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豆腐メンタルでも大人はたのしい

この記事はみくまゆたんさんの「自分語りは楽しいぞ」の企画で書いたものです!

自分語りって意外とむずかしいな、と気がついたのはこの企画の記事を書き始めたあと。

最初は「この歳になってもしばしばマイペースって言われる」ことを書こうとして、子供の頃からの記憶を引っ張り出してみたけどこれがまあ全然書いていて楽しくない。

なんせ、子供の頃からマイペースなので、集団行動は苦手。もちろん学校はもっと苦手。記憶を引き出せば引き出すほど、上手く行かなかった思い出ばかりがずるずる出てくる。まあそれは書いていて楽しいわけはない。

そんな具合なので、物心ついた幼稚園から高校まで朝は憂鬱で、いまだにズームイン朝のテーマを思い出すだけで胸の辺りがきゅっとするのだけど、こんな私でもまあまあ楽しく大人をやれている。

大人になったばかりの頃は、いま思い返してもドタバタな日々だった。学生時代から仲のいい友達にも「ゆっきー、波瀾万丈だね」と言われるほど。言われている当人はさほどそう感じていないのも、いま振り返るとおそろしいやらおめでたいやら。

新卒の会社をすぐに辞めたものの、古巣のバイト先で正社員になり、社会人のリスタートを切ることができた。が、しかし結婚をして義実家の家業のために好きだった仕事を辞めることになり、その結婚もまもなく幕を閉じて今度は完全に無職になった。(そもそも家業の手伝いでお金はもらっていなかったが)

それから1年後には地元を離れて縁もゆかりもない土地で親よりも歳の離れたオーナーと2人で仕事をはじめ、一人暮らしも軌道に乗っておもしろくなってきた頃にやむを得ないことでまたしても仕事がなくなり、地元へと帰ってきたのが27歳のとき。

あまりに環境が変わるので「なにひとつ続けられたためしがない…将来どうなるんだろう」とコンプレックスを感じながらも、悩んでいても仕方がない!ええい、ままよ!と婚活市場に飛び出していき、いまの夫と出会い、1年のうちにあれよあれよと結婚に至った。

なにひとつ続かなかった私でも一応結婚生活はいまのところ続いている。

私も人のことは言えないが、彼もまた私とはベクトルの異なるタイプのマイペースな人間だ。お互いAB型の一人っ子という、どこに出しても「変わり者」扱いされる属性には違いないが、そのマイペースぶりはずいぶん異なる。

ただ、幸いにして互いにマイペースゆえに、ほっといてほしいときがあることも手に取るように理解できるし、また理解してくれる。もちろんそれが全てではないのだけど、夫のそのあたりの寛容さはありがたいところだ。おかげで気兼ねなく鼻歌を歌ったり、小躍りをしたりもできる。居場所があるというのは心の中に小躍りしてもよい場所をつくることなのかもしれない。

そしてもう一つ。大人が楽しいと思えるのは仕事のおかげもある。

これまで何度か転職して「仕事が続かないのは自分が社会不適合なせいなのではないだろうか」「自分は怠けものなのではなかろうか」と感じてきた。

でも、よくよく考えたら仕事がきらいなわけではない。多少は人間関係に悩んだり、毎日固定されたスケジュールで働くのが合わなかったりするけれど、自分で決めた仕事の進め方がバチっとはまると快感だ。人に頼られるとうれしいし、声をかけてくれたり必要としてくれる人のいることのよろこび。そして、それに応えたときに「頼んで良かったです!」と言ってもらえたときにはもっとうれしい。

で、結果的にいろんなやりたいことを全部やるためにフリーランスになると決めたのが今年の春。

「フリーランスでライターやってます」「うつわが好きでオンラインのお店はじめました」なんて言うと「好きなことを仕事にできていいですね」「趣味を仕事にしてるよね」と言われるが、その答えは半分イエスで、半分ノーだ。

やってみてわかったことだけれど、スケジュールをコントロールしやすいことと、毎日決まった時間に決まった場所に行かなくてもいいことはとてもうれしい。根っからのマイペースなので、時間においての自己決定権が幸福感を左右しているのだと思う。

