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努力・勉強・成長

皆さんこんにちは。
初めてNoteの公式コンテストに応募してみようと思います。
記念すべき最初のコンテストテーマは、「仕事での気づき」です。

私はイラストレーターとして活動させていただいています。
最近は漫画も描き始めて、さらに活動は広がりを見せています。
イラストレーターは私がなりたかった職業で、ありがたいことにファンやクライアントのご支持のもと今も順調に活動を進めていますが、私の生い立ちは順風満帆ではなく、他の一般的な方たちと比べてかなり劣悪な環境で育ちました。

それは幼少期の頃から始まり、放任主義といえば聞こえは良いですが、困っていても周りは何もしてくれない無関心の環境で育ったと言えます。
それは家庭でも学校でも同じで、高校生の頃は完全放任な校風で育ち、髪染もOKで何の縛りもない自由な校則でしたが、全校朝会で校長先生が「自分のやることは全て自己責任だ」と言っていた記憶があります。

私は周囲が無関心の環境で育ち、このままでは周囲が何もしてくれないからダメだと思い自分で行動して色んな経験をしました。
自分の得意なこと・好きなことのクオリティを高め、足りないところを補い、自分を導いてくれる人を探し、今の自分に必要なことのために勉強して、訓練して、努力して、自分で自分を動かし、自分で行動した結果傷つくこともありましたが、今のイラストレーターという立場を確立することができました。

昨今は貧富の差が激しい格差社会だと言われています。
この社会では努力し、勉強し、成長を続けていくことで豊かになれると言われています。逆に努力ができない、勉強は嫌い、成長は面倒くさいという人は貧しくなっていくのでしょう。
私は幼い頃から周囲が何もしてくれないから自己責任で自分で行動し、努力し、勉強し、成長していきました。
その結果、私はこの競争の激しい資本主義社会によく最適化された人格形成をなしていったと自分で感じています。効率主義で合理的に考え、得意なところを伸ばすため、また足りないところを補うために勉強して努力し、どこまでも成長を続けていく。
だから、私の活動はこれからも順調だし、今描いている漫画もうまくいくだろうと確信しています。
昔はあんなに無関心だったのに、最近は私のやってることを知っている人たちが私に対して“この人とは仲良くしておいたほうがいい”という雰囲気を見せてくれるようになりました。
もともと私は受け身な性格で、もし周囲が私に対して無関心ではなく、手取り足取り教えてあげ、温かい友達関係に恵まれていたら、イラストレーターになることなく自分で考えることもなく皆がそうだからという理由で漫然と一般会社員として働き、絵は休日に趣味として描き、給料が低いと言いつつ慎ましく生活していたかもしれません。
無関心が資本主義の競争に強い私を作ったと言っても過言ではありません。

自分で考え行動し、努力し、勉強し、成長を続けていった私はいずれ成功して資本家になるかもしれません。
最近はYoutubeでお金持ちや投資家や経営者の動画を見たりしていますが、コメント欄で「努力できないヤツはダメだ!」みたいなネットでよくある自己責任論者のコメントがたくさん目につきます。
私は本当は自己責任論は好きではありませんが、彼らが自己責任論を振りかざしたくなる気持ちもわかります。彼らも大変な思いで努力して、勉強して、成長して今の立場を手に入れたからです。
でも、私も努力や勉強や成長はもちろんですが、それだけでなくいくつかの幸運が重なって今の立場があります。
努力したくてもできない、劣悪な環境で出口が見つからず抑圧され苦しみ続けている人や、3K労働など賃金は低くても人の生活に欠かせない重要な仕事をしている人たちに「あなたたちが貧しいのは努力できないからだ!」と自己責任論を振りかざすことは違う気がして、責めることはできません。
それに、果てしなく努力して、勉強して、成長して競争し続けることでしか私たちは豊かになれないのでしょうか?

自己責任の競争社会について、今ここで結論を言うにはまだ私は経験不足で未熟だと思っています。
努力・勉強・成長を続けていった私はどこまでいけるかわかりませんが、もう少し先の未来、今よりもっと積み重ねができた私は努力・勉強・成長について、そして自己責任の競争社会についてどんな視点を持っているのか、まだ旅を続けていきたいと思っています。
最後に、努力できることは素晴らしいことだと思いますが、大変な思いをして努力しなくても幸せに生きていける時代が来ることを望んでいます。

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