行うに或る。其方法は、政府により発案するものと、人民より発案するものと、二つある。」
続いて、外国の事例をあげている。
政府発案の一般投票の事例
・1920年 スイス政府 国際連盟に加入するの可否
・1916年 オーストラリア政府 戦争の最中、徴兵制の実施に可否
国民発議の一般投票の事例
・アメリカカリフォルニア州の有権者 日本人土地所有禁止法制定
「一般投票の仕方は国によって異なるが、之を設置した精神は、一つである。
国民の総代を経て、為す所の議会の議決は、何れも皆な間接の民意表現であって、直接の民意表現ではない。
場合に依っては、問題の可否を国民に直接表決に問い、または国民自ら発案して、直接に立法するの必要もある。是れ則ち一般投票の精神であり、其の目的である。」
「若し政府に小心翼々、民意に聞かんとする誠意があり、また国民に、権利義務に明晰な自覚があれば、国家の重大問題が総選挙後に起り、国民は之に対して未だ一度も意思を表示する機会がなかった場合に於いては、特に此の制度が必要である。
私は我国にも此制度を設け、全国人民の一般投票に依て、差当り両院衝突の大問題を解決する途を開きたいと思う。」
このように尾崎は、普通選挙が始まったばかりの1924年に、一般投票の制度を日本にも設け、有権者の投票による直接民主主義の行使をすべきであると指摘している。
【占領下で記した民主政治読本】
敗戦後、尾崎(当時89歳)は1947年(昭和22年)、『民主政治読本』を出版した。
昭和22年と言えばまだ連合国軍の占領統治下であり、日章旗を掲げることも許されず、新聞・出版物の検閲もあった時代である。国民も食糧難や相次ぐ自然災害に苦しんでいた。
政治的には公職追放、新憲法・地方自治法の施行、内務省の解体などが行われ、GHQによるシナリオ通りに国会運営がなされていた。
そんな社会状況下で、尾崎は青年に向かって、「この本を民主政治のテキストとして使い、大いに批判せよ」と呼びかけた。
1941年(昭和21年)8月24日の第九十帝国議会衆議院本会議(第35号)においても、「官尊民卑・奴隷根性を正すには教育しかない」「民主主義を行うべき人間を養成・教育に全力を尽くす」旨の発言をしていることからも、テキストとして広く普及させたいという想いがあったのではないでかと思う。
同書の中で、新憲法(日本国憲法)が素晴らしいと称賛する尾崎の言葉に、辟易とする感がないではないが、第6章の「罷免(リコール)と一般投票(レファレンダム)」では「千慮の一失」と新憲法を落としている。
千慮の一失の意味は「すぐれた知者でも、まれには失敗があるということ。十分に配慮しても思いがけない失敗をすること。」であるから、GHQに対して最大の配慮をしつつも「民主政治の肝はここなのだ、なぜ新憲法に入れない!」という批判だったのではないか。
こちらも一部抜粋する。
「特に総選挙以降に起こった重大問題に対しては、そういう気持ちが生ずるのはあたり前である。そこで場合によっては問題の可否を国民の直接表決に問い、または国民自ら発案して直接に立法する必要も起るわけだ。これすなわち国民投票の精神であり目的である。」
「もし政府側に、大切な問題に対してはいつでも民意に問うた上で政治をしようという誠意があり、また国民の側にもはっきりした権利義務の自覚があれば、国家の重大問題については、全国民の直接表決、一般投票を要求するのが当然である。ことに、その問題が総選挙後に起り、国民はこれに対して、まだ1度もその意思を表示する機会がなかったような場合は、特にこの制度が必要である。」
尾崎は戦前戦後を通して、国民が主役の民主主義の在り方を説き続けていることが分かる。
【なぜ日本では一般投票が行われないのか】
尾崎の二つの書籍から、この論考を取り上げたいと思った一番大きな理由は、国会で一般投票の議論がほとんどされてこなかったからである。
国民投票・住民投票のエキスパートでジャーナリストの今井一氏によれば、かつては社会党も、日本新党も、自民党も、新進党も一般投票をすべきだと主張していたというが、なぜか一般投票が議論されなくなったのである。
これは今井氏や多くの法律家が指摘しているがが、憲法マターだからだという。
