リスカ跡
私には左腕に無数のリスカ跡がある。
高校生の頃や、大学生時代にパニックになったときに切ってしまった跡たちだ。
私には娘が居るので、いつかこの跡のことを聞かれたら、なんて答えようと悩んだりとか、夏に半袖やノースリーブを着るとき、腕にアームカバーをしなくてならなかったり、不便なことはある。
でも、リスカしたことを、後悔はしていない。
むしろ、愛おしく感じるときもある。だって、私はあのとき、リスカしなかったら生きてこられなかったんだもの。
私が必死に生きた証なんだってどうしても思ってしまう。
私は人に頼みごとも愚痴も言えない子供だった。
母が頼みごとを父にすると、父は凄くいやがったり、不機嫌になった。酷いときは怒った。
それを見てきた私は、頼みごとは人を怒らせるものだと思った。
私の家族は互いが互いにすごく悪口を言い合う家族だった。母からは父の悪口を聞かされていたし、祖母が母を悪く言ってるのをこっそりよく聞いていた。父は祖母と祖父を嫌うし、ほんとなんで一緒に住んでいるのか疑問だった。
母のことは好きだけど、母から聞かされた愚痴は、幼い私には酷だった。
父を否定すると言うことは、私を否定することに繋がるから。
私は父と母から産み落とされた存在だから。
愚痴を聞くのが嫌になった私は愚痴の吐かない子供になった。
愚痴を吐かないなんてすごいじゃん!いいんじゃん?と思うかもしれないけれど、嫌なことを程良く発散する方法もわからない、良い子ちゃんな優等生な私ができあがってしまったのだ。
私は嫌なことを誰にも話せず全て自分の中にため込むようになったのだ。
私の中にたまった嫌なこととたちは膿んで膿んで膿みまくった。膿みまくった嫌なことたちが猛烈に私に襲いかかってきて、私はパニックになった。
だから、私は腕を切った。
自分自身はいくら傷つけても良いと思った。
自分の心の傷を可視化して安心した。
パニックになったときのリストカットは、唯一パニックを落ち着かせる手段だった。
私は必死だった。生きることに、すごく必死だった。
その当時の私を、私は否定したくない。私まで私を否定してしまったら可哀想だから。
傷だらけの腕で、私はこれからも生きていくんだ。私が私を一番に愛しながら。