ブルーローズの花言葉 第一章
プロローグ
世界中の人々が憧れるロックスターなのに、ステージの上ではいくつになっても少年に見える。不思議な人だ。鳶色の瞳、茶色い髪の毛、くるくると変わる表情。彼の長い睫毛が揺れるたび、私の心も跳ね上がりそうになる。
あなたはこんなに素敵なのに、どうして、私なんかを好きになってくれたんだろう。
これは、彼と彼の親友がポップミュージックで世界を変えようとした、始まりのストーリー。
ビートルズと雨の日
青いバラ一本目 イワンの話 一
ブルーローズ。
それは自然に咲くことはありえない、幻の、青いバラ。だから「不可能」という花言葉がつけられたんだ。
科学の力って偉大だよな。バイオテクノロジーが進化して、日本の研究者たちが遺伝子を組み換え、青いバラを世界で初めて誕生させた。彼らの日夜の努力が、ついに夢みたいな話を可能にしたんだ。このドラマチックな出来事から転じて、ブルーローズの花言葉も「夢かなう」に変わった。幼かった俺は、大きくなって、もし何かに名前をつけることになったら「ブルーローズ」にしようと決めた。
工業都市マンチェスターの郊外で俺、イワンは生まれた。
親父のジョージは靴の職人で、母親ステファニーはアパレル企業のコールセンターで働くOLの、ごく平凡な労働者階級出身の夫婦だった。俺は二人の最初の子供として産声を上げ、大切に育ててもらったと思ってる。この街なら石を投げれば当たるくらい、ありふれた話さ。別に珍しいことじゃない。親父の口癖は「工場でだけは働くな」だった。物心がつく子供の頃からずっとそう聞かされて俺は育ったんだ。
赤ん坊の頃からくりくりとした大きな瞳と愛嬌あるスマイルを合わせ持っていた俺は、それはそれは可愛いと周囲から評判だったそうだ。ある時、レストランで俺の両親が食事をしていたら、よちよち歩きする俺のあまりの可愛さにギャラリーが集まっちゃって、周辺が軽くパニックになったって武勇伝もあるくらいなんだ。そりゃあもう大騒ぎさ。定年退職して、年金で生活しているようなおじいさんが俺たちに近づいてきて、ひとこと
「遠くから見ても、この子の愛くるしさは伝わってきたよ。将来はショービジネスの大物になるかもしれないな」
なんて、冗談か本気か分からないことを俺の顔見ながらしみじみと言うんだ。まぁ、俺は全然、覚えてないけどな、そんなガキの頃の話なんて。実際、親父が馬鹿みたいに撮りまくってたアルバムの写真を見ると、確かに自分でも驚くほど愛くるしい天使がたくさん写っていたよ。
この純真無垢な天使が、将来、破天荒なロックスターになるなんて、この時は誰も予想すらしてなかっただろうな。俺だって、正直言って、いまだに信じられないよ。笑うしかないね。
ルックスの話はこれくらいにしておこうか。ああ、俺だって分かってるさ。君たちインタビュアーが一番聞きたいことくらいね。「ブルーローゼズ事件」についてだろ。まぁそう焦らないでくれよ。その前に聞いて欲しいんだ。俺たちのバンドがどんな風に世界の頂点に立ったか、そこからどう崩れ落ちて「ブルーローゼズ事件」に辿り着いちまったかを、ね。
さて、この赤ん坊こと俺は、愛くるしい天使の見た目とは裏腹に、実にわんぱくに育った。これは俺自身も、うっすらと覚えている。近所の公園で遊んでいても、同い年くらいのヤツらが持ってるおもちゃをよく強奪しては泣かしていたんだ。今の俺からはよもや考えられない振る舞いだよな。え? イメージ通りだって? うるせえな。警備員さん、こいつを摘み出してくれ。冗談だよ。ちょっとからかっただけだって、ははは。
どちらかと言うと大人しかった俺がこんなに暴れん坊になったのには理由があるんだ。俺の親父が勤務する工場が移転するのに伴って、俺たち家族は郊外からマンチェスターの中心部に引っ越すことになったんだ。俺は五歳になったばかりだったけど、それはもう泣いたよ。大泣きさ。昼夜問わず、ぎゃんぎゃん声を上げて泣いた。ずっと一緒に暮らしていた祖父母と別れたくなかったんだから。暴れるのは寂しさの裏返しってヤツさ。
じいちゃんは典型的なマンキュニアン(マンチェスター市民)で、コニャックが好きで、古いレコードを愛してた。フラットにある彼の狭くて埃っぽい部屋の棚にはぎっしりとレコードが詰まってたんだ。いつもは無愛想な彼も、カウチに身を任せて、お気に入りのコレクションに耳をそばだてる時は、とても穏やかな老人になった。奪い取ったおもちゃに飽きた時、俺は決まって彼の部屋に行くんだ。ブルースやロックンロールの海に溢れた部屋で、二人して泳ぎまくった。これが俺の音楽人生の始まりだと言っても過言ではないな。
俺は片っ端からレコードを手に取っては彼に訊いた。
「じいちゃん、これは誰?」
「リトル・リチャードさ。声が渋くてカッコいいだろ」
「こっちは? 四人いるけど」
「それはビートルズさ。俺たちの国を代表するロックバンドだよ。ブリティッシュ・インヴェイジョンと言ってな。俺たちの国の音楽に、世界中の人々が熱狂した時代があったんだ。あの頃はいい時代だった」
彼は遠い目をしながら、若さゆえの無謀さでむせ返りそうな日々に想いを馳せる。
じいちゃんとばぁちゃんが出会ったきっかけも、ビートルズのコンサートだったらしい。
と言うのは表向きの理由で、じいちゃんは近所のレコードショップでたまに見かける可憐なポニーテールの少女にずっと恋をしていた。ある日、彼女がビートルズの新譜レコードを手に取り、レジへと持って行った。ビートルズが爆発的にブレイクするよりずっと前の話だ。想い人がモッズスーツに身を包んだ四人組ロックバンドのファンだと知ったじいちゃんは、公衆電話に置いてある電話帳をひったくり、テレビ局やラジオ局、音楽雑誌社の番号に片っ端から電話して、ビートルズのコンサートスケジュールを聞きまくった。マンチェスターにやってくる直近のスケジュールをなんとか聞き出すことに成功したじいちゃんは、今度は会場のホワイトプール・ボールルームに電話をかけ、残っていたチケットを入手した。あとは当日、会場周辺で彼女の姿を探してうろうろするだけさ。
幼心にも、じいちゃんがちょっと情熱的すぎると思ったし、ストーカーみたいな作戦で引いた。だけど、携帯電話もない昔の人はこうでもしないと、男女の出会いなんてそうは簡単に転がってない。年齢と経験を重ねた今の俺には分かる。
案の定、彼女はやってきた。あいにくの雨の日だった。彼女は入場前に、ひねくれた雨風にチケットを飛ばされてしまい、あちこちを探し回っていた。
