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ありのままの自分を掴むまで⑥自分軸が揺らぐ外野の音
”いいひと”から解き放たれ身軽になりたい。
他人軸から自分軸を掴もうと決めた、心の有り様を正直に記していこうと思います。前回は友人との関係や距離感、また、親友との心の通わせ方について記しました。
今回は「外野の音」について。
平常心を保とうとする「自分軸」が振れて、揺らいで苦しいです。
現在進行形ですので、気持ちも想いも、進んだり戻ったりしています。
サードプレイス
サードプレイスを求めて、昨年より、とあるコミュニティに属しています。
異なるバックグラウンドであっても、特に、同期と呼べる仲間の存在は、程よい距離感と刺激があり、自分の毎日に「彩り」を添えているのは確かかと思います。
寄り添ってくれる様な、帰る場所がある様な一種の連帯感を放ち、温度感の合う人との「出会い」など、心の支えになる部分は多くあります。
しかし、多くは、偶然たまたま、同じ時期に同じ船に乗り合わせただけの、決して友達ではない、だからと言って、真のライバルでもない微妙な関係性。
同期の成果報告が痛い
最近、連日の、特に同期の成果報告が棘の様に痛いです。
半年が過ぎ、結果が出始める時期と重なっていることもあります。
見たくも知りたくもないのに、否応なく飛び込んでくる成果報告。
それに呼応するような多くのリアクションの渦。
「自分のことのようにうれしい」
ホントに?
その活躍に自分は全く何んの関係もないのに?
「あやかって、そのいい流れに続きたい」
あやかる?
浮かれ気分が見えるようなテンションでリアクションしている人を冷やかかに見てしまう自分の冷淡さ。
何より、それに表面上でも反応すらできない自分の不甲斐なさ。
全てノイズになり、捉えようのない不安や、目に見えない敵と闘っています。嵐が過ぎ去るのを、じっと息を潜めてやり過ごしている様な感覚です。
有言実行をする人が苦手
元々、有言実行をする人が苦手です。
いちいち、やるやる、がんばるがんばる、と周囲に宣言せんと、黙って結果を出さんかい・・・と悪態をつきたくなります。
何かに取り組むのに本来モチベーションなんて必要ないと思うんです。
いい流れや運などが味方してくれることはあるとは思いますが、根底には、どれくらい本気なのか、そうじゃないか。
有言実行は、パフォーマンス部分が多い様な気がして、性に合わないです。
私は、周囲に宣言しません。
挑戦できるものにはチャレンジもしますし、情報感度も高く、アンテナも高い方だと思っています。
ただ、静かに結果を出す人でありたい。
振れて揺らいで苦しい
そんな風に、自分は自分という「自分軸」を強く持ったスタンスでいたいのですが、外野の音に内心は大きく揺らいでおり、そのノイズで頭が割れそうになっています。
それが、すでに「他人軸」の状態にあるのでしょう。
多少、お祭り気分に不快感を感じたとしても、周囲の成果自体を単体でも、素直に受け入れられない自分の懐の小ささ、自分の大事なところを守れないそのバリアの薄さ。
反省すべき、改善すべきところです。
しかし、平常心を保とうとすればするほど「自分軸」が振れて、揺らいで苦しくなり、掻き乱されて疲弊しています。
いつも元気に、賑やかに、あっけらかんとしているから、多分、誰も気づかない。気づいて欲しいかということでも、ない。
手強い、外野の音。
自分の機嫌を取るので精一杯です。
余裕なく、未だに嵐の中。暴風雨に晒されています。
「自分軸」が揺らぐ外野の音について、記事にしてみました。共感してくださる方がいらっしゃったら、バリアを厚く出来る様、共に闘えたらと思います。ありがとうございました。
次回は、自分が思う「自分軸」と「他者貢献」との関係について、記事にしたいと思っています。
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