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不満がなくても3年で辞める新卒2年目の独白
頭の出来が違うので 問題はナシ
「期待の」は「新人」の枕詞のように使われる。即戦力としてではなく、未知数であるその人がどう成長するか楽しみだという意味だろう。社会人経験のない新卒の場合は、特にそうだと思う。
そして、その新人がそれなりのパフォーマンスを発揮することがわかると、新人ながらに「エース」や「ホープ」などと呼ばれ、成果を期待されるようになる。
自分で言うのも何だが、私はその「ホープ」である。周囲から納得のいく評価をもらっていて、仕事は好きではないが嫌いではない。職場環境や人間関係にも文句はない。
新卒の3年以内の離職率についてネットで検索するといろいろな情報があり、私も遠回しに辞めないようにと言われることがある。
しかし残念ながら、当の本人は、早ければ来年には辞めるつもりでいる。
もっとも、今すぐ辞めたいほどの不満があるわけではないので、私が退職すると言い出したら周囲にとっては青天の霹靂かもしれない。それはそれで申し訳なく思う。
そこで、私の仕事に対する考えを記すことで、いざという時に説明できるようにしておきたい。
どこかで都合よく記憶を改竄しているかもしれないが、少しでも自己理解を深められたらと思う。
就活〜入社前
愛しい愛しい僕なりのタイム
まぁ ゆっくり見極めさせて
とりあえずの社会人
大学3年で留学を控えた頃、緊急事態宣言が出された。留年してまで日本を出たいわけでもなく、ひとまず社会人になって、留学は人の移動が自由になった頃にリベンジすることにした。
大学4年の私は、自己開示が苦手で就活が面倒になり、6月末で踏ん切りをつけて、今の会社でモラトリアムを延長することにした。
やりたいことは特になかった。転勤はしたくない、営業は嫌だ、給料は最低いくら、といった消去法で選んだ会社にエントリーし、拾ってくれた会社に滑り込んだ形だ。
最初は踏み台
大学3年の秋頃までは公務員も考えていた。民間に切り替えた理由はざっと4つあるが、中でも「実社会」で社会人になってみたいというのが大きい。いや、そういうことにしたい。
実際は、単純に勉強に疲れたので、民間企業で社会の荒波にもまれた方がいろいろ見えてくるのではないか、などと考え始めたのだ。適当に働きながら、ゆっくりと「やりたいこと」を探せばいいという結論だ。期待の新人は、最初の就職先には特に何も期待していなかったのである。
1年目
だんだん快感になってきたよ ツマラヌ オトナドモ
そんなことも大したこと
実際に働いてみると、私はどうやら仕事ができるらしいということがわかった。言い換えれば、基礎能力が高いといったところか。
もちろん、他に言うことがないためにありきたりな褒め言葉が並べられていたり、単に悪い話が私の耳まで届いていなかったりする可能性も考えられる。
だが、褒められる事柄は私としてはデフォルトの行動がほとんどであった。
その無言実行の内容を思いつく範囲でまとめておく。下記の7つが、本稿で一番「仕事のポリシー」に近いかもしれない。
どんな情報でも整理して端的にまとめる
相手の立場に立って考える
自分の言動を省みて次に活かす
いつ誰と何を話したか覚えている
自分でも解決策を考えたうえで相談する
誰がどこまで何をやるのか、分担を明確にする
いつか誰かがやるだろうと思ったことは自分からやる
適切に評価されることで、何が仕事で必要とされるのか、自分は何が得意なのか、なんとなく気づくことができ、それまで無意識だった自己肯定感というものを獲得した。そして、社会人に必要とされるようなスキルや知識をさらに磨きたいと思うようになった。
仕事しかできない人間になりたくない
だからといって、仕事に夢中になったわけではない。
仕事のように他者との関係性の中で自分が責任を負う作業は、私の頭では「義務」と認識される。そして「義務」だと判断した作業は、自分の感情に関係なくロボットのように処理してしまう。というより、私はそこに「好き/嫌い」や「やりたい/やりたくない」といった感情をうまく織り交ぜることができない。
だからこそ、仕事で頭がいっぱいになって自分のやりたいことができなくなる状態は絶対に避けたいと思った。
右も左もわからない新入社員のくせに最初から生意気だが、業務時間外にまで惰性で仕事のことを考えてしまうような、他にやることがない人間にはなりたくなかったのである。