「大丈夫かい? 僕が君の力になるよ」
じいちゃんは、さしていた傘も放り投げて、彼女のためにずぶ濡れになりながら道路の上をあちこち手でまさぐり始めた。突然現れた茶色の髪の毛の男の子に戸惑いながらも、ばぁちゃんは
「ありがとう」
と言ってチケット探しの作業に戻った。
「結局、チケットは見つかったの?」
俺は膝小僧を抱えながら質問した。
「あった。いや、正確には、あったはあったけど雨でぐちゃぐちゃになってて判別不可能になってたんだ」
ボロ切れみたいになったチケットを握り締めて、雨の中で若い二人は笑った。
「もうコンサートなんかどうでも良くなって、空いていた近くのカフェに入ったんだ。冷え切った身体が温まった頃には、また今度、ビートルズがマンチェスターに来たら一緒に行こうと約束してね。それが馴れ初めの真相さ」
その一件をきっかけに彼らは仲良くなって、俺が今、この世にいるわけだ。全く、ビートルズと、彼らの偉大なロックンロールには感謝しないとな。
青いバラ二本目 イワンの話 二
大好きだったじいちゃんと別れて、マンチェスターの中心部に家族揃って引っ越す時がきた。確かその頃には妹のオフィーリアが生まれていたかな。
出発の間際、じいちゃんが餞別として最もお気に入りだというビートルズのファーストアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」のレコードを俺にくれた。あの、メンバー全員が階段の手摺りから吹き抜け部分に顔を出して、下に向けて笑顔を見せてる、クールなジャケット写真のアルバムさ。音楽好きなら、きっとあの写真を誰もが見たことあるよね。じいちゃんが用意してくれた、粋なサプライズにまたしても俺は大泣きだ。これ以上、涙なんて出ないと思っていたのに。人間って、泣こうと思えば、いくらでも泣けるんだな。
トラックの荷台に俺と妹を乗せて、親父は走り出した。遠ざかるじいちゃんは、その姿が小さく見えるまで俺たちにずっと手を振ってくれた。隣には、ビートルズが縁結びしてくれた彼の最愛の人、つまりは俺たちのばあちゃんがそっと寄り添っていた。荷台の上で、この二人を結びつけてくれたビートルズの偉大さを改めてしみじみと感じたよ。俺はそのうち混乱して、自分が慣れ親しんだ故郷を離れるのが悲しくて泣いてるのか、それとも音楽がもたらした男女の奇跡みたいな出会いに感動して泣いているのか、よく分からなくなってた。
振り返ってみると、これが俺の人生で最初の喪失体験だったのかもしれない。
俺たち四人家族の新しい住処はできたばかりの集合住宅で、そばに大きな公園があった。親父の新しい職場からは徒歩圏内で、
「これで朝もゆっくりできる」
と彼はほくそ笑んでた。母親はコールセンターの支部が変わって、ルーティンワークの引き継ぎ書を片手にてんやわんやの大騒ぎだ。ベビーベッドの上で寝転ぶ赤ちゃんの妹が、物珍しそうに彼らをつぶらな瞳で見ていた。俺は親父に瓜二つと言って良いくらいそっくりだけど、彼女はどちらかと言えば母親に似てるかな。彼女は生まれたばかりだし「引っ越し」「新生活」なんて概念はまだ分からないだろうなと思った。気楽でいいな、ともね。
兄貴になったばかりの五歳の俺は、もらったばかりのレコードを胸にそっと抱きしめた。遠ざかるじいちゃんとばあちゃんの姿を再び思い出して、涙腺が緩みそうになった。妹はそんな俺を見て、紅葉みたいにちっちゃくてふわふわしたその手で頭を撫でてくれたんだ。驚いたよ。人間って、こんなに小さくても、落ち込む誰かを気遣うことができるんだな。まぁ、当の本人は覚えてないって言うけど。
ひとしきりセンチメンタルな気分で新しい日々を過ごした。
暖かい日差しが春の訪れを告げたある日、俺は気晴らしに近くの公園に行ってみることにした。そこであいつと「運命の出会い」を果たすことになる。俺たちは今でも昔話に花を咲かせる時、決まって「砂場の出会い」と呼んでるんだけどね。
イワンとジョシュの「砂場の出会い」
青いバラ三本目 ジョシュの話 一
イワンと初めて会ったのは、今でもヤツと思い出話に花を咲かせる時は決まってそういう話になるけど、なんていうか、俺にとってもすごく運命的な瞬間だったんだ。
俺はマンチェスターの、労働者階級出身の家庭で育った。普通の、大人しい子供だったよ。イワンみたいに暴れたりしないさ。まぁ、あいつが暴れるのは、決まってヤツにとって譲れない理由がある時だけ、なんだけど。
普通の、大人しい、空想と絵を描くのが大好きな子供だった。朝起きて、母親が作ったミートパイを食べた後、時間を持て余した子供のやることといったら、それくらいだろ? 俺の子供たちも、彼らと同じくらいだった頃の俺と似たようなことをして夢中になってるよ。
五歳の誕生日に買ってもらった自由帳に、いくつか無くして色が欠けたクレヨンで画面いっぱいにお絵描きするのが大好きだったんだ。目につくものはもちろん片っ端から描いたし、空想の世界でヒーローになった俺の勇敢な物語を、ストーリー仕立てで描いたりもしたよ。ドラゴンも魔王も、いつか見たアメリカのディズニーや、ソビエト連邦の映画会社が作ったアニメーション映画を繰り返し見て、記憶の中で思い出しながら、見よう見まねで描いた。俺は自由帳の中なら、どんなものでも創れる魔法使いになった気分でいた。思春期になってから試したどんなドラッグよりもハイな気分になれる。向かうところ、敵なしって感じだ。今も実家のクローゼットに残ってるかな。
部屋にこもり切って夢中で絵を描いてる俺を母親が心配して、何度か近くの公園に連れ出されたことがあった。俺は公園に行くことはそんなに嫌いではなかった。公園には砂場があるし、御伽噺に出てくるような城を作るのには持ってこいだ。問題は、いつ行っても必ずそれを壊す誰かがいるってこと。そう、その悪ガキの一人がイワンだったのさ。
イワンは最近ここに引っ越してきたばかりみたいで、初対面での印象は、なんだか、どことなく悲しそうだった。顔は女の子みたいに可愛らしくて、背丈は俺の肩ぐらいだったな。今思うと可愛いよなぁ。親父の遺伝のせいか、俺は当時から背が高かったんだ。その時でもう百三十センチはあったかな。今は百九十ちょっとくらい。そのうちビッグ・ベンも超えるかもな。ははは。
