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占いマダムに遭遇
片手に杖、片手にカート。
歩きづらそう。
多分進む方向は一緒だと察した。
思い切って声をかけた。
「途中まで持ちましょうか?私もこっちなんで」
ありがとうと言いながらも、カートから右手が離れない。
もしかして盗まれると思ってるのかな。
「こっちも必要なの、両方で支えてるから」
ああ、なるほど。
黒づくめの私を疑った訳じゃないんだ。
私はカートに手を添えて彼女のペースに合わせて引いた。重たい。何が入ってるんだ。
「お忙しいところありがとう」
「いや、病院帰りだから忙しくないんです」
「あら、どっか悪いの?」
「まぁ、もうよくなってきてます」
嘘をついた。良くなってはいない。
「親切にしてくれたお礼に占いしてあげる」
「え?いいですよ、気持ちだけで」
と言いながらも、「何占いですか?」と踏み込んでしまった私。
生年月日で見るという。
何月何日?と聞かれたので、無駄に個人情報を保護して年は教えず、年月だけ開示した。
彼女は歩きながら占ってくれた。
それが彼女なりのコミュニケーション方法だったんだろうと私は感じた。
当たるとか当たらないとかじゃないんだよ、占いっていうのは。
本当に見て欲しい時には、私はスピリチュアルに行くから。
ゲームみたいなもんでって言ったらおばあちゃんに怒られるかもしれないけど、その人と対話して何かを得る。それが占いなんだ。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。
その上で何かを得ることができれば、その占いは「当たった」と称されるのだろう。
「気持ち悪いかもしれないから嫌だったらいいんだけど」って言ったけど全然気持ち悪くないよ。私の事少しでも考えてくれてありがとう。
日曜日と月曜日がラッキー。
後はラッキーカラーが白と緑と青。
これらは死ぬまで変わらないらしい。
私、赤が大好きなんだけどそんなこと一言も言われなかった。ちょっとドキドキして待ったのに。
おばあちゃん。
言い忘れたけど、私は生まれ曜日が日曜なの。
だから生まれてきただけでラッキーだね。
今年は我慢の年で来年なんだって。
まだ2月なのに、のこりどうしようかね。
今年は1月と10月がラッキーだったみたい。
1月はメンタル病み病みだったけど…なんかいいことあったかな。
それでも今回の占いは「当たった」と言えるだろう。
占いは、お話しのツール。
久々に知らないひとと話した。
こういうのって多分なんかあるんだよね。
「奥さん、私この信号渡るんで」そういって別れた。
おばあちゃんは頭を下げた。
私も帽子を取って頭を下げた。
髪はぐちゃぐちゃ。
「お姉さん」と呼べばよかったのかな。違うか。
やはりこういう時は奥さんと呼んでしまう。
「奥さん」や「主人」などがいい呼び名ではないと言われる昨今、相手をそう呼ぶ時に意味なんて込めてない。
マダムにあたるワードが見つからないだけだ。
おばあちゃんの顔は覚えていない。
私は顔認識が下手くそだし、横並びで歩いていたから。
ひとと触れ合うってこういうことなんだなぁと、ぼんやり思った。
きっとこういうのナチュラルにもっと出来たら見える世界は変わるんだろうな。
私は出会いをたくさん逃してきたんだろうな。
その分得たものもあるかもしれないけど。
なんにせよ、私は私で生きていくしかない。