どうやらそこまで流されるほど「大人」ではなかったようだ。
対策として、プライベートを充実させて仕事を生活の中心から遠ざけることにした。もともと広く浅く手を出すタイプなので、趣味には困らなかった。
とりあえずの社会人生活はまだモラトリアムである。いろいろかじってみて先を考えればいい。
2年目
濁った水も 新しい希望(ひかり)で
すぐに 透み渡っていく
ワークライフバランスとライフワーク
近年重視される「ワークライフバランス」という言葉は、「ワーク(仕事)」と「ライフ(生活)」を比較可能な同位の概念と考えているのだろうか。それぞれの辞書的な意味だけを考えると、実際は生活の一部に仕事があるのではないかと疑問が湧いてくる。
一方、単語を並び替えると「ライフワーク」という別の言葉もできる。こちらは人生をかけて取り組む活動を指す。ここでのライフとワークは、イコール関係で結ぶことができるように思える。
これから先40年、場合によってはさらに長く働くことになる。どうせなら、ワークがライフに干渉するのを防ぐのではなく、ライフを通じてやりたいと思えるワークがしたい。何気なく「やりたいこと」という言葉を使っていたが、それはライフワークとも呼べるだろう。
今まで無数の触手を伸ばしては引っ込めてきた私だが、大学入学以来関心を持ち続けてきたこともある。本気を出して考えたら、それはライフワークにできそうだと思えた。内容はまた後で触れることにする。
自分が仕事を利用する
モラトリアム期間中にやるべきことは、その先で役立つスキルや知識の習得である。その自己研鑽のために、必ずしも仕事とは別に勉強時間を取る必要はない。
私の場合、仕事を通じて学べることは意外と多いと思う。現在勤めている会社では、資格や研修の補助があったり、月次決算を全社で共有していたりと、受け取り方次第ではスキルアップや知識獲得の機会があるといえる。
個別具体的な業務も、自分次第で提案力や調整力やマルチタスク力を伸ばすのに役立てられると思っている。逆に、例えば自分で勉強したマーケティングの思考方法を仕事で実践することもできる。
今後も、企業文化を利用した座学と実践の場としての業務という形で、さまざまなスキルや知識を身につけていきたいと思う。折に触れて自己評価をして、次に何を伸ばすか考えていきたい。
しかしながら、やはり今の仕事でその道を極める気はなく、次のステージを見据えて勉強したいのである。
今後の目標
幻想とじゃれ合って時に傷つくのを
あなたは無駄だと笑いますか
結局のところ何がやりたいのか
今の仕事を辞めたら、大学院に行き、留学をして、何年か海外で働いて、最終的には日本で多文化共生実現の一翼を担いたい。ざっくり書くとこのような感じになる。
大学時代から移民・難民問題や外国につながる方々を取り巻く状況に関心があり、今でもウェビナーやイベントに参加したり、関連する記事をスクラップしたりと情報を集めている。
これまた挫折しそうなビジョンだが、ライフワークにしたいと思うくらいには長いこと関心がある問題で、比較的先のことまで思い描けている。すべては私次第だ。
もし現在の仕事が気に入っていたら、きっと私は会社にとって使える人材で、今後も平和に安定した暮らしができたのだろう。
だが、3年で辞めたいと思う程度にはプル要因が強い。目標を達成するためにも、現在の勤務先でたくさんのことを吸収して次に進みたいと思う。
恵まれているからこそ
繰り返すが、職場環境に文句はない。些細な愚痴は多々あるが、成長の機会を提供してくれて、経験の浅い社員の話も受け止めてくれて、意見の対立があっても人間関係には影響しない職場は、働きやすい方ではないか。
そういう環境なので、次のステージを考える余裕があり、仕事を利用すると言いつつも真面目に働いて会社に貢献しているつもりだ。
私が辞める時には引退する人気アイドルのように追い出してもらえるよう、あと少し頑張りたい。
ここまでを読み返すと、大人になりきれず自分を過信した恩知らずな人間が勘違いで非現実的な道へ進もうとしているような文章である。
それでも、私が納得しているので問題はない。
あとがき
各パート冒頭では、言いたいことが一発で伝わるように歌詞を引用している。どれも何も調べずにふと思いつくくらいには好きな曲だ。ちなみに、他にはSixTONESの曲も引用を考えていた。
これらの曲をセットリストとして演奏するのも楽しいかもしれない。