子供の頃から「のっぽ」の名を欲しいままにしていた俺だけど、イワンと初めて会った時も、夢中になって砂の城を作ってた。作ってる最中、どうも様子が変なんだ。俺が作ったそばから、城の反対側がぼろぼろ崩れていく気がする。不審に思って向こう側を覗いてみると、鳶色の大きな瞳の男の子がこっちを見ていた。城を間に挟んで、俺たちはしばらくお互いの瞳をじっと見ていたよ。奇妙な光景だっただろうな。
「お前のブルーの瞳が綺麗だったから、つい見惚れた」
なんて、イワンのヤツ、クサいセリフをサラッと言うんだ。俺が女だったら、間違いなくその言葉で恋に落ちてたな。あいつ、俺をキュンキュンさせてどうするんだよ……。
ちなみに、そんな天然の人たらしなイワンが最初に俺に抱いた印象は〈お、こいつ良い自転車持ってるな〉だってさ。人が丹精込めて作った城を壊しといて、自転車って、そりゃないよな。確かに公園に行く時は必ずと言って良いほど乗ってきたけど。何度思い出しても笑っちゃうよ。
あいつのイメージから、思いっきり足で蹴飛ばして城を崩すとでも予想したかもしれないけど、意外にもイワンはその細っこい指先で、一生懸命に砂を掻き崩していたんだ。誰かの大切なものを思いっきり破壊できるほど、根は無慈悲で豪快な人間じゃないんだ。それは、俺が一番よく知ってる。知ってる、はずだったんだ。
青いバラ四本目 イワンの話 三
「お前のブルーの瞳が綺麗だったから、つい見惚れた」
なんて、ジェームス・ボンドでも真っ青になるくらいのクサいセリフ、俺言ったかな? 〈お、こいつ良い自転車持ってるな〉と思ったことは、かすかに記憶にあるけど。
いや、本音を言うと、最初は普通に、そこら辺をうろついてる悪ガキ同様、砂場でジョシュが作ってた城を蹴飛ばして壊してやろうと思ったんだ。でもさ、気が変わったんだ。だって、あんなにジョシュがブルーの瞳をこれでもかってくらい凝らして、真剣な顔で取り組んでる様子を見れば、そりゃあ、誰だって考え直すだろう。たとえ俺が「バットマン」に出てくるジョーカー並みの悪人のハートを持ってたとしても、砂の城を派手にぶち壊すことは不可能さ。
だから俺は代わりに、今日見かけたばかりのブルーの瞳を持つ「のっぽ」の男の子に対して、ちょっとしたいたずらをしてやろうと思いついたんだ。
俺はこっそりヤツに近づくと、気づかれないように城の裏手に回って、この手で少しずつ、少しずつ、積み上げられた砂を削り取ってやったんだ。我ながら、根気のいる作戦だったよ。地味だしね。それにしても、あいつは何時間かけてあんなに馬鹿でかい城を作ったんだろうな。完全に俺の姿が、すっぽり隠れて見えてなかったって言うし。言っとくけど、俺は今も昔も、平均的なイギリス人男性の身長だよ。しかしまぁ、あいつが「ものづくり」の際に発揮する集中力は、五歳の時から凄まじいものがあったんだな。
遅かれ早かれ、ジョシュが俺の妨害工作に気がつくのは時間の問題だった。
時が満ちて、俺の鳶色の瞳と、彼のブルーの瞳、合わせて四つの瞳がついに交錯したんだ。吸い込まれるかと本気で思ったよ。本当に、夏の空みたいな澄んだ色なんだ。俺は、一気に瞳の持ち主のことが好きになったね。〈こいつはいいヤツだ〉と、直感でそう思った。それが俺とジョシュの最初の出会いさ。
今度、ジョシュに会うことがあったら、瞳を覗き込んでみなよ。きっと誰もが彼のことを好きになるはずさ。つくづく、不思議な男だよな。
ジョシュとイワンと「燃えよドラゴン」
青いバラ五本目 イワンの話 四
「砂場の出会い」以来、俺とジョシュはよくつるむようになった。お互いに五歳児だし、なんとなくウマが合うというか、まぁ、自然な成り行きで仲良くなったんだ。あいつとはそれぞれの好きなものをよく見せ合いっこして遊んだ。
ガキだった当時の俺のヒーローは、ムービースターのブルース・リーだった。
大人になった今でも、彼は俺にとって世界一クールな男だけどね。もともと、親父が彼の大ファンで、彼が自宅の居間でくつろいでる時は決まって「燃えよドラゴン」のビデオをテレビで流すんだ。仕事がない時にどうしても構ってもらいたくて、俺は親父のよく鍛えられた職人の膝に乗っかって、悪党相手にカンフーバトルを繰り広げる彼の勇姿に熱中した。まぁ、よくあるきっかけだよな。
考えてみると、俺の思想や趣味嗜好、パーソナリティーの根幹部分は、親父からの影響が大きいんだ。彼は社会主義者で、そこら中によくいる保守的なイギリス人の思想をあわせ持ってなかった。実家の書斎にはそれ関係の本がずらっと並んでるし、彼からよくソビエト連邦や東ドイツの話も聞かされたよ。だから俺は、差別主義者じゃないんだ。人種や見かけで、誰かのことを判断したりしないし、それを根拠に攻撃することもない。俺は、一生をかけて差別と闘ったブルース・リーを人生のロールモデルとして尊敬する男なんだから、そうなるのは当然の帰結だよな、自分でいうのもなんだけど……。
そんなわけで、いつしか俺は彼のカンフーアクションを見よう見まねで完コピすることにのめり込んでいった。繰り返し、何度も何度も、親父の持ってるビデオの再生と巻き戻しを往復して、もうテープが擦り切れるんじゃないかってくらいやったよ。あ、ちなみにビデオデッキのリモコンは三回くらい壊したかな。やりすぎて巻き戻しボタンが取れちゃったんだ。ヌンチャクはまだ持ってないから、そこら辺に転がってた棒を適当に振り回してポーズだけばっちり決めた。もちろん、今は持ってるよ。香港に行った時に買ったんだ、ブルース・リー仕様のね。
それに、そうそう、飛び蹴りシーンを真似してソファの上から飛び降りたら、勢い余ってリビングのダイニングテーブルの上にダイブしたこともあったな。もうびっくりしたよ。それに気がついた母親が血相を変えて、親子揃ってめっちゃ怒られたよ。
「お父さんが何百回も見せるから子供が真似するのよ!」
ってね。ははは。男だったら誰でも一度はやるよな。頭の中で憧れのヒーローと自分を重ねたりしてね。
まぁ、わんぱく盛りの息子を持つ世のお母さんは大変だよな。心配が絶えないって感じでさ。俺がいうなよって話でもあるけどね。
いつまで経っても飽きないでカンフーアクションの真似ばっかしてるもんだから、小学校に上がる頃には、家から一時間近く離れた空手道場を母親が見つけてきて、放課後は自転車を漕いで毎日のようにそこへ通った。
それが、俺の格闘技人生の始まりだった。いっときは音楽よりも夢中になってハマったんだ。
青いバラ六本目 ジョシュの話 二
イワンがブルース・リーにのめり込んでいったのはよく覚えてる。