ただ、だからといって毎日遊んでいるわけでもないし、夜に作業することももちろんある。原稿が思うように進まなくて悩ましいこともあれば、初めて行く現場に緊張することもあるし、終わりのない地道な単純作業に疲れきったり、上手く話が引き出せなくて凹んだこともある。新しいことを始める前は「自分にできるだろうか」と不安な気持ちに駆られることも少なくない。

「好きなことを仕事にしている」からといって、好きなことだけをしているわけではなくて、むしろ、経理とかスケジュール管理とか、細々した調整とか面倒なことは山のようにある。

ただ、苦にならないことで、そこそこ得意だと思えることがたまたま続いてきた。その先にいまの働き方があったというのが正解に近いのかもしれない。楽しいことを続けるため、あるいは譲れないことを守るための努力は惜しまない、というのは大事なことなのだと尊敬する周りの方を見ていて思うことだ。キラキラしているように見える何だかすごい人だって、水面下では白鳥のようにバタバタともがいているはずで、せめて自分も上半身は白鳥のように美しく見せられる余裕をもちたいなと憧れる。

運良く自分にとっての居心地の良いペースと仕事が合致したおかげで、ようやく大人は楽しいなと思えるようになってきた。自分で試行錯誤して、決断して、考えたことを実行できるということがこんなにも楽しかったなんて!

悩んだり、こうありたいと思って行動したり、誰にも制限されずにチャレンジする俎上に乗れることの幸せをひしひしと感じながら、すっかり「ガンガンいこうぜ」モードに舵を切ってフットワーク軽く動いていた私のもとに小さな命がやってきたのはちょうどそんなタイミングのことだった。

なんとなく、勝手に自分は妊娠とは縁遠い人間なのかとすっかり思い込んでいた。子供ができなくて思い悩んだことも少なからずある。
それから一周周って、それならそれでいまを充実させて生きよう!と仕事へのアクセルを踏みかけたそんな頃。体の不調以外にはなんの実感もないまま、突然に「いのちだいじに」モードの日々がはじまった。

とはいえ、もうすでに派遣会社を辞める手続きは済んでいるし、周りにもフリーランスになると宣言している。ありがたいことにお仕事を継続してくださるクライアントさんもいる。にも関わらず、完全に独立して半年も経たないうちに産休とは…!

もちろん嬉しいことは嬉しいのだけど「フリーランス 妊娠」「フリーランス 出産」を調べれば調べるほど、どんどん心細くなっていくばかり。知ってはいたけれど、フリーランスはあまりにも社会保障が乏しい。それに休んでいる間の仕事はどうしよう。どうやったって迷惑がかかる。

会社員だった頃、「女性は結婚したら辞める会社だよ」「3年は妊娠しないでね」「時期を考えてね」などと言われてきたこともあり、妊娠=迷惑がられるのだろうという気持ちしかなかった。
しかしながら、事情は説明しなければならない。勇気を出して仕事関係の方々に伝えてみると、びっくりするほどみなさん優しくておどろき、心底ありがたかった。(本当にありがとうございます…!!!)

おかげでいまはできることを最大限にしよう、そしてまた全力で働けるようになったらフルパワーで恩返ししよう、と腹を括ることができた。

そうこうしているうちにお腹の子供は大きくなり、にょろにょろぽこぽこと動き回るのを感じるうちに実感も大きくなってきて、妙に涙脆くもなり、母性らしきものが現れた。
もうここまできたら仕事も出産もできる限りのことをするだけだ。

産休(という名の休業期間)とか、フリーランスの保活事情とか、その他諸々、これだけ調べても不安なことは尽きないのだから、自分の体験をまたどこかで誰かのために書けることもあるのかもしれない。n=1の体験談でしかないことも、私がかつて誰かの文章に救われたり、転機につながったりしたように、誰かの役に立つことがあるかもしれない。

昔に比べたらなかなか神経が太くなったなあと思わないでもないけれど、大人になって、絹ごし豆腐メンタルが高野豆腐くらいには変化して、大人もまあまあ楽しいよね、と言えるようになってきたから辿り着いた心境の変化。

そんなわけで、産休まではあと1ヶ月。
全く未知のコントロールの効かない日々がどうなっていくのかわからないし、鋼のメンタルにはまだまだなれる気もしない。でも、これを越えた先にはもっと味わい深い高野豆腐へと進化することを信じて新しい日々を待っている。

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