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今日のアウトプット 2024.11.18 「きっと記憶から忘れ去られてしまう」

私は「縁」というものを、大切にしている。というよりかは、信仰している、に近いかもしれない。

出会いは必然であり、別れも必然だと思う。
人との出会いや別れは、自分のベストタイミングに訪れるものだと思っている。
思っているのだけれど、
やっぱり別れって、寂しい。

年齢を重ねる毎に、色々な出会いがあったけれど、そのどれもがだんだん表面的な物になってきている気がする。
大人として、失礼のないように。
大人として、恥ずかしくないように。

人の目を特に気にして、その人が心地いいように振る舞う癖がある私は、出会いがあるごとに、どの自分が本当の自分か、分からなくなっていった。
 
というより、どの自分も、本当は本当の自分ではあるんだ。
『「自分の気持ち」より「他人の気持ち」を優先する自分』が、私のアイデンティティなのかもしれない。

でも、それはとてつもなく苦しい。

当たり障りのないことを言って、
この場で何を言ったらウケるか考えながら喋って、
思ってもない自虐をして謙遜を表現して、

もう疲れてしまった。
いつまで続くんだろう。もう一生このままなのかな。

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「おばあちゃんになっても、老人ホームでアニメの推しについて語り合おうね」

なんて話してた親友がいた。
私は嬉しかったし、本当にそのつもりだった。(同じ老人ホームに入るのは流石に冗談の部分が大きいけれど)
そのつもりで、仲が良いと思っていた。

新社会人になり、毎日ヘトヘトな日々を送り、ただでさえ連絡不精の私は、半年ほど連絡を取ることが難しくなってしまった。
向こうも環境が大きく変わったようで、よくやり取りしていたSNSに、全くログインしなくなっていった。

するとどうだろう、あっという間に連絡が途絶えて、1ミリも会話をしなくなってしまった。
相手が今どんな生活を送っているのか、さっぱり分からない。気軽に話しかけることも難しい。
縁が切れる、と内心焦った。

私たちの縁って、所詮こんなもんか、と悲しくなった。

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高校3年間を共に過ごした同級生とは、95%くらいの確率で、もう会うことはないと思う。

一緒に働いて、仕事終わりにスタバを飲んで、お互いの人生相談をしていたバイト先のあの人は、LINEは友達になっているけど、もう二度と話すことなんてないだろうと思う。それに、向こうは私の事なんて忘れてしまっていて、もう二度と思い出してもらえないかもしれない。

色んなバイトをしていて、その度に仲良く話したりお世話になって、同じ時を共有していたあの人もあの人も、あの人もあの人もあの人もあの人もあの人もあの人も…。

もう二度と会うことはないだろうし、きっと記憶から忘れ去られてしまうのだろう。

寂しい、寂しい

こうやって縁が切れていって、歳を重ねていって、もう今後、表面的な出会いしかなくなってしまうのでは無いかと考えると、怖くてしょうがない。

「今の自分を作っているのは、その時の出会いや経験があるから。」

そう思うことで、この寂しさをどうにか、紛らわせようと思う。

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