公園の砂場で遊ぶのにも飽きた頃、あいつのうちに遊びに行ったんだ。彼の親父さんが集めたコレクションは、ビデオをはじめフィギュアなんかのグッズもあって、それはもうすごい量だった。あれは圧巻だったな。俺たちは「燃えよドラゴン」のビデオを一緒に見たんだ。確かにカッコいいなとは思った。大味の、外国人にいかにもウケそうなバトルシーンの数々と、東洋人のルックスを持つカンフー使いの主人公との対比が良いよな。俺は、東洋の人たちには「繊細そう」という印象があるんだ。日本のスタジオジブリのアニメーションを見ても、色使いやストーリーから、いかにも繊細そうな感じがするだろ。そういえば、あいつのうちのダイニングに、どういうわけか真ん中から真っ二つに割れたテーブルがあったな。あれは何だったんだろう。
俺はといえば、やっぱり絵を描くことが一番好きだった。イワンはどちらかといえば体育会系だけど、俺は、典型的な文化系。絵を描いたり、好きな本を読んだり、時には空想にふけったり。ナードなヒーローを目指してたんだ。今風にいうところの「オタク」に近いかもな、ははは。
イアンの人生のロールモデルをブルース・リーとするなら、俺にとってはウォルト・ディズニーがそれだった。ガキの頃はね。今はちょっと違うかも。それが誰かは、秘密。とにかく、ディズニーが作った世界初の長編アニメーション「白雪姫」は俺にとっても衝撃的だった。カラフルで、作画の動きが滑らかで、すごくクリエイティブ。音楽も耳に残りやすくて良い。彼はアニメーションを「子供が見るだけの娯楽」から「大人の鑑賞にも耐えうる芸術」に昇華させたんだ。本当に偉大な芸術家だよ。俺は「絵と音楽で表現された芸術作品」を自分もいつか手掛けたいと思ったんだ。ディズニー黎明期の作品づくりに貢献した九人のアニメーターたちのことを「ナイン・オールドメン」というんだけどね、「ナイン・オールドメン」に仲間入りしたいと、本気で夢に見たよ。
だから、中学を出たあとはカレッジでアートを専攻したし、実はほんの一時期だけど、ある制作会社でアニメーターとして働いていたんだ。本当は作画担当になりたかったけど、まずは見習いということで、彩色をやらせてもらった。プロの現場で学ぶことはたくさんあって、楽しかったよ。まぁ、俺のアニメーターへの情熱も、だんだんと「ブルーローゼズ」のギタリストの方に傾いていくんだけどね。
青いバラ七本目 ジョシュの話 三
イワンの本質がよく分かるエピソードがあるんだ。
あの日、俺たちはいつものように砂場で遊んでいた。俺は見たばかりのディズニー映画「眠れる森の美女」の城をイメージしながらせっせと手を動かしてた。俺はこの映画の中世絵画みたいな雰囲気と、少しダークで独特な色使いがたまらなく好きなんだ。魔女のマレフィセントがドラゴンになって、フィリップ王子と対決するシーンが特にお気に入りなんだ。いばらで囲まれた城っていうのがロマンチックだよな。
「お前って、飽きないよな。似たような城を作るの」
俺が一方的に喋りまくる映画の感想に耳を傾けていたイワンは、少し呆れながら隣で砂を運んでくれた。俺たちの傑作がだいぶ完成に近づいた頃、完全に油断してた俺は背後から衝撃を受けて、目の前の城に頭から突っ込んだ。
「おい、いきなり何すんだよ!!」
イワンが立ち上がって、突然に攻撃を仕掛けてきた何者かに威嚇し始めた。
「どいてろよ。砂場は上級生のものだぞ、お前らは向こうに行け!!」
声の主は、小太りの上級生だった。いつも取り巻きを二、三人くらい引き連れて、いじめる対象を探してることで有名だった。そこらへん一帯の公園を我がもの顔で取り仕切る、子供界のボス的な存在のヤツだった。名前は……なんて言ったか忘れた。俺たちみたいな子供には威張り散らして悪さばっかしてたけど、そいつの母親はもっとおっかなくて、彼女の前ではシュンと大人しくなるんだ。まさに借りてきた猫みたいな感じでね。子供あるあるだな。噂によると、父親は無職でアル中になった末に家を出て行ったらしい。多分、そういう家庭の事情もあってフラストレーションが溜まってたんだろう。そこにちょうど目についた俺らが、彼のストレス発散の標的になったというわけだ。
そいつは俺の顔面に右フックをかましてきた。不意打ちの攻撃をまともに食らって、俺の鼻から赤い血が出た。俺の鼻は高すぎるせいか、ちょっとしたことですぐに鼻血が出るんだよなぁ。直感で〈まずい〉と思ったね。そいつに殴られたことに対してじゃない。横にいるイワンが、間髪入れずに飛びかかったんだ。イワンの飛び蹴りはそいつの土手っ腹に命中して、悪ガキで名を馳せた男を派手に吹っ飛ばした。ポーンと、砂場を越えて一メートルくらい飛んでいくのを横目で見ながら、最も怒らせてはいけない男の導火線に火をつけてしまったことに俺は焦ったよ。
イワンはチャンス到来と言わんばかりに、ブルース・リーの真似で鍛えた数々のカンフーアクションを披露しようとしてるんだ。
全く、顔は天使みたいに可愛いのに、中身はなんて血気盛んなヤツだ。
さすがの取り巻きたちも、自分たちよりもずっと小さい下級生による奇襲に焦ったのか
「な、何すんだよ」
と返すのが精いっぱいだったみたいだ。
「お前、見かけないヤツだな」
「コイツ、女みたいな顔してるくせに、なかなかやるな」
取り巻きどもは口では強がっているが、および腰のまま一歩ずつ後退りしていくのが丸わかりだった。
イワンは拳でファイテングポーズを取ると
「俺はイワンだ」
と戦闘態勢のまま自己紹介した。
「お前らのボスが殴ったこいつ、ジョシュの友達だよ!!」
チラッとこっちを見て言い放った、ご丁寧に俺の名前まで……。これはもう他人のフリはできないと思ったよ。まぁ、俺のために怒ってくれてるのは少し嬉しかったけどな。イワンは右手を前に突き出すと指先だけをクイッと折り曲げ、アクション映画で主人公がよくやるような「かかってこいよ」のジェスチャーをした。もう完全にこの状況を楽しんでたし、頭の中では映画の世界に入り込んでたんだな。彼を主人公とした筋書きのないドラマが、始まろうとしていたんだ……思わず俺は生唾を飲み込んだよ。
その後はもちろん、イワンのなんちゃってカンフーお披露目を中心とした無差別な乱闘に突入した。
と、思いきや、実際はちょっと違った。
俺たちと取り巻きの対立をよそに、イワンの蹴りにやられて伸びていたはずの彼らのボスは、ようやっと起き上がるとズンズンとこっちに向かってきたんだ。
〈まずい、やられる!!〉