日本国憲法には、法的拘束力のある一般投票が出来ない条文があるのだ。
まず前文に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とある。次に第41条に「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」続いて第43条に「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」とあり、この三点がある限り法的拘束力のある一般投票は実施できず、実施しようとすれば憲法改正が必要となる。
ならば憲法改正をすればよいではないか。
しかし衆議院憲法審査会は、「開催されたこと」がニュースになるほどやる気がない。会議録を追ってみても一般投票は「宿題」で終わらせている体たらくだ。
個別の法律を制定すれば、「民意を尊重する」という法的拘束力のない諮問型一般投票はできるのだが、政権側の政策にかかわることなので与党はそこには触れない。
またメディアも一般投票に関しては興味を示さない。
例えばイギリスのEU離脱一般投票に対しても、「国民の分裂」という負のイメージを与えることに熱心だったが、イギリス国民がこの大きな問題に対して真剣に向き合う姿をもっと頻繁に報道すべきではなかったかと思う。
【地方で積み重ねた経験は国策にも通用する】
私が政治の世界に足を踏み入れたきっかけは、公共工事の是非を問う住民投票条例の直接請求であった。
いわゆる箱物行政がクローズアップされていた時代で、我が故郷でも同じようなことが起こった。子供の学校教育の現場の予算が大幅に削られ授業にも支障が出ている状況で、公費を使っての大きな観光施設はいらないという、ごく単純な母親の思いで取り組みを始めた。
直接請求は請求側にとって、とても責任の重い権利である。署名し、住所を書き、捺印する。(現在は捺印はいらない)7日間の縦覧期間があるので、どこの誰が署名をしたのか一目瞭然である。特に小さな町では名前と顔が一致するので、署名をする方も肚を据えてかからねばならない。
リスクを伴う請求にも関わらず、議会に足蹴にされることも多い。そこで語られることは、「代議制民主主義への挑戦だ」「代議制の否定だ」「衆愚政治になる」などである。住民に与えられた権利に対する、政治家の不理解が為せる技だ。私たちは政治家に白紙委任はしていない。
選挙の公約になっていないものや、有権者が認識していない事業、特に予算の大きなものは後年度の住民負担に係わるため、住民を交え多くの議論をし、住民投票に付すべきである。
このようにハードルの高い直接請求による住民投票が、全国でどのくらい行われているかご存じだろうか。
1976年から2020年までに679件の直接請求があり109件が実施された。首長提案・議員提案を含めると、なんと427件の住民投票が行われている。半世紀余りに渡り地方では経験を積み重ねてきたのだ。国の政策にかかわる問題に対応できないはずがない。
【おわりに】
一般投票の法整備をしてこなかったのは国会の怠慢である。「法の支配による立憲政治」を行う者が、「人の支配による封建政治」を行っているといってよい。
尾崎が著した「ふたつの政治読本」は国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができるので、国会議員には大いに利用して頂き、その思想に触れて頂きたい。
そして尾崎が重要視した一般投票は世界中で行われており、アジアで一度も経験がないのは日本と中国だけだということも改めて認識してほしい。
国民主体の政治の確立を共に目指していこうではないか。
最後になるが、私は住民投票に取り組んだ時から今井一氏の論稿を教科書にしてきたため、表現の似ているところもあるかと思うが、参考文献として氏の書籍をあげることでお許しを頂きたい。
・大事なことは国民投票で決めよう!(1996年)
・「解釈改憲=大人の知恵」という欺瞞(2015年)
・ビギナーのための国民投票Q&A(2019年)
・住民投票の総て(2020年)
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