セブでピアノを手放して思うこと
ある日突然ピアノを手放す日がやってきてしまった。買い手は私の住んでいるコンドミニアムの女性オーナー。なぜこの日が「突然」やってきたのか。。。
スーツケース一つにバックパックでセブにやって来たのが7年前の8月。車も家もピアノも全て日本に置いて覚悟を決めて移住した。だからもちろん、語学学校宿舎の私の部屋にはピアノはない。数ヶ月は大丈夫だったが、3ヶ月ほど経つとピアノがないことに寂しさを感じ始めた。9歳からずっと弾いてきたピアノ、学生時代もピアノ漬け、大人になっても仕事はピアノを弾くことと教えること。常に私の歩みにはピアノが側にいた。
7ヶ月のインターンを経て正社員になった時、最初のお給料で88鍵のスタンド付き電子ピアノを買った。やっぱりピアノの存在が私には必要だった。
このピアノは大活躍で、学校のクリスマスパーティで演奏したり、留学生の卒業式でいろんな人が私のピアノを弾いてくれたり、そしてある時から、英語の歌をピアノで弾き語りしてインスタやFacebookにアップするようになった。また、ビジネスにもピアノを使うようになり、オンライン英語リトミックレッスンもするようになった。私の中の可能性やWantを引き出してくれ、一緒に歩んできたピアノ。たとえ数ヶ月弾かないことがあっても、やはりピアノが側にあるというのは私にとってなくてはならないことだった。
そして私は、7年間のセブ生活に終止符を打つことを決め、11月、日本に帰国するることになった。そのため、持って帰ることのできない物は全て誰かに買ってもらうことにした。服、カバン、靴、食器、そしてピアノも。
フィリピン人の友達に電話をし、ピアノを買ってくれる人を探して欲しいと頼んだ。彼女はコネクションをたくさん持っているため、快く引き受けてくれた。
ところが先日。。。私の部屋の電球が切れてしまったため、新しいものに変えてもらうことを依頼するため管理オフィスに行った。その時にスタッフから、10月末で終了する部屋の契約をどうするか聞かれ、日本帰国のことを伝えた。それを聞いていたこのコンドミニアムの女性オーナーが、「ピアノはどうするの?」と聞いてきた。ピアノは7000ペソで売る予定で、今私の友達がピアノを買ってくれる人を探していると言ったら、すかさずその女性オーナーが「7000ペソはとても高いから、5000ペソで私に買わせてもらえないだろうか」と言ってきた。話を聞くと、彼女の13歳の娘がピアノを弾きたがっているとのこと。目をキラキラさせながら懇願してきた。なんとか5000ペソで買わせて欲しいと。
まず私の友達に連絡をして、もし7000ペソで買ってくれる人が見つかっていたらその方に買ってもらうけれど、まだ見つかっていなければ5000ペソであなたのお嬢さんに譲りましょう、と言った。女性オーナーはとても喜び、ピアノの写真を撮らせて欲しいと言い、私の部屋に入ってきた。そしてピアノを弾いて欲しいと言われたのでさらっと弾いた。彼女はそれを録画して「娘に見せるんだ」と嬉しそうに目を輝かせていた。まだ、手に入るかどうか分からないのに。。。
友達に連絡してみると、まだ買い手は見つかってないとのこと。こちらの事情を話し、この女性オーナーに買ってもらうことにした。
次の日オフィスに行き「あなたにピアノを譲ります」と伝えると、女性オーナーは目を大きく開き、「じゃあ11月4日にピアノを受け取れるのね」と聞いてきた。私は「10月の半ば以降ならいつでも取りに来てもらって大丈夫」と伝えたのだけれど、彼女は「いつでも」という言葉がクローズアップされたのか、さっと5000ペソを出し、「じゃあ今から部屋に行ってもいい?」と興奮気味。。。あまりにも嬉しそうだったので、私も「まあいっか、最近全然ひいてないし」と思い「オッケー」と言った。
部屋に戻って鍵盤や譜面台、ペダルについてる埃はないかチェックしてきれいにした。「ああ、この子、他の人の手に渡るんだ。。。今まで色々あったな、このピアノと一緒に。。。」と少し寂しさを感じた。
そしてその30分後に、男性スタッフを連れて女性オーナーが部屋にやってきた。やはり目はキラキラと輝いていた。男性スタッフがピアノを、女性オーナーが椅子や譜面台を持って、何度も「ありがとう」と言いながら部屋を去って行った。
まさか今日ピアノがいなくなるとは、朝目が覚めた時点では予想していなかったから、「これで良かったのかな。。。やっぱり11月4日の退去日に渡せば良かったかな。。。」となんとも言えない気持ちになった。ピアノがいなくなって、やけに部屋が広く感じる。少し泣きそうにもなる。
「早く日本に帰って家のグランドピアノを弾きたい」と強く感じた。
私にとってピアノはただの楽器ではない。ただのお稽古事でもないし、仕事に必要な物、でもない。
私にとってピアノは私の人生の一部で、ピアノを通して私から出てくる音楽は、私のその時の素直な感情であり表現であり私になれる瞬間なのだ。いい時も悪い時も、いつもピアノが側にいてくれた、と心の底から感じていて信じている。
日本ではピアノが弾けることはそんなに珍しいことではないが、一歩海外に出ると、ピアノが弾けることはとても価値のあることで、特別な目で見られる。特にセブでは、ピアノを買うことさえ大変なことで、日本人がさっと買える電子ピアノでも、セブの人にとっては夢の世界。そんな違いを体験するたびに、ピアノを習わせてくれた両親や、ピアノを教えてくださった恩師、グランドピアノを買うときにドンっとお金を私の目の前に置いてくれた私の叔父、そしてピアノを続けてきた私自身に深い感謝が溢れる。
私の7年間のセブ生活を共にしてきたピアノは、今13歳の女の子の喜びとなり、夢となり、ピアノのお役目を果たしながら再び輝いている。
そう思うと、感じていたなんとも言えない寂しさは喜びと期待に変わり、ニコッと笑みが溢れる。