俺は内心で焦った。そいつとイワンの距離はもう拳一つ分もない。俺は「逃げろ、イワン」と叫ぼうとした、が、結果的にその必要はなかった。
そいつはキスでもするのかと思うくらいイワンの天使のような可愛らしい顔に自分の顔を近づけると、
「お前、やるな」
とニッと笑ったんだ。さらに彼は、自分を吹っ飛ばした天使の顔を持つ悪魔みたいなわんぱく少年に握手を求めてきた。
ここら辺一帯を取り仕切る悪ガキが、イワンを「自分より強い男」として認めたんだ。まさかの展開に居合わせた俺たち一同、唖然としたよ。
「ボス、何やってんすか、早くブッ飛ばしちゃってくださいよ」
とか何とか取り巻きも慌てて言ってたけど、全員もれなくゲンコツ食らって口にチャックをする他なかった。
一方、当のイワンは訝しげな表情でしばらく何かを考えた後、差し出された手を握って「まぁな」と満足げな笑みを浮かべた。単純な男だ。
その日から、枚挙にいとまが無いイワンの武勇伝が始まったんだ。
これは余談だけど、例のボス的な存在だった悪ガキは俺たちと普通に友達になって、よくライブにも来てくれた。時間が空いてる時は自慢の筋肉で機材を運ぶ手伝いもしてくれたな。名前は……なんて言ったか忘れたけどね。
世界的ロックスター、ブルーローゼズの魅力を語る
青いバラ八本目 ローディー、トーマスの話 一
ブルーローゼズの存在を知った頃、俺は地元マンチェスターで活動していた、あるバンドにくっついてローディーをしてたんだ。ローディーっていうのは、ライブをする時に機材をセッティングしたり、最中のトラブルに対処したりする、まぁ、いわゆる「縁の下の力持ち」のような存在のことだな。
ブルーローゼズは、そりゃあすごかったよ。
彼らはずっとインディーで下積みを積んできたんだけど、地元の音楽好きな連中の間では、ずっと彼らにまつわる噂で持ちきりだった。どんな噂だって? 「こいつらはすげぇ。こいつらが次に何をやるかが楽しみだ」って内容さ。どの辺がどんな風にすごいのかは、これからおいおい話していってやるよ。
まぁ、そう焦るなよ。偉大なロックバンドには、特筆すべきエピソードがてんこ盛りで、そのストーリーは気が遠くなるくらい長いって相場が決まってるんだ。何より、貴重な思い出話を俺みたいな世界的ロックスターの口から直に聞けるんだから、このインタビューを読んでる連中は本当にラッキーだと思うね。この状況を楽しまなくちゃ。まぁ、これからもいろんな彼らの関係者がいろんなことを話すと思うし、本当に長くなるから、とりあえずリラックスしてコーヒーでも淹れてこいよ。おっと、俺の分も頼むな。もちろんブラックで。
そうだな。まず初めに、俺が何者かを話すことにしようか。
俺、トーマスは北アイルランド人の血を引く父親と、彼がイングランドの北部の田舎町で出会って恋に落ちた、俺たちのおふくろの間に生まれたんだ。俺たちは三人兄弟で、俺の上に兄貴がいて、次に次男の俺が生まれて、末っ子は、そう、お前らもよく知ってる通り、あの悪ガキさ。俺たちを育てたおふくろはマジで大変だったと思うぜ。だって、自分の息子にうちのロックバンド、クラウドバーストの悪名高いフロントマンのウィリアムがいるんだからな。え? 俺? そういう俺はどんなガキだったかって? 俺はあいつに比べたらずっとまともだよ。ガキの頃からな。くだらない質問をするんなら、これからすぐ日本に飛んでお前らの悪口を言いまくってやるからな。ジョークだよ、ジョーク。俺って、卓越したソングライティングの才能だけでなく、お笑いの才能もあるからさ。こないだも最新アルバムとツアーの宣伝のために投稿したコメント動画がさ、「キャラが立ってて面白すぎる」ってわけで、SNSでバズりまくってるらしいんだよ。
「トーマス、見てください! いいねの数が止まりません!!」
なんて、俺が所属するレコード会社の担当者が血相変えてさ、自分のノートパソコンの画面を俺に見せてきたよ。話題になるのが嬉しくてしょうがないって様子で、興奮して黄色い悲鳴を上げてさ。彼女のあの時のテンションの方が俺にとっては面白かったけどね。ははは。思い出しても笑えるな。
調べてみると、どういうわけか知らないけど、俺がコメントしてる動画は日本でウケてるらしいんだ。まぁ、俺としては普段通り、思いついたことをそのまま言っただけでさ。そこまでウケを狙ってたわけじゃないんだけど。実は、俺の日本人の友人が教えてくれたんだよ、「日本には五月病というものがあって、五月は元気がなくなる日本人が多い」ってさ。鬱っぽい気分になって、重症になると会社や学校に行きたくなくなるし、最悪の場合、自殺する人間もいるそうだ。
俺は信じられなかったね。だって、五月なんて一年で最もステキな季節だろ? だって、その頃には俺が愛するリヴァプールFCが優勝を決めるだろうし、何と言ったって、俺の誕生日もあるんだぜ? 最高だろ? 気分が落ち込んだり、自殺したりする理由がどこにあるんだよ。信じられないね。俺のファンなら俺の生まれた日がある五月が毎年巡ってくる事実に大喜びするはずだろ? シンプルにそう思ったから、そのまま言ってやったんだ。それが面白かったみたいだな。
「それでも元気が出ないなら、どっかの音楽配信サイトに飛んで、俺のイカした新曲をパソコンにいっぱいダウンロードして聞くんだ、それが特効薬になる。曲が終わる頃には君たちの気分はスッキリさ」
ってついでに言ってやったんだ。ちゃんと自分の曲の宣伝もしてるだろ? いくら俺が世界的なロックスターでも、でっかい新しい家を買ったばっかりだから、俺も金稼ぐのに必死なわけよ。いつでも俺は仕事熱心なのさ、根が真面目だからね。ははは。まぁ、とにかく、日本の人たちにはいつも支えてもらってて感謝してるよ。彼らはとっても勤勉で真面目だから、いろんなことを真に受けちゃって、きっと深刻に悩むんだろうな。
おっと、話が大幅にそれちまったな。一体、何の話だったっけ? あ、そうだ、俺が何者かって話ね。OK、続けようか。
青いバラ九本目 ローディー、トーマスの話 二
俺たちの両親は、ほとんど駆け落ちみたいな感じで結婚して、イングランド北部の田舎町を脱出したんだけど。末っ子のウィリアムがおふくろの腹ん中にいる頃には、二人の関係に既に亀裂が入ってたんだ。俺が家庭の中で幸せだと思った記憶は、ほとんどないよ。親父はアル中で、一番上の兄貴と俺をことあるごとに殴りやがった。酒が抜けると優しい人格に戻るんだけど、豹変するともう、同じ人間とは思えないくらいに手が付けられない暴れっぷりなんだ。だから俺たちはキッチンからウォッカやコニャックの酒ビンをかき集めては、そっと自分たちのベッドの下に隠してたんだ。まぁ、たまに俺たちもちょっぴり拝借してたけどね。ああ、ここは書かないでくれよな。頼むよ。ははは。
