自分を認めるお話し
好きな人に好きになってもらえることを嬉しいと思う。そりゃあ片想いより両想いの方がずっといいよね。
ただ、『恋』には自ずと性愛が混入する。
(いらねぇ〜!!)
性欲を持つことを否定している訳ではなくて
それを自身へと向けられることが心底不快で疎ましいものなのだ。
恋愛においては付き合うまでの期間が一番楽しくて、『おはよう』と『おやすみ』を言い合うだけでその日の始まりと終わりが良いものになる、いい日だったと思えるくらい代わり映えのない日々が彩られて見えた。
初めて恋人ができてお付き合いを始めた日のことをよく覚えている。
毎日のようにラインをして、放課後に会って帰る時間までお話しして、、(さぁお付き合いがはじまりますよ!)
直前までその人の周りがキラキラして見えてこの後の展開にワクワクしていたのに、相手に好意を伝えられた瞬間に心の煌めきは泥のように穢れ落ちていった。スッと恋心が消え去り『これからよろしくね』って私の腕にぽんっと彼が手を置いた瞬間に今までの高揚感は何だったのか全身に嫌悪感が走り総毛立った。
ぞっとして思わず手を振り払ってしまった。
えっ?好きな人に触れられたら喜ぶものじゃないの??と思考と行動の齟齬に本当に驚いた。
何とかその場は誤魔化したけど、そのときに抱いた恐怖心や抵抗感はどうしたって拭えないし相手のする事を成すこと全てを気持ち悪く思ってしまう罪悪感で苦しくなっていった。
この現象は何?相手に失礼すぎない??
釣った魚に餌をやらないってやつ?最低すぎか??自分のクズさ加減に絶望してネットで必死に正当化する理由を探していたら、『リスロマンティック』『リスセクシュアル』と言う言葉に出会った。
好きは嬉しい。
ただ、ひとりの人間として好きでいてほしい。
性欲を向けられることがこの上なく気味が悪い。プラトニックでいて欲しい。
リスロマであることを自認してからこの気持ちを騙し騙しやっていく気力もないし、交際が進んでいくにつれてキスされようものなら相手を殴りかねないので、お付き合いを続けることは難しいと判断して彼とは1ヶ月程でお別れとなりました。
今思えば、あまり好きではなかったのかな。
ちゃんと好きだったのなら、私はカミングアウトできたのかな。なんて後の祭りですね。机上の空論だ。そう簡単に感情は上手くコントロールできない。
自認して、このセクシュアリティに名前があって同じ価値観を持つ人がいることにとても安心した。
自分はおかしいんじゃないか、人として欠陥があるんじゃないかって思ったりもしたけど、
これでいい、これが私だって認めることができて本当によかった。
親や周囲の人間にはなかなか理解されないし、それを期待もしないけど、大好きな作家のエッセイに登場する夫人のように『理解はできないが受け容れる』そんな精神の人が増えたらいいなと切に思う。
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