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8月6日

2020年8月6日は広島原爆投下から75年でした。

noteではじめて書く記事がこの記事なのはとても意味があると思う。私が自分の生き方を本当に変えようと決めたのが2020年8月6日でした。

この日に考えたことが私の中では結構大きな気づきだったのでここに書いておきたい。
※シェアした映画は「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という911に巻き込まれた家族の話。映画を見終わった後この後書く内容が自分の中でスッキリと腹に落ちた。


さて、話は長くなりますが、
私は福岡県出身で、私が通っていた小学校では戦争の歴史教育が熱心でした。おそらく同じ九州の長崎県も原爆を投下され、福岡は天候でたまたま原爆を免れたという背景があるのだと思う。


毎年8月6日は夏休み中でしたが学校に登校し、みんなで8時15分には黙祷を捧げました。
そして戦争を題材にした映画や本などを読み感想文を書いたり感じたことを共有したりしました。
暑い暑い夏の日、特に原爆というテーマはとても重く多くの人が無残な姿で死んでいったこと、苦しんだこと、
その後の後遺症で今でも苦しみ続けている人たちがいること。
現実が酷すぎて受け止めきれなくなり、映画上映中の体育館で倒れてしまい気づいたら保健室にいたこともありました。


それでもやはりきちんと原爆について勉強したことに感謝しています。


一方でその教育があったからか、私はアメリカという国が苦手でした。


それを言葉に出してしまったら明らかな偏見になってしまうので決して公の場所で口にしたこともないし
友達にも話したこともない、もちろんアメリカ人がたまたま街中で道に迷っていたらちゃんと道順も教えると思うけど、
だけど私の感覚の中には
「アメリカもアメリカ人も苦手だ、だって広島や長崎の人たちをあんなにも苦しめた国だ」という感覚があったと思う。


だから、本当に恥ずかしい話だけど2001年9月11日、
アメリカ同時多発テロが起きてワールドトレードセンターが飛行機で追突され多くの人が被害にあったとニュースを見た時、確かにこう思ったのを覚えている。


「被害にあった人たちは本当に可哀想だ、だけどアメリカの中東に対する空爆で多くの民間人が亡くなった事実を考えたらテロが起こっても仕方ない、テロ組織はおかしいけれどその憎しみは理解できる」


当時私は大学生だったはずだけれど、どこか遠い世界で起きている事実ということもあったのかそんな風に思った。
今はその自分とちゃんと話し合いたいと思う。


そこから38歳になった私は昨日、シェアした映画「ものすごくうるさくてありえないほど近い」を観た。
アスペルガーと診断された男の子が主人公なんだけれど、そのお父さんが911で亡くなってしまう。


その後仲が良かった家族は父親の死を受け止めきれず納得できるはずもなく後遺症で苦しむ。
父親が男の子に最後に託した(と思われる)鍵を見つけ、その鍵穴を探す旅の過程で色々な人たちに出会って男の子は少しづつ自分の苦しさに向き合っていく、というような話なんですが。
(上手く説明できていないかもしれません)


最後まで見終わった時に気づいたらポロポロ泣いていて、とてもとても素晴らしい映画で、
そして日本に落とされた原爆のこと、911のこと、アメリカという国に対する苦手意識、それから自分が今までの人生で受けてきた偏見や苦しみ、
そこから生まれたあるカテゴリーの人たちに対する憎しみ、
それらの思い出や感情が走馬灯みたいに私の体の中をぐるぐる駆け巡ってストン、と胸のつかえが落ちた気がした。


言葉にするととても陳武なんだけど、


憎しみは憎しみを産む。
だからどこかで憎しみを止めないと憎しみは永遠に増幅し続ける。


ものすごくシンプルに言うとそんなことを強く思った。
それは、私が苦手だと思っていたアメリカ人の家族が911で父親を失い苦しむ姿を見てはじめて(映画の中での話だけど)、
アメリカで暮らす人たちがアメリカ人というカテゴリーで語られるべき存在ではなく、家族を愛したりその家族を亡くして苦しんだりする人間なんだ、ということを心から理解出来たからだと思う。
(こんなことを言うと私はどれだけ想像力が欠如しているんだろうと情けなくなるけれど)


原爆で亡くなった人、戦争で亡くなった人たちを思うと今でも苦しいので戦争を題材にした映画は観るのがとても辛い。
そして私の人生を振り返ると、私は思春期の頃から精神疾患を患っていてそれを原因にして多くの差別発言や時にはいじめだと感じるような
体験もたくさんあった。(戦争で苦しんだ人の苦しみと比べるのは恥ずかしいけど)その事実に向き合うのも苦しいことだった。


私は心の中に自分を傷つけた人たちに対する憎しみをずっと抱えたまま生きていて、その傷のせいで人を攻撃してしまった経験もある。
私に傷つけられた人はきっと何かモヤモヤした思いを抱えながらまた別の誰かを傷つけるかもしれない。
だから、どこかで憎しみはストップしないといけない。


それで昨日8月6日、私はもう自分の中に抱えている憎しみをストップさせようと決めた。
それは苦手だと思っていたアメリカに暮らす人たちが911で家族を失って苦しんで、でも一生懸命生きようとしている姿を見たからだと思う。
(映画だけど、実際にそんな話はたくさんあるんだと思う。悲しすぎることだ。)


これからの私が誰かに対する憎しみを持つことを止める代わりにできることはなんだろうか。

ふと思ったのは
知的障害や精神疾患などの病気について偏見がなくなるような活動や少しでもしていくこと、
(最近私が始めたボランティアは精神疾患や知的障害、身体障害を抱えた子供さんと遊んだりケアしたりするボランティアだった。無意識だけどその思いが選ばせたのかもしれない)
体調が良い時は少しでもジュエリーや服を作って、自分の感じていることを表現していくこと、
この2つかなあと思う。

ずいぶん長くなったけど私には大事なことだったので書いてみました。

#ものすごくうるさくてありえないほど近い

#広島原爆の日

#アメリカ同時多発テロ


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