それでも、どっかから安くて質の悪い酒を買ってきては飲んで、酔っては暴力の限りを尽くしてた。当然、そんな感じでまともに働けないからほとんどの会社を短期間でクビになって、俺たち家族はスズメの涙みたいな金額の失業保険で暮らしてた。金もないくせに、どこからあんなに酒を仕入れて来てたんだか。全く、呆れるよ。ダメ親父だけど、ウィリアムが生まれたばかりの頃は本来の優しさを取り戻して彼を大事にしてた。そのままでいてくれたら、おふくろも俺たちを連れてマンチェスターに逃げ出す必要もなかったんだけどな。今の俺からは想像もつかないほど、ヘヴィーな子供時代を過ごしてたわけよ。
親父が酒を飲むと決まって怒鳴り散らすし、俺は怖くなって自分の部屋に閉じこもることが多かった。だから、叫び声が聞こえないよう、耳を塞ぐためにヘッドホンでいろんなレコードを聞いたよ。やっぱりビートルズは子供心にも最高だなと思ったよ。ジョン・レノンのかすれたセクシーな声で歌う歌詞が好きだったんだ。あとはやっぱり当時ものすごいはやってたパンクだな。イギリスだとジャム、クラッシュ、セックス・ピストルズ。特にピストルズは最高だよな。彼らは一枚しかアルバムを出してないけど、今レコードに針を落としても、何時間でも聞いていられるよ。「勝手にしやがれ」は飽きが来ないね。名盤だよ。アメリカならラモーンズ、ニューヨーク・ドールズ、イギー・ポップ、パティ・スミスなんかも良いよな。ありえないことに、よく「ウィリアムの声質がビートルズのジョン・レノンとセックス・ピストルズのジョニー・ロットンを足して二で割ったみたいだ」と言われるけど、俺は初めにこんな薄っぺらいことを言い出した音楽評論家に文句を言いたいね。あいつが彼らを一方的に真似してるだけだっつうの。全く。
音楽漬けになるしかなかった俺が、ギターを手に取ることは必然だった。ブルーローゼズのジョシュも言ってたと思うけど、俺たちの国イギリスは年間を通して雨の日が多いだろ? だから自宅にこもって何かすることが多いわけよ。そんなやつらが退屈しのぎにやることと言ったら、誰でも簡単に始められるギターが売ってつけだってことだ。エレキギターなんか、弦を張って、アンプにシールドを突っ込んで、ジャーンって音を鳴らせば、たとえテキトーでもたちまちロックスターの気分に浸れるからな。だから一世紀近くに渡ってギター文化がこんなに盛んで、俺たちの国で生まれた音楽が何度も世界を席巻したわけだ。
退屈な学校から帰ると俺はギターを弾いて曲をしこたま作ってた。別にそれで金を得たいってわけじゃなかった。自然に頭の中に旋律が浮かんで、勝手に指が動くんだよ。最初は慣れなくて挫折しそうになったけど、何とか我慢して続けてたら、気がついた頃には曲のストックが百は超えそうになってた。あまりにも自分の息子がギターに夢中で部屋から出てこないから、不安になったおふくろに怒られたこともあったよ。兄貴は大人しくて存在感がないけど、ウィリアムは当時から稀代の悪ガキの名を欲しいままにしていて、ほとんど家に帰ってこなかった。
「どうしてなの、ウィリアムとお前は足して二で割ってちょうどよ!」
こう言って、おふくろはしょっちゅう泣いてたな。もう、苦労の連続でおふくろもどうかしてたんだろうな。今じゃ俺たち兄弟が買った豪邸で、プールそばのカウチに寝そべってトロピカルジュースを啜ってるけどな。
学校を出ても俺は、何の興味もわかないテキトーな職に就いては辞めてを繰り返して、失業保険で食いつないでた。ギター以外は長続きしないんだ。その辺は自分でも親父に似てるな、と思うよ。参ったね。まぁ、俺はあいつみたいに自我を失うほど酒に飲まれることは絶対にないけどな。そろそろ貯めていた金も底をつき始めようとしていた頃、俺は出入りしていたある楽器屋で「ローディー募集」の張り紙を見つけた。なんでも、あるインディーのバンドが専属のローディーを探しているって内容だった。新しい弦を張り替える小遣い欲しさ感覚で電話をかけて応募したら「じゃあ、明日から来て」って早速ヨーロッパのドサ周りツアーに帯同させられて、気がついたら狭苦しいバンの後部座席に数人の野郎どもと一緒に押し込められてたよ。まぁ、今考えればここから俺の音楽キャリアがスタートしたと言っても良いかもな。バンドの連中とは今でもたまにつるんでるよ。マンチェスターで音楽やってる人間はみんないいヤツさ。それはブルーローゼズも例外ではないけどな。
青いバラ十本目 ローディー、トーマスの話 三
ローディーとしてヨーロッパツアーに帯同した俺は、半年ぶりに地元マンチェスターに帰って来た。まぁ、安給料ではあるが、安定した職を得た俺はますます安心して日中は自宅に引きこもり、音楽をしこたま聞いたり、曲をしこたま量産する毎日を送ってた。夜になるとライブの時間に間に合うようにスクーターに乗って、ヤニ臭いライブハウスで仕事して、朝までパーティーする時もあった。あいつらは陽気だからな。まぁ、ほとんど俺は彼女を理由に帰ってたけど。彼女なんていなかったけどな。
それなりに金銭的に余裕ができた俺は、週末は気晴らしを兼ねてマンチェスター市内のいろんなライブハウスに客として足を運んでた。インターナショナルやハシエンダなんかが当時のホットな若者が集まる場所ってことになってた。そこでこっそり売人から手に入れた安物のドラッグで平日の仕事で溜まりに溜まった鬱憤をはらすわけさ。マンチェスターに住む一般的な労働者階級の若者は、それがデフォルトの休日の過ごし方だったんだ。日頃から数ポンドを節約して、それでめいいっぱい、記憶が飛ぶまで楽しむんだ。
