「結婚の自由をすべての人に訴訟」:大阪地裁判決をうけて
記者会見と報告集会への参加
昨日(2022年6月20日)、大阪地方裁判所で「結婚の自由をすべての人に」関西訴訟の判決が下されました。私は大学に用事があって傍聴には参加できませんでしたが、その後大阪弁護士会館にて行われた記者会見と報告集会には参加してきました。報告集会は配信される予定だったので自宅で観ようかとも思ったのですが、判決結果をネットニュースで知って、気が抜けると同時に居ても立ってもいられない気持ちになり、大学の用事が終わると迷わず大阪弁護士会館に向かいました。
訴訟資料や報告集会の内容については、すでにCall4やMarriage for all Japanのホームページにて公開されているので、ここでは個人的な感想やこれからのことを書こうと思います。
ニュース・タイトル再考
当判決を取り上げた複数のニュース・タイトルを改めて確認すると、「合憲」の文字が目立ちます。LGBTブームなどを背景に同性婚を認める気運が高まる中、北海道訴訟に引き続き違憲判決が下されるのではないかと広く注目を集めた判決だったことから、このようなタイトルは避けられなかったのかもしれません。
しかし、今回の判決において最も注目すべきは、憲法に反するという原告側の訴えを司法がどう判断するのかという当初の争点ではなく、弁護団声明においても言及されているように、そもそも「司法がその役割を放棄した」という点にあると思います。
当訴訟は、少数派の人権保障について国会議員たちがほとんど議論しないからこそ、そうした立法の不作為を何とかしてもらうために損害賠償というかたちで司法の判断を求めるというものだったはずです。それなのに、司法はその判断を立法に委ね、人権の砦とされる自らの役割を放棄してしまったのが昨日の判決だったと言えるでしょう。
さらに言えば、議論とは積み重ねてこそ議論たり得るものですが、昨日の判決ではそうした議論を軽視するような態度がみられたという点も注目すべきだと思います。前述した弁護団声明でも指摘されているように、昨日の判決では札幌地裁の違憲理由を覆すような説明が示されませんでした。これは、全国的に注目され今回の判決においても当然ながら参照すべき前例の無視であり、議論の軽視と言わざるを得ません。
それゆえ、「札幌地裁は違憲で、その後の大阪地裁は合憲でした」というように、単純に時系列で並べて捉えるわけにはいきません。司法がその役割を放棄しただけでなく、議論と言いながらそれを軽視し、積み重ねを怠った結果が昨日の判決だったわけです。
裁判長に対する疑問
昨日の判決を言い渡した土井文美裁判長は、裁判の中で原告たちの切実な声を直接聞いているはずです。それなのに、どうして議論の途上だから判断できないとか、類似制度によって問題は軽減されるといった考えに至ったのでしょうか。
議論の途上だから判断できないというのは、司法の役割という観点から明らかに間違っています。国会でも議論が進みにくい少数派の人権保障について判断することこそ、人権の砦である司法の役割でしょう。また、そもそも同性カップルには異性カップルと同じ制度の利用を認めていないことそのものが差別であり、類似制度があればいいというわけではありません。なお、日本におけるパートナーシップ制度は自治体がパートナー関係を認めるに留まり、法的効力が乏しいことから婚姻の代替手段でも類似制度でもありません。
裁判長は、昨日の判決を下すことで原告たちに、さらには世の中の多くの当事者たちに与えるダメージがどういうものになるのか、少しは想像したのでしょうか。そもそも、人権や司法の役割についてどのような考えを持っているのでしょうか。
ある傍聴者からは、裁判長による判決文の読み上げはスムースではなく違和感を覚えたというような感想を聞きました。もしかすると、自分の意に反する判決だったのかなとか、立法への忖度だったのかなとか、裁判長すら逆らえない権力が働いたのかなとか、いろんなことを考えました。
これからのこと
さすがに昨日はショックが大きかったものの、関西訴訟はこれで終わりではありません。原告も弁護団も支援者たちも諦めておらず、辛いながらも同性婚実現を目指し前を向いています。
まずは、目の前に参議院議員選挙があります。司法が国会に判断を委ねたわけですから、少数派の人権保障をないがしろにしない人たちを国会に送り出し、立法の不作為を止めるために私もできることからやっていこうと思います。