チビ生還
入院していたチビ。
本日、退院することができました。
みなさまの祈りが届き、突然のお別れは避けられました。
まだまだ一緒にいられる時間を与えていただきました。
深く感謝申し上げます。
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学校へ行けるようになれば嬉しいのですが、贅沢は申しません。
何もできなくなって寝たきりでしたから。
お空に行ってしまうかもしれないと思ったのですから。
家の中で動くことができれば。
ご飯を食べることができれば。
今はそれだけで十分です。
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10/5
チビの病気が見つかりました。
原発性硬化性胆管炎に潰瘍性大腸炎を合併しているとのこと。
クローン病は合併していないからまだよかったと。
聞いたことのない病名に、全く意味が分かりませんでした。
そしてコトの重大さに気づいてはいませんでした。
ですが、それでも移植の可能性は考え、クラファンを検討していました。
10/25
病気を見つけてくれた病院では、病気を診ることができる医師がいないとのことで、ご紹介いただいた大学病院を受診しました。
ですが、ここでもこの日は専門の医師がいないとのことで、それぞれの病気の専門の医師がいる11月4日に予約を入れました。
10/28
いつも通りに学校へ行きました。
午前中、お腹が痛いと連絡はあったものの、授業には参加できていました。
10/29
登校しましたが、保健室へ直行。
それでも3限まで休んで4限からの授業は受けて帰ってきました。
ですが、帰宅後、動けなくなりました。
やっとの思いで帰ってきたのでしょう。
息も絶え絶え…
そんな感じでした。
医師の指示を仰ぎましたが、ここではまだ緊急性はありませんでした。
10/30
全く起き上がれなくなりました。
体の力があっという間に失われていきました。
トイレに行くのがやっと。
行くだけで疲れてしまう。
いつもは私に開けてくれていたペットボトルのキャップが開けられなくなりました。
腹痛と辛さに顔を歪めるようになりました。
この日から学校に行けなくなりました。
ただ横になり息をしているだけ。
40度を超える熱も。
たった数日の間に、またたく間に痩せていきました。
4日まで待つか、救急で運ぶか、葛藤の日々でしたが、痛みも落ち着き、静かに眠り続けていたため、4日を待つことにしました。
11/4
お腹が痛すぎて眠ることができず。
救急車で病院まで運んでもらいました。
そして、緊急入院。
覚えることなど、そして、理解することなど、到底できないほどの検査の説明を受けました。
処置を施すことによるリスクに、思考が停止しました。
それでも、サインをしなければ、そのままなのです。
リスクを全て受け入れ、もう最後の姿なのかもしれないと覚悟しました。
姿が見えなくなると同時に涙が溢れました。
その夜、無事に麻酔から目覚めたと連絡を受けました。
この時の感情は表現できません。
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ここから先は実に個人的なことなのですが。
入院した前日は、子どもたちのお父さんがチビに会いにきました。
一生会うこともないと思っていた人を我が家に入れるのです。
私はバカなのか?
何度もバカなのか?と思い、吐きまくりました。
内臓が拒絶したのです。
それだけの壮絶な過去があったわけです。
ですが、チビに会いたいと言う言葉に、断る理由がありませんでした。
また、病気のことを"知らせない"という選択肢も持ち合わせてはいませんでした。
筋金入りのバカなんだと思います。
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当日は、何の感情の起伏もなく、チビが寝ている部屋に通しました。
2人だけの時間を大切にしたいと思いました。
そして、臓器の提供を申し出ていただきました。
静かに話をすることができました。
過去の何もかもが消えたような感覚を持ちました。
チビが体を張って、全てをフラットにしたのだと感じました。
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チビが通っている学校をはじめ、私がお世話になっている学校の先生方からも、お仕事をご一緒させていただいている方々からも、たくさんのお友達からも、もったいないほどの心温まるお言葉、ご配慮をいただき、こんなにも温かくみなさまに支えられていることに深く感謝申し上げます。
みなさまの祈りが届き、チビが戻ってきました。
しかも、自分の足で歩いて。
嘘みたいです。
本当にありがとうございました。
全く先が見えない病を患いはしましたが、突然のお別れにはならなかったことに感謝し、また一緒にいられるようになった今を大切にしたいと思います。
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最後に。
学校を辞めていて本当によかったと思いました。
もしかしたら辞めるまで待っててくれたのかもしれません。
さて。
まだ始まったばかり。
『生きてる時間を大切にしないとね』
チビが言った言葉を胸に。
みなさまに感謝を込めて。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。