俺はその日、たまたまふらりと入ったインターナショナルでブルーローゼズのギグを初めて見たんだ。第一印象としては「曲は良いけど、服装があってないな」だった。特にボーカルのイワンは、当時マンチェスターを代表するバンドのスミスを丸パクりしたみたいなオールバックの髪型で、ペイズリー柄のシャツとジーンズに、どういうわけか黒いマントを羽織って手にステッキを持って歌ってた。モリッシーと、ドラキュラ伯爵のコラボレーションかよって思ったね。最後はもちろん黒いマントをばさっ!! と大袈裟なくらいひるがえして退場するんだ。オーディエンスは目が点になったね。俺は焦って今日がハロウィンじゃないか、バーカウンターまで行ってカレンダーを確認したくらいさ。ファッションに関して言えば、当時の彼らは突っ込みどころは満載だったね。一番センスが良いとされたジョシュにしたって、如何ともしがたい柄の帽子を頭に乗せて、サスペンダー姿でギターをこう、くるっとターンしながら弾くんだ。正気かよ、そういう曲じゃないだろと思ったね。わざわざターンなんかしなくてもクールなのにな。語り継がれるほど妙ちくりんな格好をしていた彼らが、ついに国内ツアーに打って出たと聞いたときは「おいおい、マジかよ。あのハロウィンなルックスのまま行ったのかよ」と他人事ながら心配になったね。よく覚えてるよ。今でも彼らと飲むときは、この「ドラキュラ伯爵とサスペンダーターン事件」が定番な笑い話として必ず出てくるよ。マジで、その時の俺の驚きっぷりをみんなに見せてやりたいね。「おいおいおい、マンチェスターにいったい何が起きてるんだ?」って感じだったよ。
それでもブルーローゼズの曲はどれも気に入ったし、服装さえなんとかすれば、ひょっとしたら大化けするかもしれないな、と直感した。俺は会場の隅っこでテープを回してた男に近づいて、彼らのブートができたら買うからそれを送ってくれと住所を書いた紙を渡した。それから、彼らがギグをするときはなるべく通うようになった。もちろん物販でありったけのレコードも買って帰ったよ。「サリー」は本当に名曲だよな。その頃はあの名物マネージャーのアレックスが自らライブハウスの入り口付近で道ゆく若者にチケットを配り歩いていて、ブルーローゼズを実際よりも人気があって大きなバンドに見せかけるべく地道な活動をしていたんだ。まぁ、この辺はどんなロックバンドも必ずと言って良いほど通る道だよな。ものづくりに少なからず携わってる人間なら、彼らの涙ぐましい努力が理解できるはずさ。俺は近所に住む女の子も誘って、タダのチケットで彼らのライブを見るのが楽しみのひとつになってたんだ。あの頃はみんな無我夢中で、めちゃくちゃで、良い時代だったな。
まさかこうして一緒に、ローディーとして、ではなく、シンガーソングライターとして彼らと仕事をするようになるなんて、君なら想像つくかい?
青いバラ十一本目 ウィリアムの話 一
ファック。トーマスの野郎、俺のことをそんな風に話してたのか。まあ良いさ、俺が今からあのポテト野郎よりもっと面白おかしく、時にドラマチックに、時に諸々の訂正を挟みながら、ブルーローゼズと俺の物語を話してやるよ。どうか耳の穴をかっぽじってよく聞いてくれよな。
トーマスの言う通り、俺たちはどうしようもない親父と、そいつに悩む男運の悪いおふくろの間に生まれた。でもさ、考えてもみろよ、世界的ロックバンド・クラウドバーストのメンバー五人のうち二人も、この夫婦から生まれてるんだぜ? もはやキリスト生誕以上の奇跡だという他ないよな。キリストはたった一人でこの世に生まれてきたけど、俺たちは二人だから、それ以上の奇跡だ。な、読者のみんなもそう思うだろ? まぁ、おふくろに関して言えば、やばい男に囲まれてるって意味ではずっと変わってないんだけどな。だって、自分が産んだ息子たちの中に、あの口の悪いトーマスがいるんだぜ? トーマスの野郎に比べりゃ、俺なんかずいぶん可愛らしい方だよ。読者のみんなも、もちろんそう思うよな?
ブルーローゼズのイワンは、彼を見たさにギャラリーの行列ができるほど可愛かったって話は有名だけど。生まれたばかりの頃の俺も、彼に負けず劣らずの天使だったんだ。よくネットで出回ってるボールカットの笑顔がキュートな子供の写真は、間違いなく昔の俺なんだ。一体、誰が流したんだろうな。まぁ、おおかた俺たちの親父が金欲しさに雑誌社かパパラッチかなんかに渡したものが流れたんだろうな。とにかく、誰もが認める愛らしい子供だったんだ。
親父の狂気にいよいよ耐えられなくなったおふくろは、俺たちを連れてついにマンチェスターの、シングルマザーが暮らすボロい公営アパートに逃げ込んだ。治安も、正直言って良くはなかった。だけどそのまま地獄みたいな場所にいるよりかはずっとマシだった。
俺自身はそこまで親父から暴力を受けた覚えはないけど、一番上の兄貴と、トーマスは餌食になってたのを見たよ。特にトーマスに対しては酷かったな。
「パパ、兄ちゃんたちを殴るのはやめてよ」
俺は子供ながらに抗議したんだけど、ますます兄貴を殴る手がエスカレートするだけだった。哀しかったよ。彼の耳には誰の言葉も届かないんだ。俺は実の父親をこんな風に変えちまった酒を憎んだ。だから俺は、昔はどうあれ今はアルコールの類は一滴も飲まない。息子たちに対しても、俺はこれまでだってただの一度も手をあげたことはないし、これからもそうすると固く決めてるんだ。
一番上の兄貴とトーマスは三つ、俺とトーマスは五歳違うから、彼らはそれはそれは、歳の離れた末っ子の俺を可愛がってくれたよ。かつて敬愛するイワンにも「人前での兄弟喧嘩はみっともない」と苦言を呈されたくらい、メディアを通じて悪口合戦を繰り広げてる俺らだけど……。意外に思われるかもしれないけど、この頃は本当に、俺は彼らに存在を受け入れられていたし、愛されてるんだなって感じた。もちろん俺も、彼らを心から愛してたよ。今だってそうさ。トーマスはもしかしたら、今は違うのかもしれないけどな……。何だか、しみったれた話になっちまって悪いな。話を戻そうか。
とにかく、俺らがマンチェスターに来たのは、ほとんど夜逃げみたいなものだったから、よく遊んでた幼なじみの女の子との交流も、ある日突然シャットアウトされたと感じたんだ。今以上に繊細な俺は、そんな現実に傷ついた。それに、あんな親父でも一応は実の父親だから、目の前からいなくなるのは寂しかった。もちろん、こんなことは家庭内暴力の被害者であるおふくろや、兄貴たち、特にトーマスには話せない。だんだんと心の底に寂しさが積み重なって、キャパシティーオーバーで溢れ出しそうになった頃、俺はついにフラストレーションが爆発した。家出同然でボロい公営アパートを飛び出したんだ。
