前者後者論の存亡
高校を卒業したての頃、心屋式リセットカウンセリングの世界にハマっていた。
悩み多き若者だった頃
「悩んでいる人をひとりにしない」なんて名目で
お気持ち金制のオープンカウンセリングというものが各地で開催されていた。
そんな中、心屋さんの発信の「前者後者論」というタイプ論にハマった。
心屋さんがこれまでのカウンセリングの知見で、大まかに人を2つのタイプに分けた。
非常にざっくり言ってしまうと
・前者・・・
空気が読め、理解、理論、表現、処理能力が比較的高い マルチタイプ
・後者・・・
天然、癒し系、言葉をストレートに受ける 集中タイプ
「前者」と「後者」は単なる名前で、特に元の語源は関係がない。
●人の話を聞いてて、頭がシャットダウン(真っ白)になるか?
・怒られたり失敗したり、あせったときにすぐにパニック(混乱)になる
・難しい話や、まくしたてられると心の中にシャッターが下りて「しまう」
・思考がすぐにどこかに飛んで行って「しまう」
・説明を受けたり怒られている最中に、うわの空で他のことを考えて「しまう」
この質問の例にひとつでも「イエス」があれば、後者。
NO! ならば前者、という判断です。
仕事が出来る、勉強ができる、などの「できる」は判断基準に入りません。
※前者・後者はひとりのひとにどちらもあるものではなく、「どちらか」という「絶対的」な話です。
※前者は、ここまで読むだけで理解できます。(理解できた=前者 ではありません)
というのが、心屋さんの公式的な見解だ。
(ブログより大筋を抜粋)
一方で語っておくべきもう一つの勢力がある。
向江好美という女についてだ。
この女は前者後者論の代表みたいなツラをしているが、実際は心屋さんの知見を無断で盗んだだけの二番煎じの女である。
この女も心屋さんの真似事をして、前者後者9タイプ論とかいう、見える世界が倍になるどころかたった9タイプになっている人を散見する思い込み偏見フィルターマシマシ欠陥論理を提唱している。
まあ、最近は目立った活動もしていないし、公式サイトもだいぶマシになったのだが、以前は相当ひどかった。
無意味に漫画キャラクターを分類しているようですが、なんか意味あるんですか?
まあ、愚痴はともかく、
※前者・後者はひとりのひとにどちらもあるものではなく、「どちらか」という「絶対的」な話です。
前者後者論のこの点。
ここがとても大切である。
生来的に、絶対的に決まっている。発達障害や定型発達のように、生涯にわたって覆ることはない。
故に、多くの人を混乱へ導いてきた。
理由は、人を前者後者という集団で観たときに、所謂「外れ値」が存在するのだ。
前者後者における外れ値の例
●「飛ばない」後者
→思考が多いタイプだろうか。大脳のスペックのよい感じがした。飛ばないのでそこだけ見れば前者っぽい。
●発達特性のある前者
→凸凹だけど前者。前者的な機能+社会機能の凸凹がミスマッチして色物枠に。ちゃんとしてるのにドジっ子。一見後者っぽい。
というように、互いの集団に「寄っている」各種がいる。
これが悩ましいところだと思う。
というかそもそも、人間が2つに分かれるわけがない。
ある考え方の中で、という話をしても
前者後者論の場合は基準が明確にあるわけじゃないから何とも言えない。
例えば前者と後者の違いが扁桃体や前頭葉のこの部分にある。という外側からわかる具体的な基準があれば話は早いのだが
基本的にはカウンセラーの主観に基づくというのが、この論の致命的な欠陥だと思う。
私の見解
結局、人間が前者と後者で2つに分かれてるとは思う。
でもこの分け方に、定型発達、発達障害を上回るメリットを感じない。
後者という生き物が発達障害と近接しているなら、発達障害の人向けのノウハウを学べばいいし、わざわざこの論にこだわる必要性を感じない。
プラス、どちらかの要素に寄っている外れ値の人たちをどう扱うか。これに尽きると思う。
今まで生きてきたなか邂逅した人で、前者の人は定型発達ぽいし後者の人は発達障害ぽい人が多かった。
前者妻後者夫とか言って夫の愚痴を発信してた人がいつのまにか後者夫ではなく、ASD夫になってたあたり、後者タイプは発達障害と結構近接関係にあるように思う。
わたしは医者でもない素人で、何とも言えないのですが、自分の機能が由来で日常生活や仕事に困っているのであれば、精神科を受診したほうがいいと思います。