就職活動について

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4月16日(金) 午後13:00 



この日をもって、私の就職活動は終了した。
約1年間、いや約3年間の戦いが無事に終わったのだ。



手帳が真っ黒になるくらいスケジュールが毎日立て込んでいたのに、第一志望の会社から「内定」をもらって急に暇になってしまった。
(第一志望です!って嘘をつき続けた会社たちに辞退の連絡をするものすごい嫌な仕事がまだ残っているが、泣)



”就活”のせいで何も心から楽しめず、味わえず、このnoteの更新も滞ってしまっていた。せっかく暇になってしまったので、私の長い長い就職活動について少し記録に残しておこうと思う。きっと私の人生においてここまで努力し、全力で戦ったことは初めてなんだから。




始まりはそもそも大学受験だった。いわゆる有名私大を受けまくったが、残念ながら希望の大学に合格することはできなかった。正直にいうと、今通っている大学以外全て落ちた。(親しか知らない事実でもある笑)受験が終わってから学校に行くのが本当に苦痛だった。玄関先には、華々しい合格実績がズラリと並んでいた。第一志望に受かって鼻高々にそこに載せてもらうのが憧れでもあったが、当時の私はこの学校に通うのが本当にコンプレックスで、担任の先生に小声で「載せなくて大丈夫です。」と断りを入れたのを今でも鮮明に覚えている。卒業式に担任の先生から卒業証書をもらう時も目を合わせることができなかった。




両親にも本当に申し訳なかった。浪人を絶対にしたくないというわがままによって私立理系並みの学費(何故かものすごく私の学部だけ高かった)を4年間払わせることになってしまった。でもその時の私はもう受験勉強をできるメンタルでは無かったしなんとか地元を逃げ出したくてしょうがなかった。




大学に入ってからは、所謂飲みサーの先輩と朝まで飲みまくり、コールをしながら一気飲みして、始発に帰ることを何度も繰り返した。なんとか自分のアイデンティティを保とうとイケメンの彼氏で釣り合いを持たせようとするがそんな薄っぺらい関係はすぐに破綻し、電車で涙が止まらなくなったこともある。笑




でもそんな時に、私に転機が起きる。いつものように始発の電車で帰っている時にふと、「自分、大阪まできて何をしてるんだろ。」と急に冷静になったのだ。さらに、クズイケメン元彼に対して、今度会ったら罵詈雑言を浴びせて水でもかけてやろうかと考えていたが、自分がすごい人になって見返してやればいいんだ!と急に変なことを思いつき、そこからの私は本当に自分でも引くほど真面目で超優等生に大変身した。




幼い頃からキャビンアテンダントになるのが夢だったので、就職活動で役に立ちそうなことは全部挑戦した。海外経験、日本代表、ミスコン・・・念には念を。そう自分に言い聞かせながら目についた募集があれば応募しなんとか一通りの肩書きを手に入れ、いよいよ就職活動だ!と思った矢先に航空業界の採用中止。また、目の前が真っ暗になった。これまた道端で涙が止まらなくなり、肩を震わせながら涙をぼろぼろと流していたので、通行人に心配されてしまった笑





将来やりたい仕事について考えていくなかで、私が奇跡的に出会うことができたのが不動産デベロッパーという仕事だった。元々、海外旅行に頻繁に行っていた影響もあり、国ごとに異なる街並み、同じ国であっても、少し歩けば顔が変わる”街”というものに対してものすごく興味があった。特に東京の、丸の内・銀座・六本木・渋谷・赤坂・永田町といった電車を一度降りるとコロコロ変わる表情、建物そのもののかっこよさ、高いところから見るビル群や東京タワーの夜景が大好きだった。かっこいいいいいいいいいい!!!と思うあの空間を作っているのは、不動産デベロッパーだった。





しかし、こんな風に考えているのは私だけでは無かった。なんなら、ほとんどの就職活動生も同じように考えていた。この時の私はまだ、デベロッパー就活の恐ろしさを全く知らなかったのだ。




デベロッパー就活の恐ろしさ
①そもそも採用人数がおかしい 商社や広告は何百人、銀行となれば900人という採用人数をとる。しかし、デベロッパーは業界最大手の企業でさえ30~40人ほどしか採用していない。(10人なんてところもある)にも関わらず、エントリー数は1万人を優に超えてしまう。




②受験層 インターンに参加して感じたのは、東大・京大・旧帝大・早慶が9.9割だということ。毎回自己紹介の時にとても惨めな思いをした。しかし、デベのインターンに参加するような人たちはみんな気さくな人が多いので学歴マウントをとるような人はいないし、なんならとても謙虚な人ばかりで、そんなところも好きになってしまう。(大学生活では何度も学歴マウントの被害にあってきた。コンサルや外資の就活をしている人たちなんて私のことをそもそも同じ人間として見ていなかったし。)特に悔しい思いをしたのは、OB訪問アプリで何故か就職浪人している京大院生とマッチングし、最初の一言目に「◯大で総合デベロッパー目指してる人初めて見ました」と言われた時は京大を燃やしてやろうかと本気で考えた。





デベロッパーの人気の一つとして、”待遇の良さ”なんて掲げられているけどそんなの一握りで一つランクを下げれば一気に下がる。私が一番鬱になったのは、滑り止め用の企業を探すとそこには底なし沼が待っていて、自分がそこで働いているのを想像したくなかった(ごめんなさい)不動産会社は世の中に3万あると言われているからそりゃそうか、





こんな狭い門を叩いてしまったおかげで、水とゼリーしか食べれなくなり、この1ヶ月はほとんど毎日吐いていた。おかげで、体重は4kgも減ってくれた。




しかしこんなにも辛かったからこそ、内定を人事の方から言われた時はとっても嬉しかった。泣くと思っていたのに、あまりにも実感が無くて泣くに泣けなかった笑





忘れられないのが、その日一緒に最終面接を受けていた内の一人も内定をもらうことができ、たまたま会社のエレベーターで一緒になった。扉が閉まってお見送りをしてくれた人事の顔が見えなくなった瞬間、全フロアに聞こえるくらい「ぎゃああーーーーーーーーーーー!!」と叫びながら抱き合って喜んだ瞬間はきっと私の一生の思い出だ。その子とはものすごく意気投合し、その日にあった面接の予約を二人でキャンセルしまくり5時間近く語りあった。私とそっくりな女の子でびっくりしつつなんだか嬉しかったし、いろんな業界の内定を持っていたのにも関わらず同じ会社に来てくれると約束してくれてとても嬉しかった。その子は阪大だったから、今年のトップ内定者は女の子かつ関西勢という、男性と関東勢が優位なデベロッパー就活において異端な状況もまた嬉しい。



私の学部からこの会社に内定したのは初なので、大学も喜んでくれたらいいなぁ。後輩も学歴なんかに負けず自分が行きたい!と思う会社にぜひ挑戦して欲しい。



最後にある先輩がとてもいい言葉を使っていたので引用すると
「ガクチカが無くても難関企業は受かりますか?という質問はパワプロくんしかやったことが無いのに甲子園目指してます!と言っているようなもの。」
とっても共感した。だらだらすることももちろん大切だしそんな日があってもいいけど、メリハリが大切だよね。もし就活を始める前の学生の方がこれを読んでいるならどんな小さいことでもいいから色んなことに挑戦して欲しいと思う。ガクチカは面接で話すネタ以上に自分の武器になってくれる。




投げ出したくなるつまらない素振り練習だって、いつか9回裏2アウト満塁のさよならホームランに変わるんだ。




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