ガキの頃から安いドラッグに手を染めて、それの効果が切れると虚しさが襲ってくる。その時の虚無感や絶望感は、もうどうしようもないんだ。金もないから、不在がちな金持ちの邸宅のとびきり大きな庭に侵入して、納屋から金目の品物をこっそり持ち出しては売り飛ばしてた。その金でまた売人の溜まり場である橋の下へ行って、ドラッグを買うんだ。悪態も付くし、道を歩けば俺を見た大人たちが顔をしかめた。とにかく、手の施しようがないクソガキだったよ。だけど、それら全ての行動は、傷ついた心から生まれたものだったんだ。言い訳になっちまうけど、俺の封じられた本音を聞いてくれる人がずっと欲しかったんだよ。良くも悪くも目立つことをしでかして、誰かの気を引きたかったんだ。そればっかり、考えていたよ。
青いバラ十二本目 ウィリアムの話 二
絵に描いたような、大人もサジを投げたくなるほどのクソガキだった俺だけど、学校だけはちゃんと行ってた。もちろん退屈な授業には興味がなくて、友達とつるんで何かするのが好きだったんだ。あの頃の俺は、男女問わず、仲良くなった友達の家に転がり込んでは、こっそり隠れて手に入れたばかりのドラッグでぶっとんでた。
破天荒で不毛な行動を重ねていたある日、学校帰りの公園で、よくつるんでた友達とアイスを食べながら最近ハマってることについて話し合ってたんだ。そしたらそいつはもう聞いてくれよってものすごい剣幕で話を切り出した。
「俺たちの地元マンチェスターにとんでもないバンドがいる」
そいつが言うには、たまたま入ったライブハウスに、奇妙な格好だけどめちゃくちゃ曲がイカした連中がいたって興奮気味に捲し立てるんだ。それがさ、そう、ブルーローゼズだったんだ。
「とにかく、曲が良いんだよ。『犬になりたい』とか『猫になりたい』とかだったかな?」
友達のそいつは普段は青白い顔色なんだが、ゆでダコみたいにもはや興奮で顔を真っ赤にしてこういう風に力説するんだよ。何言ってんだって思ったね。ついにクスリで頭がおかしくなったのかって、本気で心配したよ。だってさ、「犬になりたい」あるいは「猫になりたい」だぜ? 全くもって意味が分からないだろ。主人公がどういう心境で犬だか猫だかになりたがっているのか、友達から歌詞を聞いてもさっぱり分からなかったし。しかもボーカルの見た目はまるでドラキュラみたいだっていうし、ギターは変な帽子を被って演奏しながらたまに回るし。……ドラムとベースはその頃からクールだったな。とにかく俺の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだったよ。俺の友達がおかしいのか、それともブルーローゼズが本当にイカれた連中なのか、情報があまりに少なくて判断つかなかったからさ。まぁ、後でそれは「憧れられたい」というタイトルだったんだって、初めて彼らを見たインターナショナルのライブで俺は知るんだけどね。そう、あの名曲だよ。どんなセットリストの先頭にも必ず鎮座して、ライブの始まりを告げる、ブルーローゼズの代表曲だ。イントロを聞くだけで、会場の熱狂が伝わってきそうだよ。ああ、話してるだけでまた久々にライブに行きたくなってくるな。
しょっぱなで「憧れられたい」が披露されたら、俺は〈犬でも猫でもないじゃん、あいつ〉って苦笑しながら内心突っ込んだよ。まぁ、子供の情報ネットワークなんて、そんなもんだよな。はなから当てにならないさ。今みたいに気軽に検索できるインターネットも無いわけだし。同時に、友達がゆでダコみたいに興奮して俺に感想を話したくなる気持ちも痛いほど分かったんだ。実物のブルーローゼズは変人の集まりどころか、近所の兄ちゃんがめちゃくちゃクールなロックをやってるって感じだった。彼らみたいな人間がマンチェスターにいるんだなって、何の変哲もない自分の地元が誇らしく思えるくらいだったよ。
だけど、この話って、いつ振り返ってみても噴飯ものだよな、「犬になりたい」って……。しれっと今度の俺の新曲のタイトルに使ってみるのも逆にアリかもな。ははは。
ある意味じゃ、最も衝撃的なブルーローゼズとの出会いを果たした俺だけど、ステージ上の彼らは本当に、俺たちイギリス人が首を長くして待ち望んでいた新しいロックスターって雰囲気を既に身に纏っていた。ああ、最高だったね。確かに噂通り、初めて見たブルーローゼズはゴスともモッズともつかないヘンテコなルックスだったけどな。Tシャツとジーンズの、シンプルで飾らない姿になってからの方がむしろ人気は上がったな。そっちの方がブルーローゼズのパブリックイメージとして定着したもんな。だけど俺にはルックスなんてちっぽけなことでしかなくて、どんな格好をしてても俺の瞳には彼らがキラキラと輝いて見えたんだ。
直感的に思ったんだ、〈俺の進むべき道はこれだ、これなんだ〉ってね。俺もイワンみたいにオーディエンスを圧倒するほどの熱量を持ったピンボーカルになりたいと、ライブが終わる頃には決心したんだ。それは神の啓示にも近かったね。
神の啓示を受けてからも、俺はブルーローゼズのライブに通っていた。ある日、物販で売ってたインディー時代の曲を詰め込んだテープと、メジャーデビューして初のシングルだっていう「サリー」をなけなしの金で買って、久しぶりにボロい公営アパートに帰ってステレオで聞こうとした。そしたらさ、全く同じレコードが転がってて、それにも驚いた。上の兄貴もトーマスも彼らのファンで、既にいろいろ買ってたんだ。血は争えないってやつだ。だから「サリー」だけでうちに三枚あるんだ、あはは。
そういえば確か、俺らクラウドバーストとチャート争いをしてたブルーのデーモンですら、ブルーローゼズが好きで曲作りの影響を受けたと何かのインタビューで言ってたな。初期のブルーは確かに少しだけ音色がサイケデリックで、雰囲気が似てるっちゃあ似てるもんな。ファック。デーモンのことは好きじゃないけど、その件に関してだけは同感だ。ああ、悔しいけどあいつの音楽センスの良さだけは認めてやるよ。それにしてもどうにもいけ好かない野郎だ。
まさに彼らが歌う通り、ブルーローゼズは一人の少年に「憧れられる」存在になったんだ。俺は今こそ自分が世界的なロックスターだって自負があるけど、彼らと出会ってなかったら、たぶん音楽の道に進むことはなかっただろうな。工場で働くか、フットボールチームの選手か、あるいはドラッグの売人か、そのどれかのありふれたマンキュニアンの中年男で終わってたかもしれない。そう考えると、俺にとってはキリスト生誕以来の奇跡だな。
神に誓っても良い。どんなに時間が経っても、ブルーローゼズはマンチェスターで一番のバンドだ。それは俺が、保